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《日本・総理官邸 早朝》
薄い雲のむこうで、朝の光が鈍く広がっていた。
鷹岡サクラは、窓辺で一杯目の水だけを飲み干し、鏡を見た。
目の下の小さな影。 ——大丈夫、まだ走れる。
秘書官がドアをノックする。
「総理、国連の回線、準備できました。」
「ありがとう。……今日は“沈黙”と“言葉”の境界戦ね。」
自分で言って、少しだけ笑った。
怖い。だが、怖いまま進むしかない。
《国連本部オンライン会合(安保理臨時+SMPAG合同)》
巨大な円卓スクリーンに、各国首脳と宇宙機関の顔が並ぶ。
アメリカ大統領ジョナサン・ルース、
EU議長、中国代表、そしてNASA・ESA・JAXAの科学者たち。
サクラのモニターに、懐かしい声が入る。
「Prime Minister Takaoka.(鷹岡首相)」
低く響く英語。ルースだ。
「Mr. President.(大統領)」
サクラは丁寧に会釈した。
通訳の遅延が、わずかに呼吸を乱す。
議長が開会を告げる。
「本会合の目的は二点。“オメガ”に関する国際共同発表と、対策行動の調整です。」
NASAのアンナ・ロウエル博士が静かに話し始めた。
「最新観測では、衝突確率19%。まだ確定ではありませんが、
毎日の変動が無視できないレベルです。」
JAXAの白鳥レイナが続ける。
「“太陽の死角”からの接近により、従来の観測網では検出が遅れました。
いまは見えている。だからこそ、動けます。」
サクラはマイクをオンにした。
「動くためには、世界が同じ言葉で事実を受け取る必要があります。
国連として、今日から“カウントダウン”を公式化できませんか。」
会場にざわめき。
EU代表が眉を寄せる。
「“終末時計”のような炎上を招くのでは?」
サクラはうなずいた。
「炎上は避けられません。ですが、基準のない恐怖はもっと危険です。
“今日=残り90日”を、世界の共通の暦にする。
毎朝、科学者の言葉でアップデートを流す。
“知らない”から生まれる混乱を、減らしたいんです。」
ルースがゆっくり口を開いた。
「……私は、賛成だ。
“沈黙は恐怖を増やす”——昨日、痛感した。」
彼は一瞬だけ画面の外に目を逸らした。
——平然と見えるが、声に疲れが混じる。
サクラはわずかに息を整えた。
彼も、怖いのだ。
中国代表が慎重に言う。
「情報は国家の安定に直結します。日次の発表は、混乱を招く恐れも。」
白鳥が割って入る。
「発表しないことこそ、推測とデマを招きます。
“数字は変動するものだ”という体験を、
世界に毎日与えてください。」
アンナがうなずく。
「“上下する確率”を見せることは、希望の教育でもある。」
しばし沈黙。
議長がまとめる。
「議題一、“オメガ・カウントダウン”を国連広報として公式採用。
本日より“残り90日(T–90)”のデイリーブリーフを開始する。
各国はこれを引用の標準とする。異議は?」
少数の躊躇があったが、反対なし。
——可決。
サクラは小さく息を吐いた。
胸の奥の硬い結び目が、すこしだけ緩む。
《同会合・第二部 首脳ラウンド》
議題は、“もし衝突確率が上がった場合の予備案” に移る。
アメリカ大統領ルースが慎重に切り込む。
「……理論上は、“キネティック・インパクター”という方法がある。
だが、これはあくまで研究段階だ。
実戦投入はまだ誰も——成功率は五分——いや、それ以下だ」
白鳥が穏やかに言葉を挟む。
「はい、現時点では“選択肢の一つ”にすぎません。
ただし、遅れれば遅れるほど準備に時間がかかります。」
EU代表
「つまり、検討だけは始めるべきだと?」
白鳥
「“もしもの場合”に備え、各国で技術的な情報共有を——
その程度です。
もちろん、正式な政治判断ではありません。」
ルースがうなずく。
「アメリカも“予備的検討”は認めよう。
だが、名前も責任もまだ決めない。
正式化する段階ではない。」
白鳥
「はい。あくまで技術者同士の“机上の話”として。」
「しかし——五分でも、賭ける価値があります。
観測はJAXA・ESAと共同、打上げは米主導で。」
EUが問う。
「もしその失敗の責任は、どこが負う?」
会議室の空気が硬くなる。
サクラが口を開いた。
「全員が負います。
“人類の決定”として。」
言ってから、心臓が跳ねた。
ルースがわずかに笑った。
「なら、その時は日本にも観測主導で入ってもらう。
……君が“人類の決定”と言うならな。」
サクラはうなずいた。
「日本は逃げません。——怖いけれど。」
数人が驚いたように視線を上げる。
サクラは続けた。
「私たちは皆、怖い。
でも、怖さを共有できるなら、まだ理性は生きている。」
静かな拍手が、いくつかの画面で滲んだ。
ルース
「しかし正式な決断は、もっと後だ。
——これは、まだ“始まり”にすぎない。」
《日本・JAXA/ISAS 相模原キャンパス(軌道計算・惑星防衛)》
観測室では、白鳥の部下たちが息を潜めて回線を見守っている。
若手が小声で言う。
「主任……総理、すごい。怖いって言いました。」
「ええ。だから信じられる。」
白鳥は眼鏡を押し上げた。
「理想を語るリーダーは多いけど、“怖い”を言える人は強い。」
画面の端で、—Impact Probability:20.1%—が点滅した。
部下が喉を鳴らす。
