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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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バシャッと音と共に水の冷たさで目が覚めた。


傍《かたわ》らには口をへの字に曲げ、少し怒った表情のエマが桶を持って顔を覗き込んで居る。


無表情で有る筈の彼女だが、俺は最近、少しづつ彼女の微妙な表情の変化が判る様になってきた。


―――そうか、老師に圧倒されたのか……

(こうやって顔を覗かれるのも何度目だろうか…… )


「不甲斐ない…… 」


勢いよく老師に飛び掛かって行ったのは覚えてるが、途中でぷつりと記憶が飛んでいる。エマの顔はまるで、お前如きが適《かな》う訳ないだろうと言わんばかりである。身体を起こすとエマが汗拭きを口元に添えてくれた。


「いっ――――‼ 」


じゃりっと口の中に違和感と鉄の味が拡がる。身体はと云うとそこら中から痛みはあるものの、どうやら骨には異常が無い様だ。


「お⁉ 目覚めたか? いや、すまんすまん、久方《ひさかた》ぶりの組《く》み討《う》ちでつい滾《たぎ》ってしまっての、どれ大事ないか? 」


川で汗を流した老人が歩み寄り、エマと同じく覗き込む。


「ふむ、大事なさそうじゃの、エマが止めに入らんかったら危うかった、いや面目ない」


エマが老人を睨みつけ、老人は罰悪そうに頭を掻く。


「わ、儂も、もう少しでエマに落とされるところじゃったぞい」

口を尖らせそっぽを向く。


どうやら倒れた俺に追撃を仕掛けようとして後ろからエマに首を絞められ止められたらしい。


【柔術 組み討ち 徒手《としゅ》格闘術】

―――柔術は投げ技のみに非ず―――

《投《とう》・極《きょく》・締《てい》・当《とう》と定義される》

投げ技、受け身を取らせず、相手を地面や岩等に叩きつけ殺傷する技。

極め技、鍛錬が出来ない箇所や関節を狙い破壊する技。

締め技、動脈を圧迫し脳への血流を止め酸欠状態にし失神、殺傷する技。

当身《あてみ》技、空手の源流。拳や脚蹴り、膝や肘などで打撃を与える技。


「いや、老師殿が気を病む必要など、全ては不甲斐ない俺の弱さ故…… 」


「ん⁉ お主、そのような事、本気で言っておるのか?」


「無論です。情けない…… 今まで何を教わってきたのか…… 」


老人は腕を組み自らの顎に手を添える。


「そう言うで無い、お主は良くやっておる」


老人は開《はだ》けた道着をそそくさと正し、少し考え思いつく。


「そうか、まぁ今のお主の力量も計れたしの、相分《あいわ》かった、そうじゃのう暫く修行は休みじゃ、その代わり気分転換に遣《つか》いに行ってはくれんかの? 」


「遣い? とは? 」


老人は俺に手を伸ばし引き起こした。


「買い出しじゃよ、川添いを10日程下り森を抜けた所に小さなムルニと言う農村が在る。そこに商人の荷馬車が来るはずじゃから、そこで油と塩、それと酒を調達をしてきてくれ、どうじゃ? 」


「…… 」


「まぁそう悩むな。なに、その内、色々分るじゃろうて安心せい」


笑みを含むその言葉の意味を、俺はまだ理解する事が出来ず、俺は肩を落とし、老人の顔を真っ直ぐ見る事が出来なかった。


「遣いに出る前に、お主には渡すものがあるからの、ほれ戻るぞ」


老人は踵《きびす》を返し、身体にくっきりと痕《あと》を残す打撃痕《だげきこん》を悟られぬ様に隠すと、母屋へと帰って行った。満足げに痣《あざ》を撫でて……





小高い丘に立ち眼下に広がる広大なヒーシの森を見詰める最中、それは突如起こった。森を形作る大木の一本が、ドンッと砂煙と鳥達を空に巻き上げ、地響きと共に倒れ視界から消えた。


