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――あのお祭りのあった夜から、僕と葵は『変化』した。
『幼馴染』から、『恋人』という関係に。
「なんかさあ。は、恥ずかしいね」
「そ、そうだね」
放課後。僕達はこれまでと変わらず、葵の家で勉強を教えるために一緒に下校をしているんだけど、やけに緊張する。
指を絡ませ合って、手を繋ぎながら。
「な、なんか喋ってよ、憂くん」
「喋ってって言われても……話題が見つからなくて。葵はどうなの? 何かない?」
「お、思い付かないから訊いてるの! なんだろ。不思議なんだけどね。確かに緊張してはいるんだけど、それ以上に、心が踊るような感じがしてて」
「心が踊る? ウキウキしてるような?」
「そ、そう! それそれ! ウキウキしちゃってて、そのせいで頭の中がふわふわして。だから何も思い付かないんだよね」
なんだか不思議だなあ。
ついこの前、葵は抱き付くようにして、僕の腕にしがみついてきたりしてたのに。
それなのに今は、手を繋いでいるだけで頭の中がふわふわしているだなんて。
でも、僕もそうか。
葵の指先がほんの少し触れただけで、心臓が跳ねるような感覚を覚えるし。
『恋人』という、たったそれだけで世界が違って見える。
でも、ふと思った。
僕と葵は、関係性の名称が変わっただけなんじゃないのかと。実際には、僕達はもっと前から付き合っていたんじゃないのかと。
でも、ちょっとだけだけど、さっきまでガチガチだった葵にいつもの笑顔が戻ってきた。
その笑顔を見ていると、僕の心の中のこんがらがった糸のようなものが、心なしかするすると解けていくようだった。
『陽向葵』という存在は、やっぱり僕にとっての太陽なんだと再確認できた。
正直、ぎこちなさはまだ残ってるけど、焦る必要はない。
少しずつ、『恋人』として。そして、『彼氏』と『彼女』として、一歩一歩前に進んでいけばいい。
そう思いながら歩みを進めていると、葵が僕の手をぎゅっと握り直してきた。
何故か、たったそれだけで、僕達はもうすでに一歩前に進んだ気がした。
恋人らしく。
* * *
「ど、どうぞ憂くん」
葵に促され、彼女の部屋に足を踏み入れる。『パタン』、とドアが閉められた瞬間、この部屋――いや、世界自体が小さくなった。僕と葵しか存在しない、世界。
「あ、ありがとう……」
そして、沈黙が訪れた。
窓の外の住宅街のざわめきも、夏の蝉の声も、全てがこの世界から消えてなくなってしまったみたいに。
とりあえず、僕はいつものようにローテーブルの前に腰を下ろす。そして葵はその対面に座った。そうなると、否が応でもお互いの顔を見ることになるわけで。
「あっ……」
僕と目線が合った瞬間、葵は顔を赤らめて、すぐさま視線を外した。それは、僕も同じく。
「な、なんか変な感じだよね」
「そ、そうだね。いつもと違う気がするよね」
お互いに顔を見ることができなくなってしまった……。さっき『一歩前に進んだ』って感じたわけだけど、あれ、勘違いだったのかな。
「あ。えーっと……。とりあえず私服に着替えちゃうね。ごめんね憂くん、私だけ」
「あ、いや。気にしないでいいよ」
葵はタンスの中からいつも通りTシャツと短パンを取り出して、それを持って部屋の外へと着替えに向かおうとした――のだが。
「ね、ねえ憂くん」
ドアを少し開けたところで、葵はピタリと足を止めて僕に振り返る。
「ど、どうしたの葵?」
「……憂くんも、み、見たいとか思ったりするのかなって思って」
「な、何がかな?」
「わ、私の着替えるところ」
葵は恥ずかしがるようにして、つと下を向いた。頬は、季節外れの桜のような色に染まっていた。
一瞬、呼吸が止まるかと思った。マズい。冷静にならなきゃ。
そう思いながら、必死に自分の心を落ち着かせようと下を向きながら、バレないように深く息を吸い込み、吐き出した。
「て、冗談冗談。あははっ。私、何言ってるんだろうね」
恥ずかしさを笑いでごまかすように、葵は視線を逸らした。そして、言葉と笑顔を残して、葵は今度こそ部屋の外へと出ていった。
僕が一人になったことを確認し、感情を一気に解放した。
「や、ヤバい。倒れるかと思った」
部屋を出ていく時に葵は笑顔で『冗談』と言ってたけど、いや、あれって絶対本気だったよな……冗談の顔じゃなかった。
「でも、考えてみたら、いつかは僕達ってそういうことになるんだよな」
そんなことを考えてたら、胸がざわめき始めた。大波のように大きなざわめきが。
「クソッ。想像しちゃいけないと意識すればする程、頭の中が葵のことだらけになっちゃう。それに、僕達はまだ付き合い始めたばっかりなんだから。そんなことをするわけにはいかない」
そうやって無理やり、僕は自分に言い聞かせるように言葉にした。
「……駄目だ。ちゃんとしろ、僕。焦る必要はないって、さっき自分で言ってたのに。僕の理性、ちゃんと働いてくれよ……」
でも、そういえば。
僕は葵が部屋を出ていく時の様子を思い出す。そして気付いた。あの時の葵の背中から、『焦り』という感情を帯びていたことを。
きっと、葵も僕と同じように、どうしたらいいか分からなかったんだ。だから冗談でごまかしたんだ。
「――葵も今頃、自分に色々と言い聞かせてるのかな」
なんとなく、そんな気がした。
そして強く実感した。
恋人って難しい、と。
でも、それ以上に感じるんだ。僕は今、幸せなんだということを。
そんなことを感じながら、僕は熱の残る掌を見つめた。
『第18話 初めての』
終わり