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ともかく、もうオッケーなんだよな。
仕事の合間に有生はぼんやりとそんなことを考えていた。
……記憶にないとはいえ、俺はプロポーズし、夏菜は受けた。
あとは弾みをつけるだけだ。
黒木さんも認めてくれたことだし、と、
「えっ? 私にそんなだいそれた権限ありませんけどっ?」
と黒木が慌てそうなことを思う。
ともかく、あのぼんやり娘。
勢いに乗っているうちに説得しないと、なにかこのまま流されて、結婚しないままに共白髪を迎えそうだ。
と結納のときに持っていく白髪の老夫婦の人形を思い浮かべる。
お昼休み。
夏菜がロビーの自動販売機の前で、彩美たちと珈琲を飲んでいると物陰から有生が手招きしてきた。
すすすすっとさりげなくそちらに行くと、有生は、
「今日、ちょっと食事でもして帰らないか?
……道場にも連絡しておく。
別に平日でもマンションに泊まっていいとお前のじいさんも言ってたし」
と言ってくる。
「え、いや、でも……」
「いいじゃないか。
黒木さんも俺たちの結婚を認めてくれたことだし」
とその言葉が免罪符であるかのように押してきた。
「いやー、まあ、そうなんですけどねー」
と苦笑いでごまかした次の日、有生がまた手招きしてきた。
「上林さんも認めてくれたので、いいんじゃないか?」
「上林さん、最初から反対してないですよね……」
っていうか、上林さんにも訊きにいったのか、と思う。
そして、更に次の日、
「さっき電話で話したんだが、お兄さんも認めてくれたんで、いいか?」
いや、その人は最初から結構、乗り気ですよね……。
「社長、なにしてるんでしょうね」
と秘書室で夏菜は呟いた。
「そうですねー。
夏菜さんに直接訴えかけた方がいいのに。
仕事のときの根回し癖が悪い方に出ちゃったんでしょうね」
と上林は笑っている。
「もう一度、社長がちゃんとプロポーズしたら受けますよね? 夏菜さん」
と言われ、照れたように俯く。
「でもまあ、面白いから、もうちょっと見てたらどうですか?」
とひとごとなので、楽しげに上林は言っていた。
面白いからというのではないが。
こちらから、なにをどう言ったらいいのかわからず、夏菜は、そのまま有生が立ち回るのを眺めていた。
「元田も認めてくれたのでいいか?」
貴方、何処までいってるんですか……。
「水原も認めてくれたのでいいか?」
いや、もうその辺で、と思ったとき、社長室にいた有生は、指月を振り返り言った。
「指月、夏菜はもう俺のものになったんでいいよな?
みんな認めてくれたんだし」
「私は認めません」
「ほら……」
と言いかけた有生の表情が止まる。
認めない!?
と二人で振り返った。
「私は認めませんが、なにか」
と指月は言う。
「何故だ……」
「何故って。
藤原夏菜が好きだからです」
はい?
「いろいろ考えてみたんですが。
やはりそうとしか思えない気がします」
と言う指月を有生が、
「落ち着け。
血迷うな。
お前は優秀な秘書だ。
道を踏み外すな」
と必死に説得する。
……なにか、私を取られたくなくてではなく、本気で部下を心配しているように見えるのは気のせいでしょうか。
「道を踏み外し、二人で落ちていくのも恋ですよ、社長」
どうして私と恋をすると、道を踏み外して落ちていくことになるのですか、指月さん。
そして、どうしてその言葉に異議を唱えないのですか、社長。
「お前、単に、俺に持ってかれそうになって惜しくなって、そう言ってるだけなんじゃないのか」
「社長こそ、最初はあんなペットボトル一撃娘とか言ってたじゃないですか。
なんだかんだで藤原、人気があるので惜しくなっただけなんじゃないんですか?」
あったのか。
私は知らなかったが……と思う夏菜の横で有生が、
「そういうわけではないが。
確かに、誰かにとられそうだと思うと、より燃えるな」
と指月の主張に引きずられかかっている。
「うん。
絶対に夏菜を俺のものにしたくなってきたぞ。
すごく好きな気がしてきた」
催眠術ですか。
っていうか、今まではすごく好きではなかったのでしょうか。
私は結構……
すごく好きになっていた気がしますよ、今となっては、と夏菜は、ちょっと寂しく男たちのバトルを眺める。
「うん。
なんだかすごく夏菜を愛している気がしてきたぞ!」
と有生が高らかに叫ぶ。
それたぶん、ただの負けず嫌いですよね……。
有生の前に立つ指月が上司を見るとも思えない態度で有生を見、
「私も社長に藤原は渡しません。
私も彼女に結婚を申し込みます」
と言い出した。
負けず嫌い、ツー!
