仏間に置かれた座卓を挟むようにして、俺と婆ちゃん、アリスさんと真奈は、それぞれ向かい合うように正座している。
机の上に広げられているのは、例のボロボロになった銀のアクセサリーの残骸だった。
婆ちゃんはすでに事の次第をアリスさんから聞いていたらしく、怒るでもなく悲しむでもなく、どこか優し気な笑みを浮かべたまま、
「どうぞ、遠慮せずに飲んでいいのよ」
と、オレンジジュースを目の前にしても、一切口をつけようとしない真奈に言った。
真奈はうつむいたまま、首を左右に大きく振る。最初に会った時やアクセサリーに魔法をかける前のあの元気はどこにもなく、心底しょんぼりしている様子に胸が痛んだ。
婆ちゃんはそんな真奈に、
「……そんなに気にしないで。真奈ちゃんは、善意でこれを直そうとしてくれたんでしょう? その気持ちを、わたしは怒ったりなんてしないから」
「……はい」
ようやく真奈はそう返事はしたけれど、それでもジュースに手を伸ばさない。
真奈の隣に座るアリスさんも困ったように真奈を見ていたけれど、やがてゆっくりとこちらの方に顔を戻すと、
「本当にごめんなさい」
深く深く、頭を下げた。
婆ちゃんはすぐに両手と頭を横に振り、
「いいのよ、大丈夫」
とほほ笑んだ。
「……アリスさんにはいつもお世話になっているし、これまでにもいろいろ直してもらっているでしょう? 本当に、いつも感謝しているの。今回の件は、決して誰も悪くない。わたしはそう思っているの」
その言葉を聞いた途端、俺は「えっ」と婆ちゃんに顔を向けていた。婆ちゃんがすでにアリスさんのことを知っていたことにも驚きだが、いつもお世話になっている、という事実に目を見張る。
「――ですが」
と口にするアリスさんに、婆ちゃんは「本当に大丈夫だから」と答えて、
「こちらこそごめんなさいね。一度断られたものを、うちの孫が……」
「え? 一度断られた?」
俺は思わず訊ねていた。
婆ちゃんは俺に顔を向けると頷いて、
「以前、他のものと一緒に修復を依頼したことがあるの。けれど、この銀のアクセサリーだけは壊れてから時間が経ち過ぎていて、元のようには戻せないって」
「……時間が経ち過ぎていて?」
首をかしげると、アリスさんは「そうなんです」と小さく口にして、
「ご説明差し上げるより、見て頂くのが早いと思います」
それからボロボロのアクセサリーに両手をかざし、先日のように、歌のような呪文を唱え始めた。それは真奈の唱えた呪文よりも澄んでいて、とても綺麗な歌声で――
それに呼応するように、アクセサリーが淡い光に包まれていった。その光は歌に合わせて明滅を繰り返し、やがて強い光を発したかと思うと、
「あっ……」
いつの間にか、真奈が魔法をかける前の、あの状態へと戻っていたのだった。
それでもなお、アリスさんは呪文を唱え続けていた。アクセサリーもまだ全体的に光を帯びていたが、しかしそれ以上、状態が戻る様子は一切なかった。
次第にアリスさんの白い肌――その額に汗が滲んできた。呼吸が乱れ、わずかに両手が震え始める。苦しそうな表情でしばらく呪文を唱え続けていたが、やがて力尽きたように歌うのをやめ、両手をアクセサリーの上から離してしまった。
「私の力では、ここまで戻すのが限界なんです。ごめんなさい」
俺はそのアクセサリーを目にしながら、内心「やっぱり」と肩を落とす。
思っていた通り、魔法も万能じゃなかったんだ。確かにここまで戻せるのはすごい力だと思う。魔法があるなんて、こうして目の当たりにするまで信じてはいなかった。けれど、なんでもかんでもできるわけじゃない、その事実に何となく落胆してしまう。
「他にも構造が複雑なものも、私の魔法では直せません。なんていえばいいんでしょう…… 私の魔法は、私がその品物を直す姿を、頭の中で想像して再現する、そんな魔法なんです。そしてそれは、数年内に壊れたものにしか効果が及ばない。理由は分かりません。とにかく、そういうものなんです」
うまく説明できなくて、ごめんなさい。そう言い添えて、アリスさんは再び深く頭を下げた。
それを見て、婆ちゃんはもう一度、両手と頭を振りながら、
「大丈夫、本当に大丈夫ですから。どうか頭を上げて下さい」
と優しく声をかけた。
アリスさんは頭を上げると、申し訳なさそうに俺の方に顔を向けて、
「ご期待に応えられず、ごめんなさい」
俺に対しても、目を伏せながら頭を下げた。
俺はなんて答えれば良いのかわからず、「え、あ」と言葉を濁す。
そんな俺に、真奈も頭を下げながら、
「私も、ごめんなさい。私にも直せるなんて、軽々しく言っちゃって……」
「あ、いや、良いんだ。それは……悪いのは、真奈じゃないよ」
それから俺は婆ちゃんの方に向き直り、小さくため息を漏らす。
真奈だってこうしてちゃんと謝っているんだ。俺だって、いつまでも何も言わずにいるわけにもいかなかった。悪いことをしたわけじゃない。それは本当に良かれと思ってしたことだった。けれど、それはそれ、これはこれだ。やってしまったことに対しては、ちゃんと謝罪はしなくてはならない。
だから俺は、婆ちゃんに頭を下げて、
「婆ちゃん、ごめん。直せるなんて大見得を切っておきながら、結局こんなことになっちゃって……」
「いいの、いいのよ」
婆ちゃんは首を横に振り、優しく俺の頭をなでながら、
「そりゃぁ、お爺ちゃんとの思い出の品だもの、直せるのなら直したい。だけど、この形もまた思い出なのよ。どんなに時間が経っていても…… いいえ、むしろ時間が経っているからこそ、それはいつまでも思い出として残り続けるのよ」
それに、と婆ちゃんは胸に手を当て、
「例え思い出の品なんてなくても、思い出そのものは、いつまでもここにあるから……」
「……婆ちゃん」
それから婆ちゃんは、大好きな笑みをにっこりと浮かべて。
「――もちろん、ジュンちゃんとの思い出も、ね?」
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