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【現実世界・オルタリンクタワー/サービス導線・内部】
走っているのに、足音が二種類する。
金属の乾いた響きと、石畳が噛む鈍い音。
どちらも“本物”の質感で、同時に耳へ入ってくる。
通路の角を曲がるたび、壁の材質が一拍だけ揺れた。
配管が、黒い梁に見える。
非常灯の赤が、魔術杭の紋の赤に重なる。
戻る。戻りきらない。
縫い目の上を走っている――その実感だけが増していく。
サキの呼吸は浅い。けれど、遅れていない。
袖を掴む癖は、いつの間にか消えていた。
代わりに、スマホを握る手に力が籠もっている。
画面は見ない。見なくても、震えは伝わる。
ハレルはバッグを押さえながら走った。
薄緑のカプセルが、体温のない冷たさで掌の裏を刺す。
脈はある。けれど弱い。
黒い粒が、光の内部で“渦”みたいにゆっくり回っている。
(遠いのに、近い)
持っているのに、引っ張られる。
“器”がここにあるはずなのに、
コアだけが、別の場所へ引き寄せられているみたいだ。
「止まらない」
前を行くセラが言った。
振り返らない。こちらを確かめない。
案内役の声は、余計な情緒を削って、道筋だけを残す。
その直後、通路の壁が――歪んだ。
歪みは裂け目ではない。
裂け目の“残り香”みたいに、
白い粒が壁の角から滲み、そこに黒い影が生まれる。
黒ローブ。
一体、二体、三体。
床から立ち上がるというより、壁の裏側から“押し出される”。
アデルが半歩前に出た。
剣先を低くし、刃を見せない角度で構える。
「寄せるな」
短く言って、剣を振る。
斬撃は派手じゃない。
けれど、黒ローブの裾が裂け、裂け目から赤い線が飛び散った。
血じゃない。術式の残光だ。
赤い線は床へ落ち、床の金属と石畳の両方に“同時に”焼き跡を残す。
リオが腕輪に魔力を通した。
鎖の術式が走る。床を這い、黒ローブの足元――
いや、“影”へ噛みつく。
影が揺れ、ローブの輪郭が一瞬だけ薄くなる。
「影が本体か」
ハレルが息の中で言うと、リオが即答した。
「影を縫えば、動きが鈍る。完全には止まらないけど」
サキが一歩引きかけ、止まった。
怖いのに、逃げない。
目は黒ローブより、床の赤線を見ていた。
「……これ、杭の線……?」
セラが、初めてほんの少しだけ顔をこちらへ向けた。
「残っている。だから、まだ“引きずり込み”が生きている」
「じゃあ……切れば」
「切れない。切るには、核に触れる必要があります」
核。
日下部の器のある場所。
黒ローブの一体が、手を掲げた。
何も唱えない。
それでも、通路の空気が沈む。
重力が一拍、増えた。
#能力者
紅優
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31
309
上野文
9,763
サキの膝が揺れた。
ハレルが支えようとするより早く、
アデルが横へ滑り、重い空気の“境目”を剣で裂いた。
裂いた瞬間、沈みが軽くなる。空気が戻る。
「剣で、空気を……?」
サキが驚きの声を漏らす。
アデルは答えない。
答える余裕を、戦いに残していない。
リオが鎖をもう一度走らせた。
今度は黒ローブの“手首”ではなく、床の赤い線に絡める。
赤線が引っ張られ、術式がわずかに乱れた。
セラが、その乱れを見逃さない。
「今です」
声が、刃のように短い。
ハレルはサキの肩に手を置いた。
「走る」
「うん」
返事が、きっぱりしている。
四人は、黒ローブの間を“抜