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ひらひらと手を振って煙のように消える。高笑いだけが周囲に響き渡り、アバドンはどこかへ行ってしまった。その直後、二人の身体に魔力が満ち、さきほどまで重たかった身体が、心地良い寝起きのように楽になった。
「……ちっ。嫌な奴から施しを受けたものだな」
「もしかしてさっきの奴が?」
「ああ。何が目的なのかさっぱり分からん」
身体から僅かに漂う魔力の波動は紛れもなくアバドンのものだ。見たいものが見れてよほど満足だったのか、彼女たちがしっかり動けるほどの魔力を分け与え、一度は殺そうとしたにも関わらず二人を助けて去ったのだった。
「ねえ。なんだったの、あの魔物は」
「それが分かれば苦労しない」
額に手を当てて、深いため息を吐く。これまで多くの敵と戦い、魔王さえ討ったヒルデガルドも驚きを隠せない。アバドンはこれまでに会った魔物たちの中で、魔王にさえ匹敵してもおかしくないほどの強さを持っていた。
「……リッチロードではないのか、あれは?」
本来、リッチと呼ぶ魔物は、他の不死者《アンデッド》と同様に、生前に恨みや憎しみを抱えた人間の成れの果てが邪悪な気によって蘇った、魔王の力が及ばずに生まれる種類だ。本能的に人間を攻撃し、精気を吸い取って生き続ける。──だが、アバドンは何かが違った。やたらと理性的で、弱い者には興味を示さず、精気を奪ったりもしない。
誰かに操られているわけでもなく、自身の意思で面白おかしいと感じられるものを探しているような、不思議な魔物だった。
「色んな魔物がいるんだね。ところで、さっき凄く気になったんだけど、あいつが言ってた『真の敵』ってどういう意味? まさか飛空艇の騒ぎって、あいつがやったんじゃないってことだったりするの?」
すっと立ち上がって杖を片付けたヒルデガルドは、彼女に問われて静かに頷く。アバドンが言う、真の敵。その心当たりがあった。
「帰ったら話す。今は他にすべきことがあるからな」
「……あ。そうだね、みんなのところに戻ろうか」
今のところは静かだが、不時着した場所は名も知らぬ広大な森の中だ。安全とも言い切れないので、早めに戻って結界を張り直す必要があった。
見通しが悪いので距離はハッキリしなかったが、歩けばすぐに辿り着く。飛空艇は木々を下敷きにどっしりと構えており、デッキには大勢の乗客たちが外の様子を見て呆然としている。冒険者たちは飛空艇の周囲を警戒するために森へ降りていた。
「おお、あんたたち。どこへ行ってたんだ?」
一人の冒険者に尋ねられ、ヒルデガルドは頭を掻く。
「色々あって飛空艇から投げ出された。魔導師でなければ、今頃は森のどこかで死んでいたかもな。奇跡的に助かって良かったよ」
冒険者の男は頭に包帯を巻いていて、彼も今回ばかりはひどい目にあったと苦笑する。彼もまたデッキでコボルトたちを相手に戦っていたシルバーランクの冒険者だ。近くで見ていたヒルデガルドはよく覚えていた。
「そりゃ災難だったな。それで、さっきダンケンさんがあんたらのことを探してたみたいだったぞ。船長さんも随分心配してたから、はやく顔を見せにいってやりな。見張りの仕事くらいは俺たち低ランクの冒険者で十分だからよ」
疲れが表情に見えているが、デッキでの戦いのほとんどはヒルデガルドのおかげだと言って、自分から仕事を買って出た。彼女たちは「ありがとう」と礼を述べて握手を交わしたあと、飛空艇のデッキへ飛んだ。
既に大勢の乗客たちは意気消沈した様子で座り込んでいたり、何人かのグループを作って今後どうすべきかを話し合っている。カジノエリアで酷く騒ぎ立てたのもあってか、ヒルデガルドを見て臆病な顔をする者もいた。
人でごった返すデッキの中で、その隙間を縫うようにやってきた男がいる。いかにもな強面だがモフモフしたものが大好きなダンケンだ。二人を見つけて心底ホッとしたような顔をしながら手を挙げた。
「よう、デッキで襲撃を受けたって聞いてたが……」
「色々あったんだ。飛空艇が無事に着陸出来て良かった」
「どこまで礼を言えばいいか分かんねえな」
救われた命の多さを顧みて、自分たちが飛空艇で落ちる、落ちないと狼狽えていた間に、飛空艇を不時着させるために、彼女たちはどれだけ身を削ったのか。そう思うと胸が痛くなった。結局、自分たちは無力に等しかった、と。
「深く考えなくていい、君たちがいて助かったこともある。それより、これからどうするつもりだ? 飛空艇はもう飛べないんだろ」
「それを船長が今、何人かと話し合ってるとこだ。操舵室へ行ってくれ。あんたのことも随分探してて、船長も他の奴らも、かなり心配してる」
動力源を失った飛空艇で帰るのは不可能だが、都市から離れて大陸の空を飛びまわってかなりの時間が経過している。近くに村でも町でもあればと頭を悩ませているらしいと聞いて、状況はいまだ悪いままだと、ヒルデガルドはダンケンと軽い握手を済ませて別れてイーリスと共に操舵室へ急ぐ。
室内には船長のエイドルに加え、騒ぎの中、ただひとり乗客で戦闘に加わったアーネストと、商団長であるティオネの三人が顔を合わせている。ヒルデガルドたちの到着に、彼らの不安そうな表情は風に吹かれたようにフッと消えた。
「おお、お嬢ちゃん! 無事だったのか!」
「エイドル。すまない、デッキでの問題は解決したんだが」
「いいって。誰も死ななかったんだ、それで充分だろ」
エイドルは吸っていた煙草を皿に押し付けて火を消す。
「じゃ、お嬢ちゃんも無事だったし、本格的に相談と行こうぜ」