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「かちゅはさあ、ミシンとか針とか、なんか無機質なものにめちゃくちゃ嫌われてるよね。今日もまた、糸が布の裏で大暴れしてるぞ~」
放課後の家庭科室。私たちは、先週から始まった「刺繍入り巾着袋」の制作を続けていた。
陽太は、私が作る巨大な糸玉の塊を見て、今日も笑っている。陽太自身も、不器用ながらに頑張ってはいるが、彼の縫い目は毎回少しずつ曲がっていて、それはそれで愛嬌があった。陽太は、私のようにパニックになることはなく、自分の失敗も笑い飛ばすことができる。彼のそういうところも、私には羨ましく見えた。
「陽太こそ!そのミミズ銀河、今日はちょっと太めになったね!栄養満点だね!」
「ミミズ銀河って!もうやめろって!俺のは、流線型の彗星だって言ってんの!」
「これが流線型の彗星かあ……なんか…酷いね」「酷い言うな!!」
私と陽太が騒いでいると、泉が冷静な声で注意した。
「二人とも、針の先が危ないわよ。花千夢、貴女の針山、また針が全部逆向きになってる。危ないからちゃんと直して」
泉は、誰に対しても感情的になることがない。その冷静さが、私たちが暴走しないためのストッパーになってくれている。泉は、かぐやの完璧さも、私の勢いも、すべてを等しく分析対象にしているようだった。
「あ、泉ごめんー!直すね!」直しながらも、ついついしゃべりはじめてしまう。「ってか、見て!これ!」
私は慌てて針山を直したが、その弾みで、ついさっきまで頑張って縫っていた糸が、また布の裏側で複雑な塊を作ってしまった。それはもう、宇宙の暗黒物質のように、どこが始まりでどこが終わりかわからない、巨大な毛糸の塊だ。
「あー、もう!なんでこうなるの!私、糸に呪われてるのかなぁ!私がやるといつも……なんか…酷くなるよね!」
私は思わず頭を抱えた。糸が絡まるたびに、私の心まで一緒に複雑に絡まって、どんどん自己嫌悪の渦に落ちていく。
(なんで、私だけこうなの?簡単なことも、人並みにできない。)
私はそっと、家庭科室の隅に目を向けた。窓際で、かぐやが一人、静かにアイロン台で布に熱をかけている。
かぐやの作業は、静かで無駄がない。アイロンをかけるその動作すら、完璧な弧を描いていて、まるでプロの職人みたいだ。布は少しもたるまず、正確な折り目がついている。彼女が作っている巾着袋は、星空をイメージした深い紺色のサテン生地だった。
そして、そのサテン生地の上に施された刺繍は、まさに夜空の標本だった。
白い光沢のある糸で、微細な星の集合体—プレアデス星団—が縫い込まれている。ビーズの位置は定規で測ったかのように正確で、糸の張り具合も完璧。彼女の指先は、私たちとは別次元で動いているみたいだ。
陽太も笑いを止めて、かぐやの作品に目を奪われた。 「うわ、輝夜乃のは、もはや手芸じゃなくて芸術だな。俺たちのミミズ銀河が恥ずかしいわ」 「ね。あれが本物だよね。私のは……やっぱなんか…酷いよね、ナメクジ星人の住処だよ!」
私は自分の作ったものが可笑しくて笑うふりをしながら、胸の奥でズキンとした痛みを感じていた。
「ねえ、かぐや。ちょっと見せてー!すごいんでしょ!」
私は立ち上がって、かぐやの傍に、いつもの勢いで駆け寄った。かぐやは、いつも静かだが、人からの要求には笑顔で応じてくれる。
「花千夢…?まだ途中だけど、どうぞ」 かぐやはそっと、作品を私に見せてくれた。
その瞬間、私の手が、テーブルの端に置いてあった、アイロン用の水の入ったプラスチックコップに当たった。
ガシャーン!
水は巾着袋のアイロン台に広がり、かぐやがまさに作業していた紺色のサテン生地を、たちまち濡らした。
「あ…っ、え…っ、う、うそ…!」
私は声にならない悲鳴を上げた。一瞬で、家庭科室のすべての喧騒が遠のき、静寂が訪れた。皆がこちらを見ている。
かぐやは、濡れた布をそっと持ち上げ、静かに目を閉じた。
水に濡れた刺繍糸は、サテンの紺色をわずかに滲ませ、美しい星団の輪郭が、ほんの少しだけぼやけてしまった。
「ご、ごめん!かぐや!私、私っ…わざとじゃないの!どうしよどうしよ…!」 全身の血の気が引くのを感じた。完璧な彼女の、完璧な作品を、私の不注意という名の彗星の暴走で、台無しにしてしまった。
かぐやはゆっくりと目を開けた。その瞳は、いつもの穏やかさのままだった。
「大丈夫だよ、かちゅ。洗えば元に戻るかもしれない。新しい布もあるから、気にしないで、かちゅは作業にもどっててね」 彼女はそう言って、私に優しく微笑んで水をかたづけ始める。全く怒っていない。
しかし、その穏やかさが、私には何よりも辛かった。彼女は怒らない。いつだって、私がどんな失敗をしても、優しく、穏やかに、まるで「私の姉はこうだから仕方ない」と許しているように見えるのだ。
「ごめん…ごめんね…!」
私は泣きそうになりながら謝罪するが、かぐやは首を横に振った。
「謝らなくていいよ。かちゅは、少し不器用なだけでしょう?私は、かちゅみたいにはなれないけど、こういった細かい作業は得意だから」
(あなたのようにはなれない?そんなわけないじゃない!)
かぐやの優しさは、私には「完璧な優越感」のように感じられた。私は、あなたがうらやましいのに。いつも輝いて、誰からも尊敬されて、失敗なんてしないあなたが。
「……もう、私に構わなくていいから……ほんとにごめんなさい」 私はそれだけを絞り出し、自分の席に戻った。絡まった糸を見つめ、涙が溢れそうになるのを必死でこらえる。
その時、泉が静かに私の肩に触れた。
「花千夢。大丈夫よ。貴女の勢いが強すぎただけ」
泉は静かに私の机をのぞき込み、絡まった糸の塊を慎重に指先で解き始めた。
「私はね、輝夜乃の完璧さも尊敬してる。でも、花千夢のその衝動的な勢いも、才能だと思うわ。貴女が目指す星に向かって、真っ直ぐに、全力で突っ込んでいく彗星よ。絡まるのは、その勢いが強すぎるから」
「でも、かぐやは、計算し尽くされた軌道しか選ばない観測者。だから完璧。その完璧さが、時に人を寄せ付けない壁になることもあるのよ」
泉の言葉は、絡まった糸を少しずつ解いていくように、私の胸の中に微かな風を通した。
(かぐやは、完璧だから壁になる?)
私には、かぐやが持つ「静かな優雅さ」こそが、誰からも愛される最高の才能に思えるのに。絡まり続ける糸を前に、私は、自分の心の絡まりも、決して解けないのではないかという、不安に襲われていた。
【第2話 終了】