羽理が行くのは無理だと分かっても、上司に奢ってもらうモード全開になっていた法忍仁子は諦めなかった。
「羽理とはまた後日出直せばいいじゃないですかぁ〜。私はもう、課長に提案されたお好み焼き屋さんの口になってます!」
なんて具合。
倍相岳斗は、仁子の圧に負ける形で、急き立てられるようにしてランチへ駆り出されてしまう。
(おう! 行ってこい、行ってこい!)
仁子の強引さに心の中で拍手喝采を浴びせつつ、そんな部下二人を愛しの羽理とともに見送った屋久蓑大葉だったのだけれど。
***
「倍相課長って、のほほんとしてるようで、実は案外鋭いところがありますよねー」
ネギがたっぷり入った、甘めの卵焼きを摘み上げながら、羽理がほぅっと吐息を落としながらポツンとつぶやくから。
先ほどのことを嫌でも思い出させられてしまった大葉だ。
法忍仁子と二人、財務経理課を出ていくとき、倍相岳斗がふと立ち止まって。
「あ、そう言えば……」
まるでふんわりとつい今し方気が付いた、と言った体で羽理を振り返ったのだ。
「よく考えてみたら荒木さん、今日は裸男さんと彼女さんのお宅からの出社でしたよねー? ……ってことは、そのお弁当は荒木さんが作ったんじゃなくて、裸男さんか、彼の彼女さんの手作りなんじゃないですか?」
と――。
悔しいけれど大葉は、その言葉にぐうの音も出なかったのだ。
「あ、は、はい……。実は裸男さんが自分のを作るついでに作ってくれました」
自分が作ったわけではないのは確かだったので、羽理が思わずその言葉を肯定して。
仁子が嬉し気にポン!と手を打った。
「そっか、そっか。そう言うことだったのかぁー。考えてみたら羽理がお弁当を作って来るなんて不自然だもんね!? そんな事情なら私も文句なしで納得だわ!」
「ごめんね、見栄張っちゃった」
仁子の言葉に羽理が乗っかって。
弁当箱が犬柄だったのにも、もっと言えば風呂敷包みが男っぽい渋柄だったのにも、得心が言った様子の仁子が、「弁当箱も包みもちゃんと洗って返しなよー?」と、まるでお母さんのようなことを言ってくる始末。
「分かってるって」
羽理がムムッと口を突き出して答えるのを見つめながら。
大葉は、自分がどこぞの女性(?)と同棲していることになっているのも気になったし、何より呼び名!
呼び名が〝裸男〟で定着してしまっていることにも思いっきりモヤモヤしてしまう。
(俺ンところに泊まりましたって素直に言えねぇのは分かる。分かるが! もっと言い方があんだろーが!)
(それに……俺が同棲してる女って誰だよ! 話の感じからして荒木ってわけじゃなさそうだよな!? おい荒木! お前、二人にどんな説明をしたんだ!)
倍相と法忍が出払ったのをいいことに、大葉はその辺の諸々の事情を聞くためと理由付けて、羽理を会社からちょっぴり離れた公園までタクシーで連れ出したのだけれど。
木漏れ日のさす木陰に設置されたベンチへ横並びに腰掛けて、ふたりして大葉お手製の弁当を広げていたら、「んー! このハンバーグ、味が沁みてて絶品です!」とか何とか嬉し気に弁当のおかずを褒められまくって、なかなか本題に切り込めない。
***
「はぁ~。どのおかずもめっちゃ美味しかったですっ! 料理のことだけで判断したらダメかもしれないですけど……屋久蓑部長とパートナーになれる人はホント幸せだと思います!」
綺麗に平らげて、米粒ひとつ残さず空っぽにした弁当箱を元のように若松菱模様の小風呂敷で包むと、それをひざに載せて羽理がほぅっと至福の溜め息を吐いた。
結局ここに至るまで、羽理に聞きたいことを何一つ聞けていない大葉だ。
食事を摂りながら話したことと言えば、「この煮物、朝から煮込んだわけじゃないですよね?」と言う質問に「ああ」と答えたり、サバの塩焼きをつつきながら問われた「朝からお魚焼いたんですか?」の言葉に「ああ」と言ったとか……そんなのばかり。
(考えてみたら俺、『ああ』しか言ってないじゃないか!)
