数発の銃声と共に、エンジン音が街中に響く。タイヤのゴムが引き攣れる焦げ臭い匂いを伴って派手なウィリー走行を行う真っ赤なフェラーリが街角から飛び出した。
「ヒュウ、やっぱ任務はこうじゃねぇとなぁ!!!」
運転席でテンション高く叫ぶのは、赤いメッシュの入った鳶色の髪に、鳶色の目の青年。歳の頃はおそらく20代の前半で、鋭い眼光を覆い隠す円形のサングラスと洒落た山高帽が特徴的だ。
「説明しよう!俺は今、非常に困っている!」
あ、言っとくがこのカーチェイスは理由じゃねぇぞ?などと、どこかのスパイ映画にでも影響されたかのような大きな独り言を繰り広げつつ、彼は街路を走る。
助手席にはなぜか昏倒したままの金髪の女性を一人載せて、交通ルールなんて知ったこっちゃねぇ、と捜査官を挑発するようなスピードで。
後ろから追う十数台の黒塗りの車には目もくれず、彼は郊外へと向かう。
慣れた手付きで直角に急カーブを切るが、後続車は数台曲がり切れずに路地の壁面に激突した。
それに伴ってエンジンに着火、炎上し、黒い車からもくもくとした白煙が上がる。今はまだ遙か後ろを追っている捜査官達のサイレン音も、刻一刻と近づいてくる。
「コラテメェ!!その女置いてきやがれ!!」
「ッハ、やなこった!犬だって仕える相手ぐらい選ぶんだぜ!!」
などと軽口を叩きながらも、懲りる事なく向かってくる黒塗りの車に舌打ちをする。
そのまま片手だけを後ろに向けて、彼は手に持つ銃を撃った。
チラリと一瞥するだけで放たれた一撃は、吸い込まれるように相手のタイヤに当たってパンクを起こす。
急激な空気漏れでコントロールを失った車が互いにぶつかり合って、火花と鮮血が飛び散る。
見事な玉突き事故現場の完成だ。最も、通常ではあり得ないぐらいに沢山の物が巻き込まれ、市街地を破壊してはいるが。
追っていた十数台以上の黒塗りの車も、もはや半分ほどになっている。
「クッソ…アイツ、結構やりやがる……」
「確かに、アイツの鳶色の髪、どっかで見覚えが……」
黒服達がそう呟く。言葉は風に乗って、鳶色の髪の青年の耳にまで届いた。
その途端、退屈そうに運転していた彼の表情が少し明るくなる。
「ッハハハ、もしかして知らねぇの?俺のコト。」
なら仕方ねぇな、と機嫌良さげにニヤニヤ笑う口から尖った犬歯が覗く。
「教えてやるよ、俺はルーカスだ。あぁ、こう言ってやった方が通りがいいか?」
パッと両の手をハンドルから離し、足を乗せ後ろを向く。一息置いて口を開こうとする。それと同時に、やっと合点が言ったらしい黒服が叫んだ。
「四大ファミリーの幹部候補生、“星夜の狂犬”だ!」
その答えに、「お、正解!いやぁ、中々やるのなてめぇ。」と、満足気に頷く鳶色の髪の青年。
そう、彼の名はルーカス。貧民街の出身のため姓は不明だが、マフィア組織“Famiglia Di Stellato”の先代ボスに見出された腕利きの殺し屋である。
最も、今現在は幹部候補生の身であるため、立場上はあまり前線に出ないという事になってはいるのだが。
「けどなぁ……」
と、少し間を置いた次の瞬間、「俺は自分のセリフ取られんのが一番ムカつくんだよ!!!」と、突如激昂して銃を抜いた。
ガタガタと揺れる車上、その上、彼は車を足で適当に運転している。
常人なら銃を撃つ以前に、即座に事故を起こすだろう。
にも関わらず、やはり彼が放った銃弾は、吸い込まれるように黒服の内一人…先ほど喋った張本人…の頭を撃ち抜く。
血飛沫と脳漿が飛び散って、汚らしい赤と僅かに茶色い液体で染まった車を満足気に眺め、彼は再びハンドルを握る。
またしても急カーブを無造作に切って、意気揚々と街の外へと繋がる橋へ向かい始めた。
それらを直接浴びてしまった黒服の男は、えずきながらも部下らしい禿げた男に叫んでいる。
「チッ、仕方ねぇ…テメェら応援を呼べ!挟み討ちだ!!」
「いや、無理です!!既に拠点からは大分離れています!!!」
しかしなぜ、ルーカスはこんなにも大勢に追われているのだろうか。
その原因はたった一つ、この場には不釣り合いな一般人めいた服装の助手席の彼女こそがこのカーチェイスの重大な駒、彼らが互いに奪い合っている目標物なのだ。
