テラーノベル
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翌朝。
部屋はまだ朝の静けさを抱え込んでいた。
すちは目覚ましより少し早く目を覚まし、腕の中で眠り続けるみことを見下ろす。寝息は規則正しく、昨夜の余韻など忘れてしまったみたいに無防備だった。
「……まだ寝ててね」
小さく呟いてから、すちはそっとみことを抱き上げる。重さを確かめるように腕に力を込め、起こさないように足音を忍ばせて浴室へ向かった。
湯気の立つ浴室は、静かで、やわらかな温度に満ちている。湯船に浸かる前に、すちはみことを抱いたまま腰を下ろし、背中を支えながらゆっくりとお湯に入れた。
みことは微かに眉を動かしただけで、まだ夢の中。すちの胸元に頬を寄せたまま、されるがままだ。
「熱くないかな?」
返事はない。
すちはそれでも気にせず、スポンジに泡を立て、みことの腕や肩を丁寧になぞっていく。力は入れず、肌を傷つけないように、まるで大切なものを扱うみたいに。
時折、みことが小さく身じろぎするたび、すちは動きを止めて様子をうかがう。
起きないと分かると、また静かに洗い続けた。
湯船に浸かり直すと、みことの身体から少しずつ力が抜けていくのが伝わってくる。
すちはその重みを受け止めながら、背中を撫で、額にかかる髪をそっと払った。
「ほんと、無防備だなぁ」
そのまま、しばらく話さずに湯の音だけを聞いて過ごす。
みことは夢の中で、すちの存在に守られるように、静かに眠り続けていた。
ふたりの身体をきちんと洗い終えると、すちはふわふわの大きなタオルを広げ、みことを包み込む。水気を吸ったタオル越しでも、みことの体温はまだ柔らかく残っていて、すちは思わず頬を緩めた。
「ほら、冷えないように」
そう言いながら、新しいバスローブを丁寧に着せてやる。袖に腕を通す動きひとつひとつが慎重だった。
汚れていないベッドに戻り、すちは先に腰を下ろしてからみことを抱き寄せる。胸に引き寄せると、みことは無意識にすちの服を掴き、すぐにまた眠りの底へ沈んでいった。
すちはその頭を撫でながら、深く息を吐く。
安心と満足が静かに広がり、ふたりは寄り添ったまま、もう一度まどろみに身を委ねた。
数時間後。
みことはゆっくりと目を開ける。最初に感じたのは、背中に回された腕と、すちの体温。胸元に額を預けたまま、そのぬくもりに包まれて、自然と口元が緩んだ。
ふと、自分がバスローブを着ていることに気づく。
髪からは、ほんのりとシャンプーの香りがしていた。
「……すち。お風呂、入れてくれたの?」
小さく囁くと、その声に反応するように、すちが目を覚ます。
「ん……おはよう。起きた?」
寝起きの低い声と、穏やかな微笑み。
みことは安心したように頷き、それから思い出したように身体を起こそうとした。
「そろそろ、帰る準備しないと――っ!!?」
その瞬間。
腰に鋭い痛みが走り、思わず息が詰まる。
声にならない声が喉から漏れ、みことは腰を押さえたまま、その場にうずくまってしまった。
「やっぱり、そうなるよね」
すちは苦笑しつつ、すぐに身体を寄せる。
みことをそっと抱え上げ、ベッドに座らせ直すと、痛みで潤んだ瞳を見て眉を下げた。
「無理しない。ほら、任せて」
すちはみことの着替えを手伝い、動かすたびに声をかけながら慎重に支える。
痛みで涙目になりながらも、みことはされるがまま身を預けた。
準備が整うと、すちは先にみことを抱えて車へ運び、助手席に座らせる。シートベルトを留めると、額に軽く口づけた。
「ちょっと待ってて」
そう言い残し、すちは部屋へ戻る。
荷物をまとめ、チェックアウトを済ませてから、みことの待つ車へ急いだ。
車内で待つみことは、昨夜から今朝にかけての出来事を思い出すたび、顔が熱くなっては俯く、その繰り返しだった。
ぼんやりしていた意識も落ち着き、ふと自分の左手に視線を落とす。
……指輪。
薬指に、見慣れない、けれどしっくりくる指輪が嵌められている。
「……え?」
今さら気づいたように瞬きをした、そのタイミングで運転席のドアが開く。
「あ、やっと気づいた?」
すちがそう言って微笑んだ。
その左手にも、同じ指輪が光っている。
みことは一瞬、言葉を失い、次の瞬間、涙が溢れ出した。
堪えることもできず、声を上げて泣いてしまう。
「……っ、う……」
すちは慌てて車に乗り込み、みことを抱き寄せる。
背中をさすり、額を寄せて、静かに囁いた。
「一生、離れないでね?」
みことは声の代わりに、何度も何度も頷く。
そのまま、震える手ですちの服を掴み、唇を重ねた。
涙の味と、確かな温度。
ふたりは言葉を使わずに、同じ約束を胸に刻むのだった。
家にたどり着くと、すちはエンジンを切り、静かにドアを閉めた。
外の空気から切り離された室内は、ほっとするほど落ち着いていて、そのままの流れで、すちはみことをもう一度腕に抱きかかえる。
「歩ける?」と聞くより先に、みことはすちの首元に顔を寄せて、小さく囁いた。
「……キス、したい」
甘えるような声に、すちは一瞬だけ目を瞬かせてから、困ったように笑う。
「荷物整理したら、ベッドでいくらでもするよ」
そう言われても、みことは素直に引き下がらない。
「すぐしゃないとやだ…」
すちの服をきゅっと掴み、眉を下げて見上げながら、珍しく我儘を言ってみせる。
その様子に、すちは完全に負けた顔になった。
「……仕方ないなぁ」
小さく笑いながら玄関を上がり、リビングに荷物をまとめて置くと、みことを抱えたまま寝室へ向かう。歩く振動すら揺りかごみたいで、みことは安心したようにすちの胸に頬を擦り寄せた。
寝室に入ると、すちはみことをそっとベッドに下ろし、自分もルームウェアに着替える。
「はい、次みことね」
そう言って手伝いながら、ゆっくりと服を替えさせる。動くたびに腰を気遣い、声をかけるその仕草が優しくて、みことは何も言わずに身を任せた。
着替え終えると、ふたり並んでベッドに横になる。
シーツの感触と、並んだ体温が心地よくて、自然と距離が縮まった。
すちはみことの頬に手を伸ばし、視線を合わせる。
みこともそれに応えるように目を細め、ゆっくりと顔を近づけた。
触れるだけの、柔らかなキス。
離れてはまた重ね、今度は少し長めに唇を合わせる。
ベッドの上には、静かで甘い時間だけが流れていた。
そしてすちがそのまま止められるはずもなく、みことの腰がさらに悪化するのはまた別の話である。
コメント
2件
ホントに毎回毎回尊いがすぎますって!いつも楽しみにしてます!最高です!

更新ありがとうございます!(´▽`) いつもどうり神っていました!