テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
そう語りかけてくる彼の瞳の奥に、ほんの一瞬。
獲物を捕らえた獣のような、冷たく濁った暗い悦悦が過ったのを、私は見逃せなかった。
「……婚約者、?」
その言葉をなぞるように呟いてみるが、心には何のさざ波も立たない。
ただ、ジェルと名乗った男の手のひらの熱だけが、私の頬に嫌なほど生々しく伝わってくる。
「そうだ。君は僕のすべてなんだ、シェリー」
彼は満足げに目を細めると、枕元にある銀の呼び鈴を小さく鳴らした。
音もなく現れたのは、影のように気配の薄い数人の侍女たちだ。
彼女たちは深々と頭を下げたまま、決して私と目を合わせようとはしない。
その不自然なまでの静止に、私は肌が粟立つのを感じた。
「姫様がお目覚めだ。最高級の果実と、体を温めるスープを用意しろ。……それから、着替えの準備も」
テキパキと指示を飛ばすジェルの横顔は、紛れもなく高潔な騎士そのものだった。
しかし、彼が私の寝衣の乱れを直そうと
白く細い指先を私の鎖骨のあたりに滑らせた瞬間、心臓が跳ねた。
それは慈しむ手つきというよりは
自分の領土に杭を打ち込むような、傲慢な独占欲を感じさせたから。
「ジェル様、自分でできます。……恥ずかしいですから」
精一杯の拒絶を口にすると、彼の動きが止まった。
宵闇色の瞳が、じっと私を見つめる。
「……恥ずかしい?以前の君なら、もっと甘えてくれたものだが。記憶と一緒に、私への信頼まで失くしてしまったのかな…」
悲しげに歪められた唇。
けれど、その声の低音には、逆らうことを許さない威圧感が孕んでいる。
彼は私の指先を取り、一本一本、愛おしそうに唇を寄せた。
「いいんだ。これから時間をかけて、思い出させてあげるよ。僕がどれほど君を愛していたかを」
運ばれてきた食事を、彼は自ら匙ですくい、私の口元へと運ぶ。
まるで雛鳥に餌を与えるようなその光景は、客観的に見れば至高の溺愛なのだろう。
けれど、飲み込むスープは、どれだけ温かくても私の体温を上げてはくれなかった。
食後
ようやく鏡の前に座ることを許された私は、絶句した。
鏡の中にいたのは、透き通るような白い肌に、吸い込まれそうなほど大きな瞳を持つ
類まれなる美少女だった。
そして、その頭上には、繊細な細工が施された重厚なティアラが鎮座している。
(これが……私?)
美しすぎるその造形に、猛烈な吐き気がした。
なぜか、この顔が「自分のものではない」という確信が、胸の奥から突き上げてくる。
背後に立ったジェルが、私の真っ白な髪に指を通し、うっとりと目を細めた。
「世界で一番美しい、僕の女王。君の欠けた記憶は、僕がすべて埋めてあげる。余計なものは何もいらない。僕の言葉だけを信じていればいいんだ」
鏡越しに目が合う。
彼の微笑みは、陽光を遮る漆黒のカーテンのように、私の世界を塗りつぶしていく。
私は知らず知らずのうちに、自分の腕を抱きしめていた。
窓の外に広がる王宮の庭園はあまりに広く、そしてこの部屋は、あまりに高かった。