「ところで話は変わるけど、今日の予定は何人だ?」
コーヒーをもう一杯マグカップに注ぎ、また大量の砂糖をブチ込みながら、問う佳華先輩。
今一つ言葉が足りない問い掛けだけど、その意味が分からないほどオレもバカではない。
「三人――断られる予定です」
断られる予定……まあ、正確には、入団を交渉している選手から返答がある数だけど。
「確か、栗原かぐやが今日じゃなかったか?」
「そ、そうですね……あとフリーの|木村詩織《きむらしおり》選手と|荒木絵梨奈《あらきえりな》選手です」
栗原かぐやという名前に、一瞬頬が引き吊った。それでもなんとか冷静を装い、事務的に答えるオレ。
「ウチに欲しいよなぁ。アイドルレスラーで在りながら、妥協を許さないファイトスタイル。なにより、実力も人気も今や日本一だ」
確かに。今や日本女子プロレス界のトップは、デビュー五年目でオレと同い年である弱冠二十二歳の彼女だろう。
ファンからはプリンセスかぐやなどと呼ばれ、絶大な人気を誇る栗原かぐや――
昨年度までは新日本女子プロレスに所属していた彼女。その新日本女子のタイトルはもちろん、友好団体のタイトルを含め三本のベルトを統一させた、日本女子プロ界初の三冠王者。現在ベルトの防衛戦も含め、シングル戦八十二連勝中。
国内に敵のいなくなった彼女はタイトルを返上。プロレスの本場であるアメリカに渡る事を視野に入れて、新日本女子との契約更新を保留中なのである。
しかも、すでにアメリカの団体からは、複数のオファーが来ているらしい。また、新日本女子としても、それだけの人気レスラーに抜けられるのはかなりの痛手である。破格の条件で契約更新の交渉を行っているそうだ。
佳華先輩の社長命令で、オレも一応は交渉に行ったけど……
「それに木村詩織も荒木絵梨奈もかぐやに因縁が有って、アイツの行く団体への参戦を希望してるんだろ? かぐやが獲れれば芋づるなんだけどなぁ……」
「まっ、無理でしょう。ウチみたいなビンボー団体じゃ」
「そこはホレ。お前の幼馴染み特権を使って、なんとかしてみろよ」
「うっ……」
佳華先輩の『幼馴染み』と言う単語に言葉が詰まる。
そう、オレと彼女――栗原かぐやは幼馴染みなのだ。子供の頃には、お互いプロレスラーになって『どっちが先に世界チャンピオンになるか競争だ!』なんていうくらいの仲……
それが今では、片や高校卒業と同時にプロへ入り、三本のベルトを統一させた元三冠王者にして日本女子プロ界のプリンセス。片やプロにもなれずに、ビンボー団体の雑用係……
会わせる顔がないとは、まさにこの事だ。
「無理ですよ。一応は仕事ですから会いには行きましたけど――アイツ、ずっと不機嫌そうな顔をしてましたから」
「バカだなぁ、お前は……昔から言うだろう? 女心と秋の空。女なんて単純なんだからプレゼントの一つもくれてやれば、すぐ機嫌なんて良くなるさ」
「プレゼントって……オレなんかよりずっと高給取りのアイツに、今さら何をやれって言うんですか?」
「だからお前はバカだと言うんだ。プレゼントてぇのは金額じゃない、気持ちだ気持ちっ! 気持ちさえこもっていれば、女は何でも嬉しいもんなんだよ」
おっ? 珍しく女性らしい意見。確かにこのまま、ずっとギスギスしてるのもしんどいし。
「じゃあ、具体的には?」
「そうだなぁ……お前の一日奴隷券なんていうのはどうだ? 絶対喜ぶと思うぞ」
「絶対お断わりします」
真面目に聞いたオレがバカだった。
気を取り直して、オレもコーヒーを淹れようと席を立った時、佳華先輩のデスクにある電話が鳴った。
「おっ? ウワサをすればか?」
そう言って嬉しそうに受話器に手を伸ばす佳華先輩。しかし、凍り付いた笑顔と共に受話器の少し手前でその手が止まった。
「出ないんですか?」
「…………非通知だ」
納得……
この時間、ウチに非通知で掛けてくるのは、テナントの家賃催促か借金取りくらいのもんだ。
オレと佳華先輩は何事もないように居留守を決め込み、コーヒーを飲みながら無言でコールが鳴り止むのを待つ。
そして留守電に設定されていない電話は、タップリ三十回以上の呼び出しのあとに、ようやく止まった。
「ったく……鬱陶しい奴らだ。いくら催促されても、無い袖と無いゾウさんは振れん」
そりゃあ佳華先輩にゾウさんは無いだろ――てか、今それを振る必要も無いだろう。
「鬱陶しいと言えば、お前の髪な――」
目の下まで伸びた前髪と、後ろで一つに束ねた腰の辺りまであるオレの長い髪をボンヤリと眺めながら呟く佳華先輩。
「うっ……そ、そんなに鬱陶しいですか?」
「う~~ん、まあぁな……。でもお前は線が細くて女顔だし、ロングも似合うんだから、その|一昔前《ひとむかしまえ》のエロゲ主人公みたいな前髪上げて顔を出したらどうだ?」
エロゲ主人公って……何でそんなのを知っている? まあ、ああいうシチュエーションには、若干の憧れもあるけど――じゃなくてっ!
「せ、線が細いのは、オレのファイトスタイルが|飛び技《ルチャ》系だったから、そういう絞り方をしてるからで――女顔は余計なお世話です!」
「だから悪いとは言ってないだろう? むしろ、何の手入れもせずにその肌ツヤとは……。そこはかとなく殺意が湧くぞ」
そんなんで殺されてたまるか。
「大学に入って、すぐくらいからだよな? 伸ばし始めたのは」
「ええ……」
高卒の時点で、身長がプロ入りの規定に足りていなかったオレ。大学在学中に身長が伸びるようにと願を掛けて、髪を伸ばし始めたのだが――
「結局伸びなかったな……身長」
「ええ……」
佳華先輩の言う通り、髪は伸びても身長は1センチも伸びなかった。
「十年前くらいには、身長の規定なんてなかったのに……男子プロもバカな規定を作ったもんだ。身長が低くても名レスラーと呼ばれる選手は、過去に何人もいただろうに」
「ええ……」
もう『ええ……』と言う言葉しか出てこない。とは言え、今は空前のプロレスブームだ。レスラー志望者の数も過去最高。団体としても、ある程度は|篩《ふる》いを掛ける必要があるのだろう。
「それで、まだ切らないのか? いくらなんでも、もう身長は伸びないだろう?」
「…………」
佳華先輩の問いに、言葉を詰まらせるオレ。確かに、今さら身長は伸びないだろう。それでも子供の頃からの夢なのだ。やはりまだ未練がある。
「なぁ、佐野優人……」
「えっ? は、はい!」
いつに無く真剣な表情を浮かべ、オレをフルネームで呼ぶ佳華先輩。その真面目な態度にオレも背筋を伸ばす。
「少し前のから考えていたんだが、お前ウチから――アルテミスリングからデビューする気はないか?」
「………………はい?」
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