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この土日の間に私はレコーダーをネットで購入した。
人事部に訴えるにはそれなりの証拠が必要らしい。
会社として公正な判断をして欲しい。
私の希望はそれだけだった。
「これでオンを押すだけ……」
しかし、私は今でもためらっていた。
こんなこと本当はしたくない。
私が退職して解決するなら、とも考えた。
でもそれじゃあ逃げ出しただけだ。
自分の過去のトラウマからも。
有紗には何も伝わらずに、私が消えただけになってしまう。
今はもう、こうするしかない。
いざという時に正当に判断してもらえるように、私は証拠を揃えることにした。
もう、我慢が出来ないと感じたらすぐに人事部に証拠を提出する。
かつては友達だった人を訴えるということは私だって相当気持ちを鬼にしなくてはいけない。
そんな大事に出来ればしたくない。
でも……自分を守らないと、私の方が先に心をやられてしまうから。
月曜日の今日、レコーダーをカバンの中に潜ませて出勤する。
レコーダーを入れるからには、有紗にはすべてをはっきり伝える。
嫌なことは嫌だと、やめてと伝える。
それが私のすべきこと。
周りの空気に流されてはいけない。
それでもしこの段階で彼女が謝ってきたら、証拠品はすべて捨てる。
自分なりに覚悟を決め、オフィスに入る前にボイスレコーダーのスイッチを入れた。
オフィスにはすでに有紗がいて出社していた。
金曜日はあんなに怒った。
私があれだけ感情をあらわにしたのは初めてだっただろう。
もしかしたら、今日は話しかけて来ない可能性もあるかも。
それならそれでいい。
私の後ろの席に座ってパソコンを触っている有紗を横目に、私はみんなに挨拶をして、自分の椅子に座ろうとした。
その時。
「きゃっ!」
座ろうとしたはずのイスがそこにはなかった。
「痛……っ」
思いっきり尻餅をついた私。
座ろうとした椅子を有紗によって思いっきり後ろに引かれていた。
「あはははは!ちょっ、朝から笑わせないでよ」
盛大に転び、有紗が笑ったことで他の社員さんが心配そうに駆けつける。
「だ、大丈夫?」
「聞いてくださいよ〜里子ったら、座ろうとして急に転んだんですよ〜
やっぱり持ってるねー!」
偶然に見せかけようとしているけれど、私は知っている。
有紗がイスを引いたことを。
「怪我はない?」
「あ、はい……」
今までならこういう時、流して終わらせていた。
でもそれじゃあ周りにじゃれているだけだと思われてしまう。
「イス引いたの、有紗だよね?」
「えっ」
私がみんなの目の前でいい返してくると思わなかったんだろう。
有紗は戸惑った表情を見せつつも言った。
「まぁ……だって、昨日めちゃめちゃ怒ってたんですよ、里子が。だから朝から笑わせてあげようと思って~優しさを見せた、みたいなところですよ」
ただ〜しただけ。
した方がそう言ったらされた方までそう思わなきゃいけない。
そんなことは絶対にないんだ。
「痛いよ、こんなことしたらケガするよ」
私は真面目な顔で彼女に訴えた。
「何よ~ちょっとからかっただけじゃん?里子を笑わせてあげようと思ったの、元気出たでしょ?朝からみんなに注目されて良かったじゃん」
「出てないよ、朝から嫌な気持ちになった」
私がハッキリと伝えると、周りの人たちはおろおろと私たちを見る。
いつもの雰囲気と違うからだ。
そして、上司が仲介に入ってきた。
「まぁまぁ……大事にはならなかったってことで」
そうやってなだめられた私。
「もう~そんな風に言われたら有紗こわぁ~い。暗い表情だったから笑わせようとしていただけなのに」
「岡本さんは安藤さんを笑わせようとしただけだって言ってるし、許してあげなよ」
たったそれっぽっちと言われればそうなのかもしれない。
でもずっとその言葉で我慢させられてきた。
もう泣き寝入りしたくない。
「私がもし怪我をしても同じように言えますか?」
「ちょっと、里子!しつこいよ?こんなことでさ、朝のみんなの時間奪って楽しいわけ?」
みんなが集まるところで、私が有紗から説教を受ける。
やっぱり、伝わらないの……?
そう思ったその時、三浦さんが言った。
「でも本当にケガをしてしまう可能性があるから危険よ」
「三浦さん……」
女性のビシっとした声で固まる周り。
有紗側についていた、男性上司がバツが悪そうにうつむく。
そして。
「た、確かにケガはよくないな」と意見を変えた。
有紗はその言葉で不服そうな顔をしていた。
「こういう危険なことはしないように」
さすがに上司から言われたことにより、有紗は謝るしかなく、しぶしぶ「ごめんなさい……」と伝えてきた。
良かった……。
私は三浦さんに頭を下げた。
それからイスに座っていると、三浦さんに話しかけられた。
「ちょっといいかしら?」
「はい……」
なんだろう……?