今更のようにそれに気が付いた大葉だったのだけれど。
「――なぁ荒木。俺の作る飯がそんなに気に入ったのか?」
ポツンとそうつぶやいたら、即行で「はい!」と返って来た。
「じゃあ、さ……。毎日俺の料理が食えるポジションに来てみるとか……どうだ?」
大葉としては結構思い切った告白の言葉を口にしたつもりだ。
だって……それこそよくプロポーズで引き合いに出される「毎日キミの作った味噌汁が食べたいんだ」に匹敵するくらいのセリフだったから。
「えっ?」
だからそのセリフに羽理が珍しく言葉に詰まったみたいにこちらをじっと見つめてきたのも当然に思えて、大葉はごくりと生唾を飲み込んだ。
なのに――。
「あの、部長……それって……もしかして異動の内示ですか?」
と返されるとか、さすがに『嘘だろ!?』と思わずにはいられない。
至極真剣な顔をした羽理からそんな言葉を投げ掛けられた大葉は、思わず言葉を失って。
しばし後、やっとの思いで「何でそうなる!」と抗議したのだけれど。
(そもそも上司の手料理が食える部署ってどこだよ!?)
口に出せばいいのに、ヘタレゆえ心の中で盛大にツッコミを入れている大葉へ、羽理が
「だって……」
つぶやくなり、どうしたら良いか分からないみたいにソワソワとコチラを見て身じろぐから。
その様が愛らし過ぎて、羽理の顔をしたミニミニキューピッドが、ズキューン♥と心臓を撃ち抜いたのを感じた大葉だ。
それは恋の矢で、というよりライフル銃で狙撃されたのに近い感覚で。
羽理と出会ってからこっち、大葉の心臓はミニ羽理が仕掛けてくる恋の矢やらバズーカ砲やらの的にされまくりで、正直満身創痍だ。
締め付けられるように痛む心臓をギュッと押さえつつ――。
(やばい。モジモジする荒木が可愛すぎて身が持たん……!)
となった挙句、
「俺に同棲してる彼女がいるってデマを流したのはお前だぞ? 責任を取れ!」
とまくし立ててしまっていた。
それだけならまだしも、思わずついでのように
「そ、それにっ! 〝裸男〟ってのは何だ! いつもいつも俺の前で裸を見せつけてくるお前だって立派に〝裸女〟だろーが! お、俺がっ! どれだけお前に手を出しそうになんのを我慢してると思って……!」
思わず、『ここでそれ!?』と皆から突っ込まれてしまいそうなセリフを吐いて羽理を固まらせてしまう。
「み、見せつけてなんかっ! 部長のエッチ!」
結果、大葉が本当に言いたかった〝デマの責任の所在〟があやふやになって。
真っ赤になった羽理が、投げつけてきた曲げわっぱ入りの風呂敷包みが……あろうことか大葉の――というより男性全般の急所を直撃してしまったのだった。
***
「ぐぁっ!」
屋久蓑大葉がエッチなことを言ってくるから。
思わず条件反射みたいに手にしていた風呂敷包みを振り回したら、遠心力で手からすっぽ抜けて、大葉の大事なところにクリティカルヒットしてしまったらしい。
海老みたいにギュウッと身体を折り曲げてフルフル震えながら動かなくなってしまった大葉に、羽理は慌てて立ち上がった。
「あ、あのっ、屋久蓑部長っ、大丈夫ですか!?」
ゆさゆさと肩を揺すって問いかけてみても返事がない。
というより多分出来ない様子の大葉に、羽理はますます動揺して。
「部長、か、身体を起こして下さい! 私、私っ」
言うが早いか涙目で顔を上げた大葉の上体をグッと起こすと、股間へ手を伸ばして「痛いの痛いの飛んでいけ~!」と患部を撫でさすった。
「ば、バカッ、荒木! んな事されから……、あっ」
大葉が慌てた様子で変な声を上げるけれどお構いなし。
ヨシヨシすればするほどそこが腫れ上がってくるから、羽理はさらに懸命に手当てをほどこした。
「あ、ちょ、マジで、や、めろ……っ! ホント、それ以上さ、れたらっ、本気、でヤバイ、……から、ぁっ」
大葉が羽理の手首を掴んで泣きそうな声を出すから、不安の余り、羽理の手の動きがどんどん丁寧になっていく……。
そうして、とうとう――。
「あああ、もう!」
本気を出した大葉にガッと手を掴まれた羽理は、レフリーに勝者だと宣言されたボクサーみたいに右手を頭上高くに掲げられてしまった。
大葉が立ち上がったせいでお弁当包みが乾いた音を立てて地面に転がる。
それを一瞬横目で追ってから、はぁはぁと肩で大きく息をする大葉へと視線を転じてオロオロと見つめたら、
「ホントお前ってヤツは! ここが公園だと言うことを忘れてねぇか!?」
思いっきり叱られてしまった。
「えっ!?」
何故「痛いの痛いの飛んでいけ」をして抗議されないといけないんだろう?
