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翌朝。
オリビアは、いつもよりずっと早起きしていた。
理由は単純。――昨日のことが頭から離れなかったからだ。
(……あれは、何だったのかしら)
静かな夜の庭園で、王子がかけてくれたコート。
彼はそっけなかったけれど、間違いなく“優しさ”だった。
でも、なぜ今まで一言も優しいことを言わなかったのに、あのタイミングで――?
(……やっぱり、私に情けをかけただけ? 婚約破棄を言い出そうとしたから?)
「……情けなら、なおさら断ち切らなきゃ……」
オリビアは一人ごちると、王宮の庭園に向かった。朝の澄んだ空気を吸えば、少しは頭も冷えると思って。
だが――そこに、いたのだ。
木陰のベンチに座って、書を読む金髪の青年。
「……えっ」
(アルベール様!?)
朝の柔らかな光が、彼の金髪を淡く照らしている。
長い睫毛に、すっと通った鼻筋。どこまでも整ったその横顔。
その姿はまるで、絵画から抜け出した王子様だった――いや、実際王子様なのだが。
(な、なんでこんな朝早くに……!)
オリビアは慌てて茂みに身を隠した。がさり、と音がしたが、アルベールは顔を上げない。
(……気づかれてない?)
彼の視線は、本に落ちたままだ。
でも――
(……いや、あれは……)
明らかに“見てないふり”だ。
本を開いてはいるが、まったくページが進んでいない。
さっきから一ページを3分以上見つめている。絶対に読んでいない。
(…………)
オリビアの頬が、じわじわと熱を帯びていく。
(……王子様、私が来るのを……待ってたの?)
けれど、そんなことがあるはずがない。
だから彼女は、見なかったふりをすることにした。
――気づかないふりをして、通り過ぎよう。
そう決めたその時だった。
「……来ないのか?」
「……!」
声が、聞こえた。
低く、静かで、けれどまっすぐな声。
まるで、オリビアがそこにいると“最初から分かっていた”ような――そんな声。
オリビアは、ばれた!と思って飛び出す。
「す、すみません! あの、決して、隠れようとしたわけではなくて、その、朝の運動で!」
「……運動で、茂みに飛び込むのか」
「い、癖ですの!」
無理矢理笑顔を貼りつけたオリビアに、アルベールはふっと視線を向ける。
今日も、無表情。無口。冷たい。
だけど――
「……ここ、座ればいい」
彼は、隣のベンチのスペースを、ぽん、と軽く叩いた。
オリビアの心臓が跳ねる。
(な、なに……いったい、どういう風の吹き回し……!?)
だが、戸惑っている間に、王子はもう一言付け加えた。
「……話があるんだろう。昨日、言いかけた話。……聞く」
オリビアの息が止まった。
王子の目は、ちゃんと彼女を見ていた。
怖がるでもなく、逃げるでもなく、まっすぐと――。
(……ああ、やっぱり……)
言えない。こんな目で見られたら、やっぱり――言えない。
「……なんでも、ありませんの。きっと、疲れていただけですわ。夜風の中、お心遣いありがとうございました」
オリビアは小さく頭を下げて、無理やり笑顔を作る。
「私、もうすこしお散歩してきますね」
彼女はそのまま背を向けた。
でも、その背中に、アルベールの声が追いかける。
「……オリビア」
「……はい?」
「お前は、俺に“気づかれたくない”のか?」
「……え?」
「俺は、お前のことを……気づかないふりをするのに、ずっと疲れてたんだ」
「…………」
その言葉の意味が、頭の中で反響する。
(……今、何て言ったの?)
オリビアは振り返れなかった。
振り返ってしまったら、なにかが決定的に変わってしまいそうで――怖かった。
代わりに、そっと胸元を押さえる。
心臓が、どくん、と跳ねた。
(……やっぱり、このまま“気づかないふり”なんて……無理だわ)
彼女の目に映る朝の光景は、昨日よりほんの少し、眩しく見えた。