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関東地方の梅雨入りを知らせるニュースを今朝見た。
しとしとと降り続く雨ではなく、やはりここ最近の梅雨は豪雨と真夏日が交差して過ぎていく。
(今日は、雨かあ)
柚は先ほど最後の客が帰ったばかりの店内入り口ドアを眺めながら思った。
雨といえば、思い返す人物などたったひとりだったのに、それをいとも簡単にぬりかえてしまったのは、ほんの二週間前の出会いだ。
『雨の日の想い出は』と。そう声にした優陽の表情は何故か柚の頭の中に色濃く残った。彼の様々な顔は、決して多いとは言えない柚の他人との関わり合いの中では異端であるからだ。
そしてここ数日、その優陽を見ていない。
いや、少し違うかもしれないと柚は思い直した。
意識をしてみればいたるところで彼を見ることは可能だったから。
音楽配信サイトにはランキング上位に森優陽と、その名を見かけたし、動画配信サイトではライブ映像やMV。
SNSなんかでは過去噂になった女優やモデルとの真相を探るものや、現在の恋人は? など騒がれているし。
また、純粋に森優陽の音楽への評論も見かけた。
激しく情熱的にバンド志向、しかし時にはおしゃれなアップテンポを操るポップスだったりクラシカルな壮大さも持ち合わせている。ジャンルにとらわれないその活動には賛否両論で、しかしコアなファンの、その熱量は傍目にもわかってしまうほどで。
不協和音を巧みに使いこなす、本来耳障りになるであろう違和感が、彼の描く歌詞の中の世界に乗るとその感情に形を感じるのだと。
気怠げに日常を描いたかと思えば、悲壮な別れを歌う。
メッセージ性が高いものがあれば、跳ねたリズムをBGMに朝の始まり、流れる音がその背中を押すものもある。
アンニュイに言葉を繋げてみたり、語り口調でしっとりと歌い上げることもあれば攻撃的に絶望したものまでも。
中でも、歌詞への共感、それは柚の目を引いた。
誰かは勇気が出たと歓喜する。誰かは、切なくて胸が痛くなると呟いて。
誰かは、優陽って女々しくない? と、彼の恋愛観を揶揄するような言葉もあった。
“女々しい”と、優陽の印象がどうにも交わらなくて、夜にひとり考え込んでみたりもした。どこか飄々として、立ち入らせないかわりに相手には土足で踏み込む無神経さも感じる。
それでもどこか、払い除けられない優しさのようなものも感じてしまう。
(ほんと、よくわからない人)
それにしても。なぜ、いつもはしないような、特定の人物を調べる真似などしたのだろう。
二度しか会っていない相手に対して、今日は来ないな。と、思ってしまう自分が何度もいた。
彼の距離の詰め方に、柚は飲み込まれてしまっているみたいだ。
会わなくていいのでは、と伝えたのは間違いなくこの自分なのに。