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ライラ・ステイラーは、四人は横になれそうなふかふかの寝台の上で押し倒された。
ライラを押し倒したのは、夫となった彼女の幼馴染の男。
ああ、なぜこうなってしまったのか……。
ライラは、後悔と戸惑いで押しつぶされそうだった。
ライラは、シュヴァーツ侯爵家で働く両親の下に生まれた。
父アルバンは早くに亡くなったため、母イリスに育てられた。
決して豊かな生活ではなかったが、愛情深いイリスとの二人暮らしは温かいものだった。
ライラが六歳になる年のある日、イリスはシュヴァーツ侯爵からある提案をされた。
侯爵にはヴィンセントという八歳になるひとり息子がいた。侯爵はヴィンセントに友人がいないことを案じ、ライラにヴィンセントの話し相手になってほしいと言われたのだ。
ライラにも友達がおらずそのことを気にしていたイリスは、躊躇うことなく承諾した。
ライラとヴィンセントは引き合わされ、それから十年が経った。
ふたりとも成長し、今でも互いに話し相手になっている。
ライラはヴィンセントの自室のソファにもたれ、ぼんやりしていた。
「……退屈ね」
呟いたライラに、机で勉強中のヴィンセントが答える。
「本でも読んだらどうだ」
「全部読んだよ」
最低限の読み書きはイリスやヴィンセントに教わったのだ。
少し不貞腐れるライラを一瞥しつつも、ヴィンセントは万年筆を持つ手を止めない。
「じゃあもう少しで終わるから待ってろ」
「もう少しってどれくらい?」
「わからない」
「……」
ライラが白い頬を膨らませた時、扉にノックがされ、ヴィンセントが返事をすると、扉が開かれた。
ヴィンセントの父でありシュヴァーツ侯爵家当主ジョルジュ・シュヴァーツその人だった。
何やら神妙な顔をしている。
「ふたりとも、少し話がある。来なさい」
ライラとヴィンセントは顔を見合わせた。
首を傾げながらも、ジョルジュと共に部屋を後にした。
応接間に着くと、ジョルジュに促されふたりはソファに腰掛けた。
ジョルジュもふたりと向かい合って座り、口を開く。
「ライラ、君をヴィンセントの婚約者候補に考えている」
「……はい?」
ライラは思わず素っ頓狂な声を発した。
彼女の眉尻の吊った目が大きく見開かれる。
私がヴィンセントの婚約者候補?
驚きすぎてそれ以上声が出なかった。
隣のヴィンセントも瞠目している。
ライラの気持ちの整理が落ち着く暇も与えずジョルジュは続ける。
「もちろん無理にとは言わない。嫌なら断ってくれ」
「ど、どうして私なのですか?」
ライラはようやっと声を出せた。
「君はヴィンセントのことをよくわかってくれているからだ」
「で、でも、身分の差が……」
イリスの兄が男爵であるため、ライラは男爵の姪ということになるが、対してヴィンセントはシュヴァーツ侯爵家嫡男。
ジョルジュは苦笑した。
「君も貴族なのだろう。かけ離れているかもしれないが、私たちは気にしないよ。それに、君の振る舞いは品がある。性格も問題ないように見えるし、ヴィンセントの相手にするにはちょうど良く思えるが……」
ライラはそれ以上言葉を続けられなくなってしまった。
ここで謙遜するのも考えものである。
ライラが困っていると、ジョルジュは立ち上がった。
「すまないね。考えてみてくれ」
ジョルジュはそう言って部屋を出ていった。
応接間に残されたライラとヴィンセントの間に、沈黙が降りた。
ライラはひとりぐるぐると考える。
ヴィンセントもとてつもなく容姿がいい男なのだ。
すらりと高い背、艶やかな黒髪、白磁のような肌、瞳は深海のような濃紺。整った鼻筋に、薄い唇。
容姿も身分も頭も良くて、剣術も馬術もできて、茶会や食事やお出かけに付き合ってくれる優しさも併せ持つ、完璧な男。
世のご令嬢方が放っておくわけがないのだが……。
しばらくして、ライラが口を開く。
「……ヴィンセントは、私のことどう思ってるの? 」
「どうって……」
ヴィンセントも戸惑っていた。
「ヴィンセントは、私と結婚してもいいの?」
「それは……」
ヴィンセントははっきりと答えない。
「結婚はちゃんと好きな人としてほしいの。……でも、でもね」
ライラは白い顔を赤らめた。
「ヴィンセントに今好きな人がいなくて、あなたが私でもいいって言ってくれるなら、あなたと結婚するよ」
ヴィンセントは切れ長の目を大きく見開かせた。
ライラの顔がさらに赤くなり、声が小さくなる。
「……私、あなたのこと少しだけ好きなのかもしれないの。異性として」
ライラは今まで、ヴィンセントのことを友達だと思ってきた。
しかし、今ここで自分が断り、ヴィンセントが他の誰かと結婚するのかと思うと、それは嫌だと感じたのだ。
これがまさしく恋なのだろう。
ヴィンセントの目がさらに見開かれた。
ライラは、少しだけ、少しだけね、とつけ足す。
少しして、ヴィンセントは目を細め、微笑を浮かべる。
「……ありがとな。俺もお前がいいよ」
ヴィンセントの言葉に、ライラは美貌を輝かせた。
「ほんとに?」
トーンが高くなったライラの声に、ヴィンセントは笑みを深めて頷く。
「ああ。俺と結婚してくれ」
ライラの顔はより明るくなり、にっこりと笑った。
「ありがとう」
そうしてふたりの結婚は決まったのだった。