最早、愛が何処にあるのかわからない、と思いながら、なんだか事態がややこしくなってきたので、その日は三人で道場に帰り、夏菜の祖父に指月とともに話をした。
祖父、頼久は指月と有生の話を聞いて、ほうほう、と笑い、
「いやいや、夏菜は我が孫ながら、女らしさを育てそびれたなと思っていたから、嬉しいかぎりだ。
こんないい男たちが夏菜を争ってくれるとは」
と機嫌がいい。
「よし。
指月、社長に刃向かい、夏菜を手に入れようとしたその心意気に免じて、お前にも夏菜を争う権利を与えよう。
……まあ、正直言って、お前たちが争うのが、この夏菜でいいのかと申し訳ない感じだが」
と孫に容赦ない言葉を浴びせながら、頼久は言う。
「より大事にしてくれそうな方を夏菜の夫にしたいのだが。
そんなものはすぐには見極められぬから、より強い方が夏菜の夫ということにしよう」
何故っ?
「強ければ、とりあえず、夏菜を守れるだろう」
あのー、私の意思はどの辺に、と夏菜は思ったが。
開け放したままの和室の向こう、庭先で聞いていたみんなは盛り上がっていた。
「どっちに賭けるか?」
「やはり、有生さんだろう」
「いやいや、あの指月とかいう男、目つきも身のこなしもただものではないぞっ」
庭先で楽しげに賭けをはじめる弟子たちの間から、はいはいはいっ、と誰かが手を上げてきた。
「頼久様っ。
私もぜひっ、その試合に参加させてくださいっ」
銀次だった。
「お嬢を好きな気持ちなら、誰にも負けませんっ」
おおーっとみんながどよめき、喜んだ。
「よかろう、銀次。
お前も参加しろ」
すると、はいはいはいっ、とまた誰かが割り込んでくる。
「僕も参加しますっ」
雪丸だった。
「夏菜さんのことはちょっといいなーくらいにしか思ってませんけど。
参戦したいですっ、楽しそうなのでっ」
と陽気に言ってきた。
「よかろう」
いや、よくはないだろう。
うっかり雪丸さんが勝ったらどうするんですか。
ちょっといいなーくらいの人と結婚するハメになるではないですか、と思う夏菜を置き去りにして、すでに夏菜争奪戦の開催は決定しようとしていた。
「では、来週の日曜日。
レースを行おう。
一番にこの山を越え、夏菜の許にたどり着いたものが勝者だ。
お前たち、幾らでも妨害してよいぞ」
頼久の言葉に、おおーっとみなが盛り上がる。
「銀次っ、一歩も進めないと思えよ」
と兄弟子に言われ、銀次は、もう終わった、という顔をしている。
「これは意外と、誰からも狙われなさそうな雪丸が行きますかね」
と笑いながら加藤が言ってきた。
……確かに。
なにが起こるかわからなさそうだ、と夏菜は青くなる。
っていうか、日曜は社長と100均グッズの山とマンションでまったりな予定だったのに……。
「いやあ、私も妨害に参加してみましょうかねえ」
楽しげにそんなことを言ってくる加藤に、
「いやあの、加藤さんが参加したら、選手も妨害する方もみんな音もなく、一瞬で倒されて、死屍累々になると思うんで……」
私のもらい手が誰もいなくなりそうですよ、と思いながら、夏菜はただ茫然と盛り上がる男たちを眺めていた。
「……何故、こんなことになったんだろうな」
寝る前、ちょっと冷静になったらしい有生が、困ったことになったという風に言ってきた。
いや、あなた方の負けず嫌いのせいですよね……と恨みがましく夏菜は思う。
寒いがガラス戸を開け、縁側に腰をかけると、二人で星を眺めた。
山の上に光る白い大きな星を見ながら、有生が言う。
「……双方の親に挨拶して。
二人でクリスマスを過ごして、二人で新年を迎えたいなと思ってたんだ」
この間言おうとしていたのはそのことだったのですか、と思ったとき、
「それを阻むものなどないような気がしていたのに、何故、こんなことにっ」
とまた有生が言う。
「いや……阻んだのは、あなたの負けん気じゃないですかね?」
何故、自らピンチに向かって猛ダッシュしましたか、と夏菜は思っていた。
「でもまあ。
ちょっとお前に疑われている俺の愛を、お前に示すいい機会かもなとは思っている」
そう言出す有生に、
「ちょっと疑ってなんてないですよ」
と言うと、ん? と有生がこちらを見る。
「ものすごく疑ってます」
「お前な……」
と言われたが、始まりが始まりだったし。
今も二人、ただ呪いと祟りとなんだかわからない勢いに流されているだけのような気もしているし。
あなたに愛されている自信はありません、と思ったとき、有生がそんな夏菜の顔を見ながら、少し笑って言ってきた。
「……俺にゴールして欲しいか?」
いやいや、なに訊いてくるんですか。
それに、はい、と言ってしまったら、あなたと結婚したいですと言っているのと同じですよっ。
でも、いいえ、とは言えませんしね、と焦った夏菜は、
「ど、どうでしょうねっ」
と言って、強がってみたのだが。
結構、赤くなってしまっていたので、あまり効果はなかったかもしれない。
そんな夏菜を見て笑ったあとで、有生は、
「ま、たぶん、大丈夫だ」
と言ってくる。
え? と有生を見上げた。
「お前の心が俺にあるのなら。
たぶん、俺はこの勝負に勝てる――」
そう言いながら、有生は、夏菜の手の上におのれの手を重ね、そっと口づけてくる。
夏菜が逃げないことがわかっているかのように。
押さえつけてくることも、不意打ちでしてくることも、もうなかった。