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サイド黒
僕は文庫本を片手に、パーカーを羽織って病室を出た。
向かった先は、お気に入りの場所。人が少なく、窓があって中庭が見える特等席だ。静かで、本を読むにはうってつけの場所だった。
外に目を向けると、クリスマスだというのに、中庭は多くの人で賑わっていた。晴れていて、冬にしては暖かいからだろう。
老紳士が、老婦人を乗せた車いすをゆっくりと押している。
僕と同世代くらいの男性が、ベンチに座って空を見上げている。
点滴スタンドを慣れた手つきで引きながら、二人の少年が仲良く駆けていく。
平和なように見えて、みんなどこかに影を背負っている。ここには“普通の日常”はない。
ベンチに座り、ページを開く。僕は本の世界に入り込んでいった。
ふと本から視線を外し、時計を見ると、もうお昼前になっていた。そろそろ昼食の時間だ。
しおりを挟み、立ちあがる。
だが、そのとき視界がぐらりと動いた。
身体が冷たい床に叩きつけられる感触があった。
突然、頭に慎太郎の顔が浮かぶ。そのあと、家族の顔が走馬灯のように流れていった。
みんな笑顔だった。
ああ、僕死ぬのかな。ここ誰もいないし。誰にも見つけられないまま、天国行きか。いや、地獄かもな……。
もうろうとした意識の中、そんなことを思う。
そして目の前は真っ暗になった。
まぶた越しに届く、明るい光。
眩しいな、と目を開けると、白い蛍光灯が飛び込んできた。
「あ、松村さん! 気づきました、大丈夫ですか?」
やや高い女性の声が聞こえる。看護師が僕の顔をのぞいた。
低い男性の声も、僕の名を呼ぶ。「わかりますか? 松村さん。ここ、どこかわかります?」
首をもたげ、あたりを見渡す。見知らぬ部屋にいた。でも、病院なのは確かだ。
「え…救急センター…ですか…?」
「そうです。廊下で倒れているのをあちらの方が見つけてくれて、運ばれました。痛いところとかありますか?」
僕は首を振る。
あちらの方、というのに引っ掛かりを覚えて後ろを振り向く。まさか慎太郎かと思ったが、そこに立っていたのは女性だった。大きなおなかを抱えている。
僕が頭を下げると、女性も会釈をしてくれた。
「倒れた原因はめまいだと思います。とりあえず、今日一日は安静にしていてください」
病室に帰されると、ベッドに寝転がった。
せっかくのクリスマスなのに、サンタクロースは僕に何も欲しいものをくれないようだ。その代わりプレゼントしてくれたのは、『病状悪化』という現実。
「はぁ…」
我知らず、ため息がこぼれる。
すると、コンコン、とドアがノックされる音がした。「はい…」
どうせ看護師か誰かだろう、と力の入らない声で返事をする。ドアが開き、顔を出したのは慎太郎だった。手には紙袋がある。買い物帰りだろうか。
ああ、来てくれた。嬉しさで頬が緩む。
「よっ。調子、どう?」
軽い質問に、返答に窮する。もし倒れた、なんて言ったらきっと心配する。
「…そうだよな。辛いもんな」
黙る僕を見て、そっと言ってくれた。
「……うん」
「なんかいつもと違うね。どうした?」
「え? そうかなぁ、何にもないよ」
笑ってごまかしたものの、慎太郎は表情を変えない。
「何でも言ってよ。そのために俺はいるんだから」
その言葉が、すっと胸に染み込んでくる。いつの間にか、口から言葉が漏れていた。
「今日さ、いつものように中庭が見えるベンチで本読んでて。人いっぱいいたな。冬休みだから子どもも多かった。そういえば今日クリスマスだな、ああいいなーなんて思ってて。でも帰るとき、めまい起こして倒れた」
「え⁉ え、うそ、大丈夫?」
「うん。今は全然。…だけどさ、理不尽だと思わない? 世間はハッピームードで、みんな楽しんでるのに、俺は現実を突きつけられて。サンタさんは結構不公平だね。俺には『悪化』っていうプレゼントしかくれないんだからさ。まあ、それもそうか。サンタクロースは、いい子にしてる子どもたちにしかあげないもんね。そりゃそうだ」
慎太郎はうつむく。しまった、八つ当たりしちゃったな、と後悔した。
「ごめん、慎太郎に言うことじゃないよね」
「ううん」
と、慎太郎は一転、笑顔になってこう言う。
「そんなこともあろうかと、しんたろーサンタが来たんだよ!」
え? と間の抜けた声が出る。
手に持っていた紙袋から、小さな袋を取り出した。それをほい、とこちらに寄越す。
「メリークリスマス、北斗」
何も言えぬままそれを受け取る。黒い袋に、白いリボンで飾られている。
「え、これ、なに?」
「まあいいから、開けてみて」
リボンを解き、中身を取り出すと、ビニール袋に入った黒いネクタイ、それから茶色の革製品。
「わあ、かっこいい」
「そう。それ、たまたま見つけたお店で、すっげーかっこいいなと思って。似合いそうだったから。ネクタイとブックカバー。そのネクタイ、リバーシブルなんだよ」
え、とビニールを開け、手に取ってみる。
黒地に青のライン入りのストライプ柄だった。そして裏側は、ラインが赤色に変わっている。ブックカバーは、ブラウンの革だった。
「え、すごいおしゃれ! ありがとう、嬉しい」
「いいんだよー」
「でも、なんか革って高級そう」
「まあ長持ちしそうね。北斗あんまブックカバーとか付けてないけど、よく本は読むし。また会社戻ってきたら、そのネクタイ着けて出社してよ。北斗のスーツ姿、かっこいいんだから」
「…うん、楽しみ」
僕だって、本当は会社に戻りたい。できることなら、慎太郎と仕事がしたい。もらった新しいネクタイを着けて、ブックカバーにお気に入りの本を入れて、全力で頑張りたい。でもそんなこと、叶うのだろうか。
「どした? ……え、北斗?」
驚いたような表情になった。慎太郎の手が、僕に伸びてくる。目元を拭われた。触られて初めて、泣いているんだと気が付いた。
「なあんで泣くの。もう、大人げないよ」
「あ、ごめんごめん。なんかしんみりしちゃって」
「ん?」
「ほんとに、また会社行けるのかなって。退院なんてできるのかな…って」
「きっとできるよ。俺は信じてる。だって北斗、最初言っただろ? 『俺は勝つ』って」
「……言ったかな、そんなこと」
「言ったって。ちゃんと覚えてるんだから。しっかり有言実行しなよ」
慎太郎はいつも、僕が弱音を吐いたときは明るく励ましてくれる。刺のない言い方だけど、核心をついている。
「まぁ、また来るからな。じゃあ」
紙袋を持ち、腰を浮かした。
「またね」
慎太郎が出て行ったあと、クリスマスプレゼントを見つめる。
絶望のクリスマスにやってきた、いつもの友達のサンタ。
いくら何でもタイミング良すぎだろ、と逆に笑えてくる。今度は、嬉し涙が溢れてきた。今日は感情がいろいろと忙しい。
今度、ちゃんとお返ししなきゃな。
ありがとう、と改めてメールを送った。
続く