ボクが就職したのは大手の石油会社だ。
配属されたのは運送部門。・・・そう、運転手として就職した。
タンクローリーや、各種の車両を扱う部署だ。
例え運転手としての採用だとしても、入社半年間は、みっちりと「授業」を受けさせられた。
扱う商品が石油、ガスといった危険物だ。化学式など、社員研修という名の授業が1日8時間みっちりと行われた。
・・・ついていけなかった。
落ちこぼれた。
なんとか、会社には入り込めたものの、すぐに馬脚を現した。・・・・学校で習ったはずの・・・それを基礎とした会社の授業に全くついていけなかった。
「高校の授業で教わったはず」
そう言われても、その学校自体に行っていない。授業を受けていない。・・・全くわからない。全く初めて目にする公式が並んでいる。・・・・わからないところがわからない・・・何を聞けばいいのかもわからない。
目隠しをして、いきなり外国に放り込まれたほどに、全く何もわからなかった・・・
・・・・気がつけばメシが食えなくなっていた・・・・・小学校5年生の時と同じ症状がボクを襲った。
それでも、一度、経験しているために、冷静に自分を分析することはできた。
・・・・これは・・・授業が分からないという精神的な不安からきてる症状だな。
じゃあ、どうすればいい?どうすれば解決できる・・・?
幸い、住んでいるのは社員寮だ。新入社員ばかりの寮だ。
優秀な新入社員にわからないところの教えを乞うた。・・・じつは、授業についてこれないのはボクだけじゃなかった。他にも何人もいた。・・・だったらと、寮内で勉強会を開くことにした。
土日は復習代わりに勉強会を開いた。
言ってみれば「同期の桜」だ。
皆で教え合って授業にあたった。
・・・・授業はわかってきた・・・少なくとも「わからないところがわからない」そんな状況は脱した。
・・・なんとかなる・・・これならなんとかやってける・・・・
ところがメシは食えなかった。症状は改善しない。
さらに、自己分析を行う。
・・・そうか・・・これがいわゆる「5月病」というやつだな・・・・これがいわゆる「ホームシック」というやつだな・・・・
文字通り吐き気がするくらいに、嫌で嫌でしょうがなかった田舎を抜け出した先に「ホームシック」が待っていたとは・・・・逃げ出した先で吐き気に襲われるとは・・・・人間の身体の不思議に笑ってしまった。
ボク自身は何ら田舎に未練がないにもかかわらず、身体が勝手に反応していた。・・・ホームシックだけじゃない。授業がわからない・・・・未来への不安ということとの相乗効果だろう。・・・・東京で・・・誰も知らない土地でひとりで生きていくということは、それほどにキツイことだ。
メシが食えなくなっていた。・・・・社員寮、社員食堂・・・どこでもメシが食えなくなっていた・・・・食えるものは・・・
同じだった・・・小学校5年生と同じ、その時もインスタントラーメンだけだった。・・・・しかし、2度目だ。自分で冷静に自分を見ることができた。
「よーし、ラーメンだけは食える。・・・・大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。乗り切れる。ぜってー乗り切ってやる!」
・・・・・そんな時に徳島から荷物が届いた・・・冷凍便だった。・・・母からだ。
開けた中から、冷凍にされた「餃子」が山のように出てきた。
公衆電話から母に電話した。
母は、ボクの様子を寮長に電話で確認していた。
そこで「どうも食が細くなってるようです・・・・」と聞かされた・・・・寮長自らが食事を作っていたので気づいたんだろう。
それを聞いて母は、ピンときて「餃子」を送ったという。
「大丈夫か・・・・?」母が聞く。
「大丈夫や・・・・東京の味が濃いんや。マズイんや・・・・」
そう、照れ隠しに答えた。
・・・・本当は違う。
どれだけ、母の「餃子」を恋しく思ったか・・・・毎日インスタントラーメンをすすりながら、どれだけ、母の「餃子」を想ったか・・・・
どれだけ、母の餃子を食べたいと願ったことか。
案の定で、母の餃子は食べることができた。
母の餃子なら食べることができた。
・・・・おそらく・・・精神的なものだけじゃなく、物理的に東京の「味付け」にも原因があるんだと考えた。
・・・・とにかく東京の味は濃い・・・だけじゃなく、味付け自体がおかしかった・・・・ボクには同じ日本食だと思えないくらいだった。
東京の「うどん」と徳島の「うどん」は、見た目は似ていても、全く違う食べ物だった。
東南アジアの「フォー」は、似てはいてもラーメンとは全く違う食べ物だ。
それくらいに、東京の食べ物、味付けは徳島と違った。
醤油は、日本全国で違う。
そして、日本人の味覚は「醤油」で決まる部分が多い。
・・・・・ひょっとして醤油が原因か?
