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#BL
#ヒューマンドラマ
Hp2
409
声が、わずかに掠れた。その一音で、十分だった。
続きは、言葉になる前に喉で折れる。
縫季は息を吸った。ほんの一瞬、間が空く。
――違う。
今、胸に渦巻いているのは任務の焦りじゃない。清朗を、帝辛から引き離したい。そのための理由を探しているだけだ。
(最低だ)
それでも、手の中の小壺は重い。指の節が、白くなるほど握りしめている。
清朗は、縫季の沈黙から視線を逸らさない。虚ろだった瞳が、細くなる。そこに、初めて見る色が宿る。
――嫉妬。
剥き出しの、焼けるような。
「……分かった」
短く、断定する。
「なら、なおさらだ」「あいつの側にいるのは――俺だ」
一歩、踏み込む。距離が詰まる。清朗の息が熱い。
狂楽香の甘さが、そこに混ざる。吐息が、縫季の頬を撫でる。甘くて、苦い。まるで、毒を塗った蜜のように。
(……香が、濃い)
密室だ。清朗の身体から滲み出た香が、部屋に満ちている。縫季の判断が、わずかに鈍くなっていく。
気づいている。気づいているのに、足が動かない。
「……お前みたいな、後から来た奴に」
言いかけて、言葉が途切れる。声が嗄れていた。喉の奥から、絞り出すような音。
拳が震える。自分で抑えきれない震えだった。
清朗は震える手で、縫季の胸ぐらを掴んだ。布が、きつく捻られる。
清朗の指先が、熱い。布越しに、心臓の鼓動が伝わってくる。
速い。乱れている。
「……もう、嗅ぎ回るな」「余計な真似をするな」
低い声。命令というより、懇願に近い切迫だった。
目が、赤く濡れている。涙か、怒りか、それとも――狂楽香の熱か。
縫季は、抵抗しない。
できない。
清朗の顔が、近い。
息が、唇にかかる距離。
甘い香が、縫季の肺を満たす。
頭の奥が、ぼんやり熱くなる。
「清朗、俺は――」「いいから、出てけ」
清朗の指が、布を強く握り締める。
一瞬、力が抜ける。
まるで、自分を抑えきれなくなったみたいに。
「……俺が、まともなうちに」
そう言って、清朗は縫季を押しやった。
縫季の背が、戸にぶつかる。鈍い音が、部屋に残る。
胸ぐらの布が、皺になって残っている。清朗の指の熱が、まだそこに残っている。
「……分かった」
縫季は、小壺を握りしめたまま部屋を出た。扉が、背中で閉まる。
廊下は、静かだった。
縫季は、胸に手を当てる。布の皺を、指でなぞる。まだ、熱い。
(……俺は、何をしてる)
清朗の愛を、否定した。傷つけた。任務のためなのか。
それとも――。
胸の奥に、苦い熱が残っている。清朗の言葉が、耳に残る。
「……お前も、帝辛が好きなんだろ」
縫季は、拳を握りしめた。爪が、掌に食い込む。
痛い。
でも、胸の痛みには敵わない。
朝日が、回廊から差し込んでいた。新しい一日が、始まろうとしている。
縫季は歩き出した。紫紅の液体が揺れる銅壺を、手の中で重く感じながら。
扉が閉まったあと、清朗はしばらく、その場から動けなかった。
手の中に、何も残っていない。
小壺は、縫季が持って行った。
香が、ない。
清朗の手が、震える。
(殿下……殿下……)
清朗が殿下と呼ぶたびに、線が薄れる。
声に出さなくても。心の中で呼ぶだけで。
誰も気づかない。清朗も、気づかない。
ただ、線だけが知っている。
清朗は、床に膝をついた。
◆
縫季は、自分の部屋に戻った。
扉を閉め、卓の上に小壺を置く。紫紅の液体が、静かに揺れている。
座に腰を沈めると、背骨の奥がきしんだ。清朗の声が、まだ耳に残っている。
――帝辛を、愛してる。
その言葉は、胸に刺さったまま抜けない。抜けないのに、血が出ない。だから余計に、痛い。
縫季は小壺を見る。蓋は閉じているのに、甘い香が滲んでいる。
(……安堵)
そう名付けられた甘さ。でも、これは安堵じゃない。安堵の顔をした刃だ。
縫季は指先で蓋を押さえ、息を整える。調整員の呼吸。深く、ゆっくり。――そうしないと、手が震える。
蓋を開けた。
甘い香が、部屋に満ちる。舌の奥が、先に甘くなる。目の焦点が、ほんの少しだけ甘さへ引かれる。
縫季は、ほんの一度だけ吸った。
……世界が、軽くなった。
肩から力が抜ける。胸のざらつきが、薄い膜を張られて遠のく。代わりに、ひとつの言葉だけが残る。
――殿下のために。
その言葉だけが、正しく見える。正しいというより、疑う余地がなくなる。
(危険だ)
縫季は、すぐに息を吐いた。吐いても甘さが残る。残った甘さが、思考の端を舐めてくる。
たった一度でこれだ。清朗は、毎日これに触れている。
不安を消す。迷いを消す。確信だけを残す。
「殿下のために」動き続ける。止まれなくなる。
縫季は小壺を見つめた。紫紅の液体は静かだ。静かなのに、指先が重い。
(狂楽香……初期)
この時代にあるはずがない。制度として整う前の、まだ細い流入。誰かの掌から、誰かの善意へ落ちる形で。
縫季は息を吸う。胸の奥の熱が、まだ苦い。
清朗は利用されている。利用されているのに、誰も疑わない。
コメント
1件
**みぅ🤍🥀:** うわ……第25話、めっちゃ重くて苦しくて、でも甘くてやばかったです……。清朗の「嫉妬」が剥き出しになって、縫季を拒みながらも離せない感じ、胸が締め付けられました。特に「俺だ」って言い張るところ、あれはもう執着の告白だし、狂楽香のせいだけじゃない熱が二人の間に渦巻いてる。縫季も「任務」じゃ済ませられない想いが滲んでて、もう引き裂かれるようでした。甘くて苦い、この感覚がたまらないです……