廊下に出て人の少ない自動販売機売り場にやってくる三浦さん。
すると彼女は言った。
「この間のお食事会の……フォロー出来なくてごめんなさいね」
「えっ」
「あなたがやったんじゃないって分かってはいたんだけど、変に介入する方が話を盛り上げちゃうんじゃないかと思って」
そっか三浦さんも分かってくれていたんだ。
「私じゃないって分かってくれたんですね……」
「ええ、彼女の大きな声は少し厄介ね」
三浦さんは知らないんだ。
あれは偶然落ちていたわけではなく、彼女が仕組んだことなんだって。
三浦さんにだったら伝えてもいいかもしれない。
「実はあれ……有紗が持ってきて私が落としたように仕組んだらしいんです」
「ええっ!」
「なんでそんなこと……まるで嫌がらせじゃない」
普通はそう思うよね。
「ケンカしたとかではないのよね?」
「はい……有紗は嫌がらせのつもりはないんだと思います。ただ……そっちの方が面白いからやってるって言っていました」
三浦さんは今まで有紗の性格が分かっていたかったようだ。
「彼女がそんなことしてたなんて……ヒドイわね。でもそんなことをわざわざする意味って彼女にあるのかしら?」
「有紗は昔から私をイジって笑いをとるのが好きなんです。だから場を盛り上げるためにやったのか、私の反応を見るためか……だと思います」
すると三浦さんは考え込んだ様子で言う。
「それは問題ね……今日のもそうだけど、イジリの怒を越していると思うわ」
真剣に考えてくれる三浦さん。
良かった、分かってくれる人がいて。
今日もきっと三浦さんがいなかったら、私の泣き寝入りで終わっていただろう。
いつものように流されて、私だけが笑われて終わる。
毎回の繰り返しだったに違いない。
「どう対策したらいいかしら?」
「えっ」
私は三浦さんの言葉に驚いた。
まさかここまで親身になってくれると思わなかったから。
「私が入ることで、その話題を変に盛り上げてしまうこともあるかなと思っているの」
確かにそうだ。
今日でこそ、途中までこれはイジリなんだから我慢すべきみたいな風習になっていた。
そこへ注意して上手く収まってくれる時もあれば、さらに盛り上げようとしてくる時だってある。
言ってもいいのかな、今しようと思っていること。
でも……そんなことで人事部に報告するなんてって思われたりしないかな?
言い出すまで少し怖ったけれど、三浦さんなら大丈夫だと思って私は伝えることにした。
「あの……実は人事部に報告しようと思っています。
イジりに対して適応するのかはまだ自信が無いんですが、容姿のイジリや仕事の押し付けなどもあって……このままこういう生活が続くと正直私も自分が壊れてしまうんじゃないかって思っています」
「そうだったのね……そんなに悩んでいたのに、相談に乗ってあげられなくてごめんなさい」
「いえ……」
「あなたが自分らしく仕事を出来ない要素があるのであれば、人事部への報告は立派な理由になると思うわ」
三浦さんは親身になって話を聞いてくれた。
「ありがとうございます」
「これから私のあなたと岡本さんの関係を注意深く見るようにするから。何かあったらなんでも相談してちょうだい」
話してよかった……。
受け入れられるか不安だったけれど、誰かひとりでも味方してくれる人がいるんだと思ったら心強かった。
それから数時間後──。
仕事がひと段落ついて、休憩をするために廊下を歩いていると「里子」後ろから有紗に声をかけられた。
有紗は三浦さんに怒られてから、少し反省したのか私にかかわって来なかった。
でも呼びかけたってことは、何を言うつもり?
不信感を抱えたまま、振り返る。
すると有紗は怒ったように言った。
「さっき三浦さんと何かコソコソ話してたよね?」
「別にいいでしょ」
「前から思ってたんだけどさ、三浦さんとか竹内さんを味方に付けて、私のことイジメようとしてるでしょ」
「えっ」
有紗のまさかの発言に私は言葉を失った。
「イジめって何言って……」
「だって最近、私が面白いこと振っても何にも答えようとしないよね?そうやって私のこと無視して仲間作って、孤立させようとしてるんでしょ?」
有紗が何を考えているかさっぱり分からない。
どうしたらそんな思考になるの?
