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湊にごはんに誘われた時、本当は「行く」とすぐ言いたかった。
木曜日を過ぎれば、湊がいなくなってしまう。
だから湊が誘ってくれたのはわかっていたし、私も会いたかった。
湊が私を幼なじみとしてしか見ていないとしても、大事に思ってくれていることはわかっている。
もしかして誘ってくれたことに意味があるかもしれない、と思いたい気持ちもあった。
“湊が30歳になったら……。30歳になってもまだ結婚してなかったら、どうするの?”
私は今だれとも付き合っていない。
でも湊が原田くんとうまくいけばいいと思っているのはわかっている。
それでも、私も湊も今恋人はいないし、もしその状態で湊が30歳になったらどうするのか―――私との約束を守ってくれるのか、そのつもりがあるのか知りたかった。
でも尋ねた後、湊は言葉に詰まって沈黙が続いていた。
なにか考えているのはわかるけど、言えることがないことが、答えだった気がした。
湊があの約束を忘れているわけじゃないだろう。
でももう10年も経っている。
あの約束を履行できるほど、お互いの状況が変わらなかったわけじゃない。
現にあの時、両親は私の一番近くにいる男の人は湊だと思っていたけど、今は原田くんだと思っている気もしていた。
木曜日湊に会えたら会いたいと伝えてから数日、湊のことも、うちを手伝い続けてくれる原田くんのことも、頭から離れない。
突然に、でも確実に私の家族にとって、原田くんの存在が大きくなりつつある。
それをなんとも言えない気持ちで見つめていた。
迎えた月末、お父さんのお店の棚卸しの日。
仕事が終わって急いで店に顔を出すと、Tシャツとジーンズという姿の原田くんが、お母さんの棚卸しを手伝ってくれていた。
「わ、原田くんありがとう」
「いや、全然。多田さんもお疲れー」
「若菜お帰り―。バインダーそこにあるから、そこにある商品数えてくれる?」
「わかった」
棚の上にあったバインダーを手に取り、作業しているふたりの見よう見まねで商品を探し始めるけど、後ろにいる原田くんが気になって、振り向いて尋ねた。
「原田くんはいつから来てくれてるの?今日って休み?」
手伝ってもらえると聞いていたとはいえ、今日は平日だし、仕事があったはずだ。
「あ、うん、今日は休み取ったんだ。来たのは昼過ぎで、でも始めたのは2時間くらい前かな」
「そうなんだ」
そこで「ごめんー」とお母さんが口を挟む。
「ほら、となりの清水さんがフィットネス始めたって聞いて、私も興味が湧いてね。原田さんとこのジムってどんなのか、いろいろ聞いてたの」「あぁ、それで」
湊のおばさんがジムを始めたのは、すこし前にお母さんから聞いていた。
お母さんもやりたいと言っていたし、原田くんに尋ねて脱線してもおかしくはない。
(それにしても……)
お母さんは原田くんとほとんど面識はなかったはずなのに、ふたりの様子は打ち解けて見える。
お父さんが倒れて、家のこと、お店のこと、どうしていいかわからなくて憔悴していたから、こうして手を差し伸べてくれる原田くんの家のことを、ずいぶん頼りにしているんだろうな。
ふたりが仲良くしていることを、よかったと思う反面、息苦しく感じるのはどうしてだろう。
その違和感を掻き消すように、私は話を戻して尋ねる。
「それで、棚卸しは今どれくらい終わってるの?」
「ええと、7割くらいかな。お母さん小さい字見えづらくて手間取るのよー」
確かに表の字は小さく、作業してみると、思った以上に骨が折れた。
お父さんの店は広くはないけど、近隣に中学や高校もあり、部活で必要なものを揃えられるよう、さまざまなジャンルのスポーツ用品を扱っている。
お父さんなら商品名と商品をすぐ一致させられるけど、私たちは3人とも詳しくないし、どこになにがあるのかすらあまり知らない状況での棚卸しだ。
効率が悪く手間取りながら作業を進め、2時間後。
ようやく終わった時には、変に肩が凝っていた。
お母さんがお茶を淹れてくれ、お店裏の四畳半ほどの雑務スペースに座る。
「やっと終わったね。原田くんありがとう」
「いや、お役に立ててよかったよ」
原田くんに頭を下げると、お母さんも「本当ありがとうね」ととても嬉しそうだ。
「渉くん。じゃあごはん食べに行きましょうか」
てっきりうちでお寿司でも取るのかと思っていたけど、駅前の和食料理屋さんにごはんを食べに行くらしい。
なんでも最近できたおいしいと評判のお店に、お母さんが行ってみたかったそうだ。
時計を見れば、時刻は午後8時。
