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空音
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シュメール
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【半年後】
今日はジトジトとした天気だった、年末にも関わらず、総勢十五名の講習生が桜子の小説教室には参加していた
暖房の効きの良すぎるカルチャーセンターの教室で、桜子は心ここにあらずといった様子で、始まる前から気の抜けた声でやる気なく進めていた
あれから春ウララとは、大人しく慰謝料を払うことで決着がついたが、狐塚に支払う弁護料が思っていたよりもずっと高くついたため、結局は弁護士などを通さず、最初に通知書が届いた時点で大人しく言われるままの金額を払っていた方が、よほど安くあがっていた損失で終わった
そんな手間暇かけた出費を思い返すたび、桜子は胸の奥がきゅっと締め付けられた
慰謝料を払うために、最初は親や兄に泣きつくことも考えたが、それこそ家を勘当されるのがオチだと思い直し、誰にもバレずに金利の高いカードローン会社から借りて、自分の手で返そうと決めた
金利が凄く高い借金を返すには働かなければならない、だから先月から桜子はあれほど嫌がっていた兄の工場に、仕方なく社員として入り、検品作業に明け暮れる日々を送っていた
しかし、今、働きながら隙間時間を見つけて小説を書くということが、想像していたよりもずっと難しいことを、桜子は骨身に染みて感じていた
日中は8時間、朝から晩までほぼ立ちっぱなしで働き、週末の休日にこそ小説を書こうと意気込んでいても、体が疲れすぎていて、パソコンの前に一時間と座っていられないのだ、ストーリーを考えようとするが疲れた脳は真っ白で、キーボードを前にしても指が止まったままになる
2000文字程度の月二回の小説教室の授業のレジュメを、ワードでただ作るだけでも今はとても体力的にキツい、春ウララをはじめとする兼業作家というのは、よほどの体力お化けでなければ続けられないことだろうと、桜子は密かに思うようになっていた
かつては鼻で笑って「本業がありながらこれだけ書けるなんて」というただの感想が、今では純粋な驚嘆に変わっている
そして「春ウララ」はといえば・・・桜子との訴訟の一件以来、思いもよらない行動に出ていた
彼女は「匿名掲示板被害者の会」を立ち上げ、自身の経験を元に、根拠のない誹謗中傷を受けながらも、何も出来ずに泣き寝入りを続けてきた作家達、一人一人に声をかけ、憶測と害悪しか生まない匿名掲示板の在り方そのものを問う「匿名掲示板廃止の署名運動」を精力的に広げていた
匿名で発せられる情報ほどあいまいで不確かなものはない、そして裏も取らず、誰が発したかも分からない言葉を真に受けるバカがまた別の場所で広める、そんな世間知らずの連鎖が、結局は誰の役にも立たず、世の中に混乱と害悪だけを撒き散らしているのだと、春ウララ率いる被害者の会の連中は自身のSNSでそう語っていた
その活動の輪は少しずつ広がり、賛同する作家や読者の署名も日に日に数を増しているようで、その甲斐があってかどうかは分からないが、「5ちゃんねる」は2026年6月に一度閉鎖された
しかし、すがりたい人間がいる限り、新興宗教が決してなくならないように、誰かの噂話をしたい人があつまる匿名掲示板もまた、サーバーのドメインを変え、ほどなくして静かに復活していた
桜子自身はもう、その掲示板を見ることはなくなっていた、工場の検品作業で荒れた指先は、かつてのように夜な夜なキーボードを叩くこともなく、日々ベルトコンベアーの前で検品作業や工場の人間関係の方がリアル過ぎて、ネットの世界の事など、今や遥彼方の別世界で、どうでもよかった
桜子は思っていた・・・つい数か月前までは、親の建てたあの古い家で、二十四時間を小説だけに費やせる時間があったはずなのに・・・
それなのに自分は、その貴重な時間を使って他の作家を匿名掲示板で批判し、結局は慰謝料と借金をこさえることにしか使わなかった、もっと真剣に小説と向き合っていたら、そんな貴重な執筆に時間を費やせていたら、もっと何か書けていたはずなのに・・・そう悔やんでも、もう遅い、自分は奴隷のような拘束労働者になった
兄の工場で働き出してから小説はまったく書けていない、土日の休日は体力が続かず、ただ泥のように眠って過ごすだけの日々になっていた
―本当に私は、一体何をしているんだろう―
そんな思いを抱えたまま、桜子は目の前の生徒たちの原稿をぼんやりと眺めていた、今日と月末の一日を最後に小説教室も閉鎖するつもりでいた
だから今はもう、何かを教えようという気力すら湧いてこない、一分でも早く帰って週明けの仕事のために体力を温存して眠りたい
コメント
3件
どうかまっすぐに生きて😌🙏いつか自分にしか書けないものを書ける日が来るのかな…

よかった、払ったんだね…
うわあ……ずっしり来ました。半年後の桜子さん、あれだけ小説に全てを注いでいた人が、借金返済のために工場勤務で指先荒らして、書く気力すら枯れてしまうって、本当に辛いですね。兼業作家を「体力お化け」と認めるシーン、かつての自分を嘲笑うような皮肉が効いてる。春ウララの署名運動が掲示板閉鎖にまで至った流れも興味深い。でも匿名掲示板が復活する描写、「すがりたい人間がいる限り」って一文が重かったです。