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リフェアリー
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六月。塩尻の御殿が、村になった。
三百人のうち、二百四十人が、市の台帳に名前を持った。薪を割り、木曽に運び、証を受け取った。隊長は、御殿の台帳を、三冊のまま残した。でも、三冊を書く三人は、隊長の命令で書かなくなった。三百人の中から、三人が、別々に選ばれた。
塩尻の三冊。木曽の三冊。隣村の三冊。下流の三冊。諏訪の三冊。五つ目の村の三冊。
十八冊が、峠の小屋で、月に一度、照らされた。照らすのは、各村から一人ずつ、六人。要は、その六人の中に、いなかった。要は、照らす場所に、椅子を一つ、増やすだけだった。
為替の板は、三行になった。証と湖。証と、五つ目の村の紙。証と、塩尻の「薪札」。塩尻は、薪一束を単位にした紙を作った。隊長が、湖の話を聞いて、真似した。
「御殿の兵が、紙の金を作った」孫は、板を書きながら、笑った。
「兵じゃない。村の人だ」要は言った。
*
六月の終わり、塩尻から、酒が来た。
塩尻の御殿の倉庫に、大剥離の日から、酒が残っていた。日本酒。焼酎。ビール。権田が、「働いた者に、月に一度」と決めて、少しずつ出していたもの。権田が倒れて、酒は、倉庫で眠っていた。
隊長が、それを、証で売ると言った。
「酒は、薪より、高い」隊長は、峠の小屋で言った。「相場の板に、酒を、足してくれ」
孫が、板に書いた。『酒一本 証十枚』。
翌週、木曽の男たちが、酒を買った。峠を登って、証を十枚、払って、一本を担いで下りてきた。木曽には、酒がなかった。二年、なかった。
峠の小屋で、要は、塩尻の兵と、木曽の男が、酒を回し飲みしているのを見た。兵は、薪を割った証で、木曽の味噌を買っていた。木曽の男は、米を担いだ証で、塩尻の酒を買っていた。二人は、小屋の前の雪解けの泥の上に座って、一本の酒を、分けていた。
「何を話してる」つむぎが、要に聞いた。
「聞こえない」
「顔は、見える」
「どんな顔だ」
「同じ顔」つむぎは言った。「兵の顔じゃない。村の人の顔でもない。酒を飲んでる人の顔」
要は、二人を見た。
一年半前、塩尻峠で、黒い作業着の男が、要を止めた。一年前、御殿の二十人が、松明を焚いて、道を塞いだ。三ヶ月前、六十人が、米を三百キロ、担いでいった。
今、そのうちの一人が、木曽の男と、酒を飲んでいる。
殺さなかった。勝ったかどうかは、わからない。でも、酒を飲んでいる。
*
夜、要は、三冊の台帳を閉じて、ノートを開いた。久しぶりに。ひかりに預けていたノートを、返してもらった。
ロードマップ。〇、目。一、顔。二、三冊。三、割符。四、評判。五、手形。六、証。七、組合。八、貸す。九、遠隔。十、掟。十一、川。
十二が、まだ、空いていた。
要は、ペンを持った。何を書くか、考えた。
御殿が、市に入った。力の秩序が、信用の秩序の中に、溶けた。溶かしたのは、仕組みではなかった。味噌と、薪と、酒だった。兵が、味噌を食いたかった。木曽の男が、酒を飲みたかった。それだけだった。
仕組みは、味噌と酒が、通る道を、作っただけだ。
要は、書いた。
『十二、敵を、村にする。力で来た者に、力で返すな。働く場所と、買う場所を作れ。力は、味噌と酒に、負ける』
書いてから、少し、笑った。十二条の掟の、十二番目は、『守れると思うな』だった。ロードマップの十二は、『力は味噌と酒に負ける』だった。どちらも、要が、七年間、銀行で考えたことのない言葉だった。
「要さん」
つむぎが、戸口にいた。
「東京、行くんでしょ」
「行く」
「いつ」
「来週。塩尻の三冊が、隊長の命令なしで、三回、照らせたら」
「照らせたら、市は、要さんなしで回る?」
「回る。回らなかったら、戻る」
つむぎは、戸口から、要を見ていた。
「私も、行く」
「君がいなくなったら、顔を覚える人が、いなくなる」
「いなくならない」つむぎは言った。「教えた。四つの村に、一人ずつ。ひかりちゃんと、灯ちゃんと、ばあさまの孫娘と、塩尻の、薪を割る男の一人。四人とも、私ほどじゃない。でも、漉き目を見て、朱の色を見て、顔を見る。それができれば、十分」
「十分か」
「十分。要さんも、そう言った。生まれつきの分は教えられないけど、見る癖は教えられる、って」
要は、ノートを閉じた。
「……権田さんは、倒れた。瑠衣は、東京にいる。鷺沼は、顔を見たことがない。一ノ瀬さんは、七十を過ぎてる。商店街の台帳は、どうなってるか、わからない」
「わからないから、行くんでしょ」
「わからないから、行く」
外で、酒を飲んでいた二人が、立ち上がった。兵は、峠を登り、木曽の男は、峠を下りた。空の一本が、泥の上に、残った。
孫が、それを拾って、相場の板の横に、立てかけた。
「空き瓶、証半枚」孫は、板に書いた。「塩尻が、瓶を回収するって。次の酒を入れるのに」
要は、笑った。
コメント
1件
「兵が酒を買う」めっちゃ好きな回だった…。峠で兵と木曽の男が同じ酒を回し飲みしてるシーン、つむぎの「同じ顔」って台詞が刺さったわ。力の秩序じゃなくて、味噌と酒と薪で人が動く世界。要が書いた十二条「力は味噌と酒に負ける」、銀行で七年考えても出てこなかったってのがグッとくる。次は東京に行くのか…続きが気になる!🔥