「や、しっかし参ったなこりゃ。」
そう彼は独りごちる。彼の知っている限りでは、この先の橋は壊れているからだ。それもたったの数十分程前から。
しかし、ふと思いついたかのように誰かに電話を掛け始めた。
「あ、おいルミナ、お前なんでも屋だったろ。橋直せ橋。今スグに。」
「まずその前提が間違いさね。そもそも部下でもないアタシに頼まないでおくれよ。馬鹿じゃないのかい?」
電話の相手…ルミナと呼ばれた女性は、そう端的に言うとブチリと電話を切る。彼はその態度に苛立ちを抑えきれず「クソが!」と軽く毒づくが、そもそもなぜ橋が壊れている事を知っているのだろうか。
答えは非常に簡単で、その時間帯にあったちょっとした騒ぎの際に自分で爆破したからである。
つまりは、自業自得というヤツだ。
それをルーカスは棚に上げて、「ったく、俺のコトをバカだのなんだの言いやがってさ。あの刃物マニアいつかぜってぇ撃つ。」などと物騒な事を呟いている。
しかしそうこうしている内に、もうあと一回道を曲がれば橋、という所まで来てしまっている事実に気がついた。
「ま、関係ねぇけど、さ!」
「何がだ!っとよし、追い詰めた!観念しろ!」
当然ながら、ルーカスの予想通り橋は直ってはいない。それどころか、僅かに残っている端の部分さえ今にも崩れそうだ。
それに気づいた後続の車が、緩やかに速度を落としていく。
だが、彼は違う。
「バカが、追い詰められてなんざいねぇよ!むしろ全力でアクセル踏んでやらぁ!!」
そう言うが速いか、本当に全力でアクセルを踏み込んだ。
僅かな傾斜を利用しつつ車を上に向けて、反動で一気に車体が宙に浮く。
一瞬の浮遊の後、少々のスリップと共に川を挟んだ反対側に着地した。
それを見てとるや任務の失敗を悟り、絶望を顔に張り付ける黒服達。
そんな彼らを楽しそうに眺めて「じゃあな、せいぜい残り僅かになった人生を楽しめよ!!」と言い捨てると煙草に火をつけ、高らかに笑いながらその場を走り去った。
だがその数秒の後、ふと気づいたようにポツリ、「無事に誘拐成功したのは良いけどさ…この眠りヒメ、一体いつ起きやがんだ?」と呟くルーカス。
生きたまま誘拐してこい、との命令だった割に、大分荒っぽい運転をしていた自覚はあったようだ。
裏社会に於いて、任務の失敗は死を意味する。
彼自身は命に価値など見出さないし、命令を聞こうと思える相手…彼を拾った恩人である先代ボス…も、今となっては最早亡い。
よって、成否に関してはどうでもいいと言えばどうでもいいのだが。
とはいえそれはそれ、これはこれ。
彼女を何に使うのかはさて置いて、先代ボスの死の原因に近づけるかもしれない、となれば失敗は彼のプライドが許さない。
そのせいか、「死んじゃいねぇだろうな?」などと、少々らしくないセリフが思わず口をつく。確認のためなのか、揺すったり突いたりもしている。
すると、僅かにではあるが呻き声が上がった。
そのまま彼女はパチリと目を開く。紅水晶のような美しい瞳が不思議そうに瞬いている。
「あ、なんだ生きてんじゃねぇか。もっと早く反応しやがれ。」
「一体何を言って…って、ここはどこよ!?」
思わずそう叫んでいる。最も、目が覚めれば誰とも知らない男の車に乗せられている、となれば、誰だって大声ぐらい出すだろう。
手を上げようとしたが、じゃらりとした重たい音がする。思わず視線を手元に落とし、彼女は自らの状態を自覚した。
「手錠…?」
「は?それ以外の何に見えんだ?」
ルーカスの返答で完全に理解してからは、彼女は半ばパニックになっている。
一方のルーカスはその様子を見ながらゆっくりと紫煙を吐いて、「や、無様でかわいいなホント。」とケタケタ嗤っている。そのうち…数分程経つ頃には、彼女もすっかり大人しくなってしまった。
「なんだ、つまんねぇの。」
食傷気味に、もうちょい暴れるとか何とかしろよな、とルーカスは酷く小さく呟いて、ハンドルを切って拠点へと走り出した。
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