「上がりました……。」
白鳥は一呼吸、間を置く。
(落ち着いて。数字は踊る。踊らされるのは人間)
「観測ログ、時刻刻みを細かく。跳ねの起点を探すわ。」
《東京・新聞社社会部》
記者 桐生誠 は原稿の見出しに悩んでいた。
“国連、オメガ・カウントダウンを公式化” ——正しい。でも、冷たい。
同僚が言う。
「クリックは“恐怖”が稼ぐ。お前の見出し、固いんだよ。」
桐生は肩をすくめた。
「今日は“冷たくていい”。
熱い言葉は、もう燃えすぎた。」
彼は一行、加えた。
“『私たちは皆、怖い』——総理発言。 それでも世界は、同じ暦で朝を迎える。”
(届いてくれ。人に)
《国連広報・記者会見》
国連広報官が声明を読み上げる。
「本日より、“オメガ・カウントダウン(T–90)”を採用。
毎日UTC 09:00に“確率・軌道・対策進捗”を更新します。
パニックを避けるには、情報の習慣化が必要です。」
後方の席にいた外国人記者が小さく漏らす。
「習慣化、ね。最初の恐怖を、日常に混ぜるのか。」
隣の同僚が頷く。
「それが、生き延びるってことだろ。」
《アメリカ・ホワイトハウス 控室》
会議後の短い二者会談。
ルースがモニター越しに、コーヒーカップを掲げる仕草をした。
「鷹岡首相。君の“怖い”は、効いた。」
サクラは笑う。
「慣れてない言葉です。でも、正直が必要でした。」
「君は正直で、私は現実主義者だ。
いい組み合わせだろ?」
「ええ。……でも、時々ぶつかりますよ。」
「望むところだ。」
ルースは少しだけ視線を落とした。
「実は私も、怖い。負け続けてきたからな。
戦争でも、パンデミックでも、人間は完全には勝てなかった。」
サクラは一拍置き、静かに言った。
「それでも、“明日の朝”を作ってきたのは人間です。」
ルースは目尻だけで笑い、回線が切れた。
《日本・総理官邸 夕刻》
会見の準備。
原稿には赤い書き込みが重なっている。
中園が小声で確認する。
「“怖い”は、あえて残すんですね?」
「残すわ。私が怖くないと言えば、国民は置いていかれたと感じるから。」
藤原が頷く。
「“怖いときに怖いと言える”のは、訓練より資質です。」
サクラはペンを置き、深呼吸。
(大丈夫。息は入る)
《国民向け共同会見(日本・同時通訳付)》
フラッシュの嵐の中、
鷹岡サクラはゆっくりと壇上に立った。
カメラの赤いランプが一斉に灯る。
(みんな、怖い。私も怖い。それでも——)
小さく息を整え、マイクに向かって口を開いた。
「国民の皆さん。
そして、世界の皆さん。」
一瞬の静寂。
「本日、日本政府は、
地球近傍天体“オメガ”に関する最新情報を共有します。」
背後スクリーンに、OMEGA COUNTDOWN:T–90 の白い文字。
淡い地球の画像が静かに回転している。
太陽と地球と、その軌道を横切る小さな点が映る。
「“オメガ”は、
太陽方向から接近している小惑星です。
その軌道が、今後地球の公転軌道と近接する可能性があることが、
NASA、JAXA、各国機関の共同解析で分かっています。」
記者たちがペンを走らせる。
「重要なのは——
現時点で“衝突が確定した”わけではないということです。」
サクラは、言葉をひとつひとつ区切るように続ける。
「最新の解析では、
“地球と非常に近づく確率”は二〇%前後。
ただし、これは観測状況によって上下します。
今後の観測で“下がる”可能性も、“上がる”可能性もあります。」
サクラ:「きょう、世界は同じ暦で朝を迎えました。
“オメガ・カウントダウン”です。
毎朝、私たちは数字と向き合います。 上がる日も、下がる日も、正直に。」
「私は、怖い。皆さんも、怖いでしょう。
でも、怖さを共有できるうちは、理性は生きています。
今日から毎日、科学者とともに説明し、 準備を進め、希望を減らさないと約束します。」
「政府は各国と連携し、
観測の強化、軌道変更の可能性、安全保障・避難計画——
できることを、ひとつずつ進めていきます。」
最後に、短く頭を下げた。
「どうか、 冷静な行動をお願いします。」
一瞬、会見場が静まる。
記者のシャッター音が、雨のように続いた。
《夜・世界の街角》
パリのカフェでは、店主が黒板に “T–90” と白チョークで書いた。
ニューヨークのビルの壁面には、巨大なデジタルカウントが灯る。
ムンバイの市場では、屋台のラジオが小さく英語のアナウンスを流す。
東京の地下鉄では、ニューステロップに “明朝9時、国連が日次更新” と流れた。
誰もが、同じ“暦”を見上げた。
それは“終わりの時計”ではなく、 “生き延びるためのリズム”になり始めていた。
《日本・JAXA/ISAS 相模原キャンパス(軌道計算・惑星防衛)》
白鳥は最後のログを保存して席を立つ。
画面の片隅、20.3%。
彼女は呟く。
「数字は怖い。でも、数字で怖さを飼いならすの。」
デスクライトを落とし、廊下へ出る。
夜気が、肺の奥を冷やした。
《荒川河川敷・同時刻》
ブルーシートの下、城ヶ崎悠真は眠れずに空を見ていた。
遠くで電車の音。
彼のポケットの中、止めたはずのスマホが微かに震える。
——圏外通知の残像。
「T–90、ね。
……世界が、俺の“タグ”を取り返しに来た。」
彼は目を閉じた。
(よかった。これは、もう俺の手を離れた)
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.