ギャアギャアと周囲の鳥達が騒ぎ出し、一斉に上空へと避難する。


「ん? なんだあれは? 」


グランドと呼ばれる男は、その異様な光景に思わず声を上げた。


何かの暴走と考えられるそれは、止まる事を知らず、バキバキと木々を倒しながら森の中を突き進んでいる。まるで何かを追っている様に……


「おい、あれが何か見えるか?カシュー」


三人の中で唯一の狩人であるカシューが、三段階に伸ばせる小型の遠眼鏡《とおめがね》で覗き見る。


「ちょっとまって……⁉ グランドやばいよ、人が大熊に追われてるみたいだ、しかもかなりでかいよ‼ 」


「なに⁉ 」

グランドは不慮の事態に瞠若《どうじゃく》する。


「何でヒーシの森なんかに入んだよ、やべーの分かってる筈だろ? 」

もう一人の男が両手を広げ呆れた動作を見せ嘲謔《ちょうぎゃく》する。


「そんな悠長《ゆうちょう》な事言ってる場合かヴェイン、あれがどういう状況か見えないのか? 助けられる命がそこに有るなら俺は行く‼ 」


横腹を勢い良く蹴ると馬は驚き、両前足を高く揚げヒヒンと一驚《いっきょう》の声を上げる。困難に身を投じる覚悟を決め、「ハイァ‼ 」と掛け声と共に手綱を導き小高い丘を駆け下りる。


「やべー、やっぱ、うちの隊長まじかっけーわ」

ヴェインが随喜《ずいき》し馬を躍らせる。


「ドラァ‼」っと大柄の男が乱暴に号令を掛け拍車を当《あ》てると、愛馬を全力で疾駆《しっく》させグランドを追い掛ける。


「ついてくぜ隊長、俺らぁあんたに惚れてるからなぁー、もたもたしてっと置いてくぞカシュー」


普段文句ばかりの男はこういう時だけ判断が早い。


「ちょっ⁉ 待ってよ、 グランド、ヴェイン――――― 」

カシューは急いで馬を回し、後に続くべく丘を下る。


丘を下り切ると、そこは刈り取り作業が済んだ広大なライ麦畑が広がっていた。視界を遮るものは無く、突き当りの森林域まで遠目で良く見える。


――――――⁉


すると前方に人影らしきものが、森林の中から命辛辛《いのちからがら》飛び出してきた。顔面蒼白で子供の手を引く母親らしき人物、息も絶え絶え、既に体力的にも限界が近いと思われる。


「こっちだ――――― 諦めるな‼ 」

グランドは大きな声を上げ誘導すると同時に、愛馬の名を叫び鼓舞《こぶ》する。


「頼む、シルヴァ全力で俺をあそこまで連れて行ってくれ、頼む。」


主の願いに応えるべく、脚の筋肉が膨張し蹄《ひずめ》が深く土を蹴る。ドンッと馬速が一気に跳ね上がり風圧が頬を歪ませる。


「行けシルヴァ‼ 」


速度により視界が狭《せば》まり、景色がぐんぐん流れて行く。風の抵抗を受けぬ様、態勢を低く保ち、鞍《あぶみ》の鞘《さや》から鉾槍《ハルバード》を抜き単槍独馬《たんそうどくば》で駆け抜ける‼


同時にドガンと木々が粉々に吹き飛び、森の中から巨体が姿を現した。

口から尋常ではない泡を吐き、牙を剥きだして雄叫びを上げる。


(でかい…… 大熊の中でもかなりの大物だ)


逃げる親子と大熊の間に入り込み、シルヴァが両前足を跳ね上げ威嚇する。しかし一向に収まる様子の無い極度の興奮状態。グランド達の事など目もくれず、荒れ狂う異常な姿に一瞬目を疑う。


(一体なんだって言うんだ)

まさにその一瞬の動揺を突き、大熊が右手を振り下ろす―――


(しまった⁉ 先制を―――――)


金属製の盾を構え、不利な馬上で、これから振り下ろされるであろう衝撃に備える―――――


ヒュンと風を切り裂き矢が走り、ブシューと血飛沫《ちしぶき》をまき散らし大熊の右の眼球を容易《たやす》く矢が射貫く。


グオオオオと大熊が激痛に唸りを上げた……


全力で走る馬上からの遠矢《とおや》、追物射《おものい》。熟練の狩人でも放てる者は少なく、ましてや急所を射貫くなど、まさに神憑《かみがか》りで有る。


弓の名手、カシュー・エルデンバーグ彼の一番矢であった。


「すまん助かった」


「油断し過ぎ、グランドらしくない、一つ貸しだからね」


「親子を乗せて離脱してくれカシュー、後は俺とヴェインで仕留める」


「了解‼」


グランドは親子から熊の意識を反らす為、腰から下げた真鍮《しんちゅう》の香炉入れから火種を音火薬《バクチク》の導火線に点けると大熊に向けて投げつけた。パパパンと連続で大きな音が広大なライ麦畑に響き渡り、片目の大熊がこちらに振り返る。


「ヴェイン右目は潰してある、左り周りで削るぞ‼」


「おうよ」


カシューは母親を後ろへ子供を前に乗せ、今正に離脱しようと手綱を回した所だった。ガサガサと森が騒めき、草木が揺れる。間髪入れず森の中から何かが飛び出した、それもかなりの数だった。良く目を凝らすとそれらは色々な種類の小動物の大群だった、何故だか皆一目散に飛び出して来る。


