目黒と阿部は春の海に来ている。春の海、ひねもすのたりのたりかなと言ったのは与謝蕪村だったか。春は風の強い日も多いが、今日は暖かで無風。上着を着ていると汗ばむような陽気である。
二人が正式に付き合い始めてまだ二ヶ月ほど。付き合い始めた頃はまだ真冬の厳しい寒さが続くどことなく薄暗い季節だったが、今では風は柔らかさを増し、ほんの僅かに南国の匂いを含んでいるような気がする。
この二ヶ月間は互いの予定が合わず、外に出掛けることができなかった。二人揃っての外出は、目黒も阿部も心から楽しみにしていて、仕事場で会うたび、電話で話すたびに、今日のことはよく話題に上った。
🖤「晴れてよかったね」
💚「うん、本当にね」
並んで防波堤に座り、少し離れた位置で釣り糸を垂れている老人を見つけた。
🖤「いいなあ。俺も竿持って来ればよかった」
💚「そっか。釣り、好きなんだっけ」
🖤「全然行けてないけどね。阿部ちゃんも興味ある?」
💚「めめが好きなら、俺もやってみようかな」
それからしばらく寄せては返す波を見ながら、二人でなんてことのない話をした。
こんなにゆっくりとした時間が流れるのは二人にとって本当に久しぶりだったし、隣りには愛する人がいる。穏やかな二人の気持ちに応えるように、波の音が優しく耳に届いていた。
陽射しが思ったより強くなってきて、目黒はキャップを深く被り直しながら言った。
🖤「少し歩こうか。暑くない?」
💚「大丈夫。でも、何か飲もうか」
海の真ん前に建てられたカフェ。洒落た外観だが、潮風のせいかところどころペンキが剥げている。それでも外壁に使われているブルーは、目黒の好きな色に似ていた。部屋の壁紙にも拘って選んだあの色だ。
🖤「何か食べる?」
💚「ピザ。しらすのピザだって。俺、食べてみたいかも」
🖤「いいね、ここでしか食べられなさそう。飲み物は?」
💚🖤「ビール!」
二人声が揃って、思わず笑ってしまった。
まだ昼前。日が高いうちに飲む冷えたビールは背徳感の味。たまらなく美味く感じ、目黒は端正な顔を歪ませて唸った。
🖤「最高!」
阿部はまだ半分しかグラスを空けてないのに、頬がすでに赤くなっている。
💚「俺、そこまで弱くないのに。緊張してるからかな」
緊張してる、そんな一言が目黒には嬉しく響いて、恋している気持ちは同じなんだなと甘やかな充足感が胸を満たした。
💚「あ」
阿部が突然、何かを思い出したように小さく叫んだ。
🖤「どうかした?」
💚「車で来てたの、忘れてた」
🖤「あ」
二人とも海岸に近いパーキングに停めたままの目黒の車の存在を忘れていた。笑い事ではないのに、それだけ互いに夢見心地であったことの証左のような気がして、爆笑した。
🖤「運転は代行を呼べば何とかなるよ」
💚「それもいいけど…」
阿部はスマホをいじって、共有スケジュールの画面を目黒に見せた。
💚「どこかに泊まる?早朝に帰れば何とかなりそう」
目黒は通りがかった店員を呼び止めた。
🖤「すみません、ビールお代わりください。阿部ちゃんは?」
💚「え。あ。じゃあ俺は梅酒のソーダ割りで」
ついでに追加のつまみも頼んで、真っ昼間からの小宴会が始まった。
目黒と阿部の初めてのデートは、海の見えるカフェでのちょっとしたパーティの思い出。
おわり。
コメント
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楽しそー🖤💚 しらすピザもビールもおいしそうだし!
こーゆうほのぼのというか穏やかな雰囲気がよく似合う2人だわ‼️こっちまでな時間が流れて来るよ😊⟡.·
そうそう、通常回大事。 まきぴよさんの情景を描く言葉選びほんとに綺麗ですき(本日n回目) まったり空気伝わる〜😊