103 淡井恵子の番外編13
その日、頼りになる米本美晴に相談したことで淡井と新井、そして自分との
三者三様の選ぶべき道筋が見えた。
そのことで市川は胸を撫でおろしたのだった。
帰宅後早速淡井恵子から自分にあてて、メールが届いた。
『一昨日お誘いした映画の件ですが、[未確認生命体M・A・Xマックス]が
再来週公開されるので、11月末日頃までで都合のつきそうな日があれば
一緒に観ませんか? ホラーもので面白そうですよ。
ではでは、おやすみなさい』
とあった。
市川はすぐに返信した。
『お誘いありがとう。詳細はまた後日連絡します』と。
上手い具合に早々に淡井からの誘いの文面を入手できたため、
市川はすぐに動いた。
翌日の仕事終わりに新井を誘いカフェバーへと。
「改まって話ってなんだ?」
「淡井さんのことなんだ」
「いい話じゃなさそうだな」
「……そうなんだ」
「彼女、良くない噂でもあるのか?」
噂ならまだ良かったかな。
「3日前のお前が病欠した日、業績upしたってことで美味しいもん並べて
ビールで乾杯して、まぁ恒例の飲み会っていうかイベントがあった時にさ、
その時俺、淡井さんと話をする機会があって映画の話になったんだけど……
誘われたんだよな」
「……?」
「映画一緒に行きませんか」って。
「お前たちのこと、聞いてなかったら速攻断ってたと思う。
けど、お前に俺の言うことが嘘じゃないってことを説明したくて
わざと保留にした。
前向きな保留な」
「それで?」
「これ……」
俺は自分の携帯を新井に見せた。
「なんか俺の独り相撲だったみたいだな。恥ずかし過ぎるわ」
「まぁ、待てって。
お前は恥ずかしいなんて思う必要ないから。相手が悪かっただけだよ。
それとお前は運がいい。
俺という機転の利く友達と俺が相談した人が社内の人間が誰も知らない
淡井さんの裏の顔を知っていたことだな。
大丈夫、お前は運がいい。
淡井さんに交際を申し込む前に分かったんだから。
慎重なお前だから災難をよけることができるんだよ」
「災難って……そんなにあの人、訳有りなのか?」
「ああ、今から説明してやるよ」
104 淡井恵子の番外編14
俺が声を掛けて相談した総務の米本さんが、偶然にも淡井さんの良くない行状を
知っていたこと、そしてその事件は紙面の片隅ではあるけれど掲載されていて
証拠として十分であることなど、米本さんから聞いた話を全て新井に話した。
「驚いた。とんだ食わせ者に騙されるところだった。
市川、嫌な役どころなのに、教えてくれてサンキュー。
完璧だったよ。
俺を納得させるには十分、完璧だ」
「新井、元気出せよ。
実はお前を元気づけるためにダブルデートをご用意しておりますー。
カップルの相手はなかなか可愛くて良い子をチョイスさせて
いただいております」
「誰?」
「話に出てる米本さんな。ちょっと元気でたか」
「ははっ、米本さんか……いいな。
じゃぁ、その日はお言葉に甘えて弾けるとしますか」
「おう、そうしようぜ」
「ところで淡井さんの誘いはどうすんの? 沙織ちゃんが悲しむぞ」
「泣かせないよ。上手いこと断る。誰も彼女から恨まれないようにな。
だから、お前は普通にしてろ。
そのうち、どうしてお前からの誘いがなくなったのかも分かると思うから。
自然にフェードアウトでいいんじゃないかな」
新井を説得した日から2日後、俺は淡井さんにメールを送った。
『先日の返事だけど、止めておきます。
話してなかったけど俺と新井は学生時代からの友人で親しくしてます。
それで新井があなたと何度か食事に行ってるっていうのをたまたま昨日
聞いたので……分かるよね?
交際はしてないんだろうけど、たまたま昨日親友が淡井さんを何度か食事に
誘ってるって知って、やっぱり俺は気軽に映画に行くっていうのは違うかなと思うので、
折角誘ってもらったのにすみません。
会社では今まで通り同僚として仲良くしてください。市川』
105 淡井恵子の番外編15
市川と親密になれると期待していただけに返ってきた断りの文面に
恵子は愕然とした。
新井と市川が学生時代からの友人で親友?
そんなの知らない、聞いてないよー。こんなことってある?
これって市川くんが新井くんに遠慮して私を彼に譲ったってことよね。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』の意味が、まだこの時点では流れを読み切れず、
1mmも頭に浮かばなかった恵子は、しばらくの間……また仕事帰りに
いつ新井が誘ってくれるだろうかと待っていたのである。
けれど、2か月が過ぎクリスマス近くになっても新井から以前のようなお誘いはなく、
流石の恵子も全容が見えてきたのだった。
とっくに新井の耳には自分が市川に色気を出してデートに誘っていたことなど入っていたことを。
『私ったら、ただの馬鹿じゃない』市川くん、なんて言ってた?
新井くんとは親友だって言ってたじゃない。
二度目の誘いはメールに書き込んでるしー。
きっとそれ、見てるよね新井くん。
そんなの市川くんにやんわり断られた時に気付かなきゃ。
あんなやこんな、気付いた瞬間、恵子はこの先歩いていく自分の行く末を
脆く感じるのだった。
自分の不運にうろたえつつも、恵子は思った。
『大丈夫、桃だって大好きだった旦那と別れてシングルマザーだよ。
それに比べたら私なんてまだマシ』
そう強がってはみるものの、新井と市川が異動でいなくなるまでは、
職場で結婚相手を見つけるのが難しくなるのは必至。
『何よ、ちょっと映画の話で盛り上がって映画を誘っただけなのに、
新井くんったら気にし過ぎなんだよ』
部屋の中で捨て台詞を吐くものの、以前自分をやさしく見つめてくれていた
新井の眼差しと、楽しく語らいながら過ごした食事の時間が、たまらなく
恋しかった。
◇ ◇ ◇ ◇
それから2年後、恵子が33才の年に、新井賢一と米本美晴が
社内恋愛を実らせて結婚した。
ふたりが付き合っていたことを全く知らなかった恵子は、悔しさのあまり
寝込んでしまった。
本当なら自分が新井の隣にいたかもしれないという気持ち、
呪縛から逃れられず苦しくて苦しくて……しようがなかった。
そのような中でいつも戻る無限ループする恵子の気持ち、
それは新井といい感じでいた頃のことだった。
あの頃に戻れたら……毎日そう思わずにはいられなかった。
そして……
時同じくしてこの頃、桃が俊の元に戻り昔のような幸せな暮らしを
取り戻していたことを恵子は……知らずにいた。
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