テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
鷹槻れん

53,239
篠原愛紀
821
ルミナス王立学院に、再び輝かしい春が巡ってきた。
進級して二年生となったステラとジョシュアは、今や学院全体の「憧れの象徴」として、誰もが遠巻きに見上げる存在になっていた。
新入生たちが初々しい制服姿で行き交う中、中庭のテラス席で優雅に紅茶を嗜む二人の姿は、一幅の絵画のように美しい。
「見て、あれが二年クラスのステラ様とジョシュア殿下よ……」
「なんて完璧なお二人なの。ステラ様の胸元に輝くあのサファイア、殿下の瞳の色と同じでしょう? まさに相思相愛の双璧だわ……」
新入生たちの羨望の囁きを背中で聞きながら、ステラはそっと紅茶のカップを置いた。
一年生の頃の瑞々しさはそのままに、どこか大人の色香と、次期王妃としての気品がその佇まいに備わっている。
その胸元には、あの聖夜に贈られたサファイアのネックレスが、今も変わらず美しくきらめいていた。
「新入生たちが、君に見惚れているね。……やはり、僕の部屋に閉じ込めておけば良かった」
対面に座るジョシュアが、ネクタイに留めたエメラルドのタイピンに触れながら、少し拗ねたようにサファイアの瞳を細める。
体躯も一回り大きく、逞しくなった彼は、ステラへの独占欲も日を追うごとに強くなっているようだった。
「もう、ジョシュア様。新入生の方々が驚いてしまいますわ」
ステラはクスリと悪戯っぽく微笑み、ジョシュアの手元へ好物の焼き菓子を差し出した。
周囲からは「完璧で冷徹な皇太子と高嶺の花」に見えても、二人だけの空間には、甘く穏やかな時間が確かに流れていた。
しかし、そんな甘やかな日常の裏で、ジョシュアには少しずつ「焦り」の影が忍び寄っていた。
二年生になり、国王陛下の名代として、本格的に国政の手伝いを始めたジョシュア。現在、王国は隣国との国境付近にある鉱山領地の開拓問題を抱えていた。
利益を急ぐ一部の強硬派貴族たちからの圧力を受け、ジョシュアの書類仕事は連日深夜にまで及んでいた。
数日後の放課後、生徒会室。机の上に山積みにされた書類を前に、ジョシュアの美しい顔(かんばせ)は、いつになく冷酷に強張っていた。
「――この開拓案で進める。立ち退きに反対する現地の領民たちには、強制執行も辞さない。国の利益を最優先する」
ジョシュアの冷え切った声が室内に響く。焦燥感から、彼はいつも以上の冷徹さで、一気に問題を片付けようとしていた。
「殿下。それは、いささか強引が過ぎます。領民の反発を招けば、かえって開拓は遅れるかと」
傍らに立つ筆頭補佐官のシエルが、眼鏡の奥の瞳を鋭くして即座に異を唱えた。
しかし、連日の疲労と焦りから、ジョシュアはシエルの正論を撥ね退けてしまう。
「黙れ、シエル。これ以上時間をかけるわけにはいかないんだ。僕が、完璧な皇太子として、早く成果を出さなければ……!」
「――それはお間違えです、ジョシュア様」
部屋の入り口から、鈴を転がしたような、けれど凛とした強い声が響いた。お茶の差し入れを持って部屋に入ってきたステラだった。
ジョシュアがハッとして顔を上げる。ステラはいつも通りの美しい所作で歩み寄ると、ジョシュアの机の前に真っ直ぐに立ち、そのエメラルドグリーンの瞳で、逃げ場のないほど真摯に彼を見つめた。
「ステラ……君は口を出さないでくれ。これは国政の、この国を背負う者としての判断だ」
少し拒絶するように視線を逸らそうとするジョシュア。
しかし、ステラは一歩も引かった。
彼女の胸の奥にある、五歳の頃から培ってきた「皇太子妃としての芯」が、最愛の人の間違いを看過することを許さなかった。
「いいえ、申し上げます。ジョシュア様、今のあなたは、完璧なリーダーなどではありません。ただの、焦りに囚われた暴君ですわ」
「なっ……」
「国の利益のために、民の心を置き去りにするような強行を、ルミナスの民が望むとお思いですか? 私の大好きなジョシュア様は、五歳のあの日、泥に汚れた私の手を優しく拭ってくださった、誰よりも温かい御心を持ったお方です。民を切り捨てるような冷酷な成果など、私は認めません。……そんな方の隣には、私は立ちたくありませんわ」
淑女の礼儀を崩さず、しかし一切の妥協なく放たれたステラの言葉は、ジョシュアの凍りついた心を激しく揺さぶった。
もしシエルだけの指摘なら、ジョシュアは「立場上の正論」として撥ね退けていたかもしれない。
だが、世界で一番愛し、その隣に立つために全てを懸けてきたステラからの、命を賭したような拒絶と、信じ切った瞳。
「……あ……」
ジョシュアは深く息を吐き、両手で顔を覆った。ステラの凛とした正論によって、頭に上っていた血が、すうっと引いていくのを感じていた。
「……すまない、ステラ。シエルも。……僕は、どうかしていた」
ジョシュアはゆっくりと立ち上がると、ステラの前に歩み寄り、その華奢な身体を壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。
「君の言う通りだ。僕は焦って、一番大切なことを見失うところだった。……僕を止めてくれて、ありがとう、僕の偉大な婚約者」
「ジョシュア様……」
ステラはジョシュアの背中に優しく手を回し、その強張った身体をほぐすようにトントンと叩いた。
背後では、シエルが「やれやれ、私の言葉よりも、やはり妹の一言ですね」と、呆れつつもどこか誇らしげに微笑んでいた。
お互いを甘やかすだけでなく、間違っている時には命がけで支え合える。
周囲はまだ知らないが、この二人こそが、王国の未来を背負う、世界で最も強く結ばれた最高の伴侶だった。
コメント
1件
ああ、読了しました。2年生編、いいですね。ステラが「ただの焦りに囚われた暴君ですわ」とジョシュアを真正面から諫める場面、とても印象に残りました。甘やかすだけじゃなく、間違った時には命がけで止められる関係性って、彼女が「皇太子妃としての芯」を持っているからこそですね。シエルの「妹の一言ですね」という含みもある台詞も、物語の厚みを感じさせてくれました。続きが気になります。