湊のお店は午後9時ラストオーダーで、仕事が終わるのはだいたい午後10時くらいだと思う。
(それまでにお開きになっていればいいな)
湊には終わったら連絡すると言ったし、湊もそう言ってくれている。
でも湊が終わった時、まだお母さんや原田くんといたら、湊はそのまま家に帰ってしまうだろう。
そうなると、湊が行ってしまう前に会えるかわからない。
会ってどうするかわからないけど、でも……。
湊がすこしでも10年前にした約束を気にしてくれていたら、湊とこのまま終わりたくはなかった。
お母さんが行ってみたかった和食のお店は、個室の座敷もある落ち着いた小料理屋さんだった。
おいしい料理を前に、お母さんは珍しくお酒も飲んでいる。
終始機嫌よく原田くんに話しかけているお母さんと、愛想よく返事する原田くんを見ながら、私も笑顔で話に相づちを打った。
お父さんは普段日中はお店にいたし、私も仕事で家にいなかったから、お母さんは家でひとりのことがよくあった。
だけど不安がなく安心してひとりでいられたのと、不安な中でひとりでいなければいけないのとは違う。
今お母さんが孤独と怖さを感じているのはわかっているから、頼れる人がいるという状況は、お母さんにとって安心できることだろう。
お母さんとお父さんが楽になれるよう配慮してくれる原田くんに、感謝している。
だから湊のことが気にかかっていても、先に帰るなんて言えなかったし、ふたりが楽しくいてくれるよう、私も笑っていた。
食事も済み、世間話がひと段落したところで、お母さんは含んだような目を私に向けた。
「ねぇ」ともったいぶったように言って、私を原田くんと交互に見る。
「あのさ、聞きたかったんだけど……渉くんと若菜って付き合ってるの?」
好奇心とも期待ともつかない輝いた目を見て、うっと言葉に詰まる。
なんとなく誤解している気もしていたけど、本当にそんなふうに思っていたんだ……。
となりに座っていた原田くんはすかさず「違います!」と否定し、ほっとして彼を見れば、顔が真っ赤だ。
「違います、多田さんとは付き合っていません!」
「あら、そうなの?うちのこと気にかけてくれて、よくしてくれるし、若菜とも親しそうだから、そうなのかなって思ってた」
「いや、そんな!違うんです」
どうやらお父さんは、原田くんが私を好きだと言ったことを、お母さんに伝えてはいなかったらしい。
言わないでいてくれてよかった、と胸を撫で下ろしながら、付き合っていないことが残念そうに見えるお母さんを、何とも言えない気持ちで見ていた。
「俺が、おじさんに多田さんを好きだって言っちゃったのが早すぎたんで。すみません!」
彼の発言に再びお母さんは「えっ」と前のめりになり、私は気を落ち着かせようと、飲もうと手を伸ばしたウーロン茶のグラスを落としそうになった。
「えっ、渉くん、若菜が好きなの?」
「えっ、あっ……。それ聞いてなかったですか!?」
原田くんは私に告白した時、私のことが好きだとお父さんに先に言い、その話が私に回ったと信じ込んで、慌てて私に連絡をくれていた。
ここでもたぶん、似たような勘違いをしたらしい。
お父さんがお母さんには話をしていたと思っていたようで、「えっ!?」と軽いパニックになっている。
「聞いてないわよ、えっ、若菜、どういうこと!?」
聞かれても私も軽いパニックだし、頭が回らない。
(なんでそんなことに……!)
心の中で叫ぶけど、いい返事なんて思いつくわけがなく、向かいで真っ赤な原田くんが続ける。
「あっ!告白といっても、俺、多田さんじゃなくて、先におじさんのほうに言ってしまったんです!」
「え?」
「それで、おばさんにも話が回っているかと思って……。多田さんには、先におじさんに言ってしまった後で、気持ち伝えたんですけど」
「そうだったの!お父さんにも聞いてなかったわ。まぁ……そうだったの。そうかぁー……!」
お母さんは興奮状態で、その向かいで原田くんは苦笑いを浮かべている。
(あぁ、どうしよう)
頭が痛い。
付き合っていないということはお母さんもわかっただろうけど、代わりに原田くんが私を好きだということがばれた上に、お母さんはそれをとても好意的にとらえている。
いずれわかることだったかもしれないけど……できれば知られたくなかった。
(それって)
やっぱり、私が湊を好きだから……。
まだ湊との可能性を諦めていないから、原田くんの好意に困惑している自分がいる。
「じゃあ、そういうことなら、私は先に帰るわ。あとはふたりで飲み直したりしてくればいいからね」
頭を抱えたくなっていた私に、お母さんは驚くようなことを言い、席を立つ。
「えっ?」
びっくりして目を見開き、視線を落としていた私は反射的に顔をあげた。