それは外でやったらいけない行為なのだろうか?
サッパリ意味が分からなくてキョトンとした羽理に、大葉が股間を膨らませたまま眉根を寄せる。
「――もしかしてお前、いま自分が何をやらかしたのか分かってない、とか……?」
若干前かがみ。
股のテントを隠すようにして、大葉が盛大に溜め息を吐くから。
羽理は解放されて自由になった手のひらと、微妙に姿勢の悪い大葉を交互に見比べてほんのちょっと考えて。
「えっ。あっ。……わ、私っ! ……もしかしてご立派さんを撫で……っ!?」
そう思えば、逞しい雄芯が手のひらの下で脈打つ感触がありありとよみがえってくるようで、今更のようにブワリと頬に朱がさして、全身が熱くなった羽理だ。
「だっ、だからって! ……そんな風に反応しなくてもいいじゃないですかぁ! 部長の変態! エッチ!」
***
照れ隠しだろうか。
酷い言われようとともにバシバシ!と背中を叩かれて、大葉は何て理不尽なことを言う女なんだ!と思って。
「あのなぁ。好きな女にこんなトコ触られて……反応するなって方が無理な話だろーが!」
勢いに任せてそう抗議したのだけれど――。
「……へっ?」
途端羽理に、鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな真ん丸い目をされて、「何だよ。まだ何か文句あるのか!?」と息巻いた大葉だ。
「あ、あの……文句と言うか……。その、ひ、ひとつ質問なんですけど……。屋久蓑部長って……もしかして……私のこと、好き……だったり……します、か?」
だが、ソワソワと落ち着かないみたいに羽理から恐る恐るそう確認されて、一気に怒りが冷めて。
「だっ、誰がっ! 誰をだ!?」
あわあわしながら、逆に羽理へ問いかけてしまっていた。
「だから……部長が……私を、です。……あ、あのっ。わ、私の勘違いならいいんです。……忘れて下さいっ」
言うなり、羽理がくるりと大葉に背中を向けて走り去ろうとするから。
大葉は慌てて彼女の手を掴んだ。
「バカっ。タクシーで来たのに歩いて帰る気かっ。そんなんしたら午後の業務に遅刻するだろっ」
(違う、言いたいのはそんな言葉じゃないっ!)
握った羽理の手首が自分とは比べ物にならないほど華奢で……。少しでも力を込め過ぎてしまえば折れてしまいそうに細かったから。
大葉は今更ながら、羽理は〝異性〟なのだとハッキリ認識させられてしまう。
こちらからは羽理の後ろ姿しか見えないけれど、ちらりと見える耳が真っ赤になっていて。
それが何だかたまらなく大葉の胸をキュンとときめかせた。
「た、タクシーくらい自分で拾えるので大丈夫ですっ」
なのに、そんな可愛い羽理がこちらを振り向かないままに、有り得ないくらい非情な言葉を投げ掛けてくるから。
大葉は、思わず背後から羽理をギュッと抱き締めてしまっていた。
「ひゃっ、部長!?」
「か、勘違いなんかじゃねぇから……! だから……その、俺を置いて行くなっ」
自分でも恥ずかしいくらい声が上ずっているのが分かって、大葉は一度だけ大きく深呼吸をする。
(心臓がうるさすぎて敵わん!)
加えて頭の中で自分の分身たちが、『こら、大葉! 今すぐ告白し直ちまえよ!』だの、『いっそのこと振り向かせてキスしたほうが手っ取り早いんじゃねぇか!?』だのてんでバラバラにやいのやいのと騒ぎ立ててくるからたまらない。
「……ぶちょ、苦し……」
それで無意識。
羽理を抱きしめる腕に力を込めすぎてしまったらしい。
「あ、すまんっ」
慌てて腕の力を緩めてからもう一度深呼吸をすると、大葉は腕の中の羽理を自分の方へ向き直らせた。
そうして、やっとの思いで胸の内を語り始める。
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