「あのね、私は何回も言ってるけどイジられるのが嫌なの。有紗はイジって楽しんでるのかもしれないけど、私はその度にたくさん傷ついてるんだよ」
私がハッキリ伝えた言葉に有紗は大きい声で言った。
「はい、出た~マジレス~!みんな空気読んでイジってあげてるのに急にマジになって、嫌だった!とか説教するの引いてるからね?里子は知らないだろうけど……」
「じゃあ私の気持ちを伝えるのはダメなの!?」
「あのさぁ、今日だって見たでしょ?里子が急に怒り出したの見て、社内の全員ノリ悪いって引いてたじゃん。せっかく人が面白いネタ提供してあげてんのにあんな返しするとか、お笑い芸人ならクビだね」
ビシっと指を差して私に言う有紗。
「私はお笑い芸人でもなんでもない!」
「はい、でたそれもマジレス~~~超つまんなぁい」
「ちゃんと私の話、聞いてよ」
「つまんない返し、アウトーーー!」
そう言ってゲラゲラ笑う有紗。
「もう、いい……」
「今度から会社のみんなでアウトーーって言ってあげればいいや。みんなに行言っておくねぇ?つまらない芸人さん」
彼女はそんな言葉を残しながら去っていった。
はぁ……疲れる。
面と向かって伝えたところでこれだ。
私がもっと早く伝えられたら、変わっていたのかな。
でもずっと逃げてきた結果、こうなったんだもんね。
今回はしっかり最後まで向き合わないとダメだ。
自分の証言を説明するために。
それから有紗は言っていた通り、色んな社員さんに「今度里子がつまんないこと言い出したらアウト―ってみんなで言いましょうね」と話していた。
さすがに聞いているのは部長くらいだったけれど、私はその会話を聞いているだけで何も反応しなかった。
全部反応していたら、身が持たない……。
それから私は仕事に集中することで有紗の存在を消すことにした。
19時半──。
今日は早く帰ろうと思ってたけど、すっかり遅くなっちゃった……。
まだ残っている人に挨拶をしてオフィスを出る。
するとエレベーターのエントランス付近で有紗を見つけた。
珍しい、有紗がこんな時間までいるなんて……。
するともう一人、有紗の横には人影が。
誰だろう?
覗いてみると、そこにいたのは竹内さんであった。
なんで竹内さんが!?
とっさに隠れて2人の話に聞き耳を立てる私。
私と関係ないことだったらすぐ去るから……今だけ許して。
何話してるんだろう……。
「話ってなんでしょうか?」
竹内さんが言う。
ってことは有紗が呼び出したってことか……。
「昨日、里子大丈夫でしたか?」
私の話してる……。
なんか嫌だな。
「大丈夫とは?」
「ほら、あの日の夜の事件あったじゃないですか~」
すると今度は有紗が小さな声で言った。
「里子がコンドーム持ってきてたやつ……竹内さん、連絡先交換してたしアピールとかされて大変だったんじゃないかなって思ってぇ」
やっぱり、その話。
あえて振っているんだろうな。
「そんなことありません」
「それは良かったです……でも里子って、ガツガツしててみっともないですよね~。嫌なことがあったら遠慮なく私に言ってもらっていいですからね!里子に強く言っておきますから」
有紗、裏でそんなこと言ってたんだ……。
今更驚くとかはないけれど、人を落として自分はいい人ぶっているんじゃないかと思っていたのは、考えすぎじゃなかった。
もう、いい……。
彼女は私がいくら言おうが気づかないんだって分かったから。
すると竹内さんが冷たい口調で言う。
「ではご自身にお伝えいただけますか?」
「へっ?」
「見ていて感じが悪いです。あなたのその里子さんへの対応や接し方」
「なっ……」
竹内さんからハッキリ言われ、有紗は目を丸めた。
竹内さんだけだ。
一度も私をイジらず、私のことをくみ取ってくれたのは。
すると有紗は明らかにムッとしながらも言い返した。
「竹内さんって真面目じゃないですかぁ、だからノリとかあんまり分からないと思うんですけど、あれは場を盛り上げるコミュニケーションなんですよ?みんなは気づいてると思いますけど……」
「では安藤さんの気持ちになったことってありますか?同じことされたら、あなたならどう思いますか?」
「どう思うって……私はイジられキャラではないので分かりません」
「想像も出来ませんか?」
竹内さんの物言いに有紗はカチンと来たようだった。
「あの!何が言いたいんですか?里子の気持ちになんてなれませんよ、彼女は彼女のキャラがあって、私には私のキャラがあるんですから!」
「では嫌だと思っているキャラを押し付けられたら、あなたはどう思いますか?」
竹内さんの畳み掛けに有紗はぐっと黙ってしまった。
「嫌かどうかは知りません、でもイジリなんてテレビで芸人さんだってやってるし、それで笑いを取ってるじゃないですか?それって美味しいって思ってますよね、きっと」
「それを見て笑っているのは、やっている側の有紗さんだけです。それはイジりとは言わないんじゃないですか?」
竹内さんの正論に有紗はさらに声を荒げた。
「イジりですよ!こっちがそう言っているんだからそうなんです!」
「すべては受け手側が判断するんですよ。もし、受け手側がそう思っていなかった場合、あなたのやってきたことの数々を訴えることだってできます」
「なっ……」
訴えるという言葉が出てくると思っていなかったんだろう。
有紗の勢いは完全に止まってしまった。
「う、訴えるって大げさな……そんなこと誰かに言ったら笑われますよ」
「本当にそうでしょうか?ご自身のしたこと、今一度よく思い出して見てください」
竹内さんはそう伝えて去っていく。
しかし有紗はその竹内さんの背中を睨みつけていた。
ぐっと握りしめた拳が震えている。
そして静かにつぶやいた。
「なんなの、あの男……」