母に電話して醤油を送ってもらった。
・・・・そして、母の料理のレシピも教わった。
メシが食えるようになってきた。
少なくとも、母のレシピで自分で作ったものは食えた。
・・・・・ボクが、自分で料理が作れるのは、このせいだ。
・・・・しかし・・・・その時気づいた。
おそらく、この件だけじゃない・・・・
もし、ボクが元気で東京生活を過ごしていたなら・・・・母が心配して寮長に電話したところで「元気でやってますよ」で終わる話だ。
それであれば、母から電話があったことはボクは知らないで終わったはずだ。
・・・・たぶん、これだけじゃないはずだ・・・・ボクの知らない話はあるはずだ。
母親は子供を「想う」。
言わなくとも、当人に言わなくとも、伝えなくとも、母親は子供のことだけを考えている。気にかけてる。想っている。
子供は母親から生まれてくる・・・・自分の身体の一部から作られた存在だ。・・・・母親にとっては「分身」ともいうべき存在なんだろう・・・・だから、子供の痛みを、苦しみを、我が事のように本能的に思えるんだろう。
・・・・そこが父親とは違うところだ。
母親が思うのは、ひたすらに子供の幸せなんだろう。どれだけ、大人になっても、母親にとって子供は子供・・・・自分の分身・・・自分の一部なんだから当然だ。
いつまでも心配しているものなんだろう・・・・
俵おにぎりを食べる。餃子を食べる。
久しぶりの母の味だ。久しぶりの母の弁当だ。
運動会。遠足・・・・そして中学、高校・・・ずっと弁当を作ってもらった。
当たり前に・・・・当然のこととして弁当を作ってもらっていた。
母の、俵おにぎりの味が身体に染みた。
餃子の味が身体に染みた。
ひとり暮らしをすれば良くわかる。
ひとり暮らしをすれば、なおさらに母親のありがたみが良くわかる。
・・・・まして、ボクは身体が弱かった。
未熟児として生まれた。
生まれてすぐに保育器に入れられた。
・・・退院のあと・・・・その後も小児喘息で入退院を繰り返した。
・・・・ボクの最初の記憶は、病室で母と過ごしている記憶だ。
母に優しく頭を撫でられているのが、ボクの人生で最初に刻まれた記憶だ。
・・・・母は・・・・発作が起これば、何日も何日も泊まり込みで看病し、母乳を与え・・・・「どうかこの子の命を奪わないでください」
知ってる限りの・・・・全ての神様に願った。
・・・「長男の嫁」の役割を果たしながら、だ。
氏神には「御百度参り」に行った・・・・
弁当を食べ終えた・・・・タッパーの蓋をした。
・・・・ふと目に留まった。タッパーを包んでいた新聞紙。・・・そこに微かに文字が見えた。・・・・薄っすらと文字が見えた。
ルームランプを点ける。
鉛筆書き・・・シャーペンの文字・・・細い・・・薄い書きなぐり・・・
かぁくんかえるな
・・・カァくん、帰るな。
・・・弟だ。弟が書いたんだろう。
・・・ボクに見せるためじゃない。ボクに読ませるためじゃない。
母が、弁当を、この新聞紙に包まなければ、ボクが読むことはなかった。
弟の心の声だ・・・
母は、ボクを身を削って生んでくれた。
母は、弟を身を削って生んでくれた。
ボクは、間違いなく母に生かされた。
母は、身を削って弟を育てた。
母に愛された。
弟に愛された。
・・・・雨がフロントガラスを叩く。
缶珈琲を飲みほした。
エンジンをかける。
静かなサービスエリアに、吠えるようなGTRのエンジン音が響く。
ワイパーが雨を走らせる。
ハロゲンヘッドランプが点灯する。
クラッチを切り、シフトレバーを2速に入れた。
東京へ向かって走り出す。
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