令和四年の春は熱かった…… 暑いじゃなくて熱いである。
戦いの熱気は大きな寸胴から発せられ続ける蒸気と相まって店内の気温を天井知らずに上昇させ続けていたのであった。
密を避けるのが常識となり始めたこのご時世に、好き好んで人の集まるイベントを開催する物好きなんて中々いないし、感染リスクも考えずにやってくる見物客もいないだろう、叩かれたいの? それとも情報弱者なの? ステイホームだよ? 馬鹿なの?
誰もがそう思う灼熱の中、完璧な馬鹿が集う中華料理店がありました。
ここは静岡県の東部に位置する富士市である。
ちょいと人気が出始めたラーメン店が、気分で開催してしまった大食い大会の会場に、彼女は居た。
彼女の名はコユキ、誰も知ってはいなかったが、当代の聖女にして、聖女達のリーダーである、『真なる聖女』その人である。
って調子良く話している私は誰?
そうだろうな、改めて自己紹介をしておこう。
私は『観察者』、本作の主人公、コユキと善悪の人生を経験し、それに纏わる様々な人々の人生を観察する者である。
湯気が立ち込めたラーメン店でコユキは何をしているのであろうか?
どうやら見物ではないようだ、食べてるし。
では、早速一年ぶりの観察を始める事としようではないか。
ふはふはふはっ! ズゥルズゥルズルズルズルッゥ! ズズズズズズズズゥゥッ!
「ぷっはぁっ! 美味しいわねっ! 魚介や豚骨に甘える事なく麺、トッピング、何よりスープよね? 飽きが来ないわぁ! 何杯でも食べられちゃうわよ! これ何の魔法? これ、魔術? コユキビックリ、コユキ驚きよぉぅ! んん、おかわりぃ! 九十六杯目! コユキショックよおぉぅ!」
うん、一年ぶりのコユキ観察であったが……
相変わらず、いいや、なんか去年より食に対する情熱が加速している気がした、私、観察者である。
言葉の通り、コユキも驚きの食べやすさ、であった様である。
元来細麺好きのコユキが啜っているのは極太麺、にも拘(かかわ)らず啜り上げるスピードも、咀嚼(そしゃく)して嚥下(えんげ)するペースにも、一切、能力低下、所謂(いわゆる)疲れちゃったよ…… 的な悲哀は見つける事が出来なかったのである。
実の所、コユキの咀嚼力はミックスナッツばっかり食べている、父ヒロフミ譲りの強固過ぎる物なのである。
四十一歳を迎えた現在まで、なんと、コユキには一本の虫歯も無いのであった。
かの善悪和尚ですら、中学時代にコユキの平手によって折られた差し歯が数本有るというのにである、正直びっくりだよ!
一年程前、足柄山中でスズメバチを相手に、ガチガチと噛み千切り続けたその歯を使い、美味しいラーメンを咀嚼し、飲み込み続けるコユキを応援する声が一つ。
「コユキさーん! 頑張ってっぇ~!」
汗だくでお腹はパンパン、限界間際だったコユキがチラリと声のした方向に視線を向けた。
向けた先では、割とお洒落なカジュアルスーツに身を包んだ男前が、馬鹿みたいにブンブン手を振っている姿が映る。
彼は、二週間前コユキがお見合いをし、その時に交わしたラインでやり取りを繰り返してきた相手、言ってみれば今日のデート、大食い大会参加企画の相方、まあ提案者であったのだ。
生まれてこの方お腹一杯になった経験の無い、可愛らしいコユキにその言葉は投げ掛けられたのであった、ラインで……
「へぇ~、コユキさんはお腹一杯食べた事無いんだぁ~!」
「そうね」
「ええっ! そんな可哀想な…… コユキさん! コユキさんが一番好きな食べ物って何なのぉ?」
「むっ、一番好きな食べ物……?」
「そそ、一番おいしかったものって何なのぉ?」
「…… ふがし、かな?」
「え、ふがしって麩菓子、なのぉ?」
「ふがし」
「そ、そうなんだ、個性的だね」
「ふがし」
「…………でも麩菓子じゃお腹いっぱいまで食べるのにトラックとか必要になっちゃうね」
「ふがし」
「ねえ、コユキさん? 大丈夫? なんか返信おかしいけど」
「だから、ふがしだってば」
「? どうしちゃったの?」
「ああ、ゴメン! 今こっちで弟と話してたから間違えて打っちゃったわ」
普通、直接の会話の返事をスマホに打つ人間はいないだろうがそこはコユキらしい、そう言う事なんだと思う、にしてもふがしって答え続けるシチュエーションって一体……
気にはなるが今はコユキと男性のラインに意識を集中しなければなるまい。