嫌な予感が的中する―――――


その直後、バキバキと音を撒き散らし、またしても大柄な大熊がまるでゴロゴロと転がるように飛び出してきた。


「なっ――――――⁉ 」


突然の招かれざる客の来訪に、近くに居たカシューの馬は驚き跳ね上がり、落馬したカシュー達を置き去りに、一目散に逃げ出した。親子は漸《ようや》く起き上がり、ガクガクと震えその場で茫然と立ち尽す。


「逃げろー、カシュー逃げるんだー、二人を連れてそこから逃げろー」

グランドが声を張り上げる―――


音火薬で、もう1頭も気を引こうと視線を落とした時、盾を携《たずさ》えた左側面《ひだりそくめん》からドガァンと、とんでもない衝撃が全身を駆け巡り、シルヴァと共に大熊の一撃で弾き飛ばされた。


「ぐぁっ」

(しまった…… )

脳が揺らされ、音も無く画像が乱れた―――


「グランド――――――‼ 」

ヴェインが叫ぶ。


―――立ち上がれ、早くしろ……

(盾は? 鉾槍《ハルバード》は? カシュー達は? )


衝撃で武器を手放してしまっていた。丸腰だ…… ぼたぼたと衂《はなぢ》を流し、左腕は見た事も無い方向に曲がっている…… ふらふらと体を揺らし、焦点の合わない状態で立ち上がりながら叫ぶ‼


「俺は平気だ…… ヴェイン…… カシュー達を…… 」


「まかせろ‼ 」

と返事をすると、ヴェインは直ぐに信じられない言葉を耳にする。


「連れて逃げろ――――――‼ 」


「は⁉ グランド何を…… 」


幸いシルヴァは無事なようだ。


ヴェインと二人ならば手負いの大熊一頭なら何とか出来る。だが二頭となると話は別だ、通常大熊退治には四~五人で対応する。ましてや二人で討伐したとなればそれだけで街の噂に成る程だ、しかし二頭では最早、勝ち目は無い、誰かが助かれば奇跡に近い。


―――助かる人数を差し引けば……


誰かが犠牲になる事が、この場の生存率を上げる……


目の前の現実と向き合い覚悟を決めた。


「シルヴァ‼ カシューの元へ…… ごふっ…… 頼むシルヴァ―――― 」


シルヴァは動かない―――


今迄《いままで》、従順過ぎる程に主を想い、主の為に生きて来た馬は、悲しい程に主の覚悟を汲み取り、生まれて初めて逆らった……



愛する主を守る為。



片田舎の領主の馬小屋で、嵐の中シルヴァは生まれた。逆子だったシルヴァを父と二人でグランドは、両腕を真っ赤に染めながら、やっとの思いで小さな命を拾い上げた。母馬の生まれ変わりでこの世に生を受けた女の子は、元気一杯に育ちグランドに良く懐いた。手塩にかけて育てたグランドにとってもまた、シルヴァはかけがえのない愛おしい家族となった。


シルヴァが大熊に立ち向かう‼


お前の相手はこっちだと言わんばかりに、何度も何度も身体を打ち付ける。


「シルヴァやめろ‼ カシュー達と逃げるんだ‼ シルヴァー」

グランドの願いは届かない……


時を同じくして、ヴェインは親子と大熊の間に割って入り、彼もまた、覚悟を以《も》って心を決める。


「はは、シルヴァそうか、お前とは気が合いそうだ」


馬をカシューに預け、大剣を抜く。

「ヴェイン⁉ 何を⁉ 」


「行けカシュー、二人を連れて行け‼ 」

対峙した大熊が大きく咆哮する―――


―――ゴアアアアアア‼


「ヴェイン―――――― 」


「勘違いすんなよ、俺は端《はな》から、やられる気なんて毛頭《もうとう》ねーぜ、ただ俺はあの人と同じ道を行くって決めてんだ、悪いなカシュー」


そう啖呵《たんか》を切ると馬の尻を力任せに叩いた。


(俺は明日よりも今日を生きる)


「ヴェイン――――――‼ 」


走り出すカシュー達を他所にヴェインが咆える‼


「さて、うるせー奴も居なくなった、かかって来いや毛むくじゃら‼ 」






もう戻れないあの日を想い、誓い合った志《こころざし》を胸に焦がす。明日を捨て、今を生きる覚悟を決めた男達に絶望がやがて牙を剥き、広大なライ麦畑を黄金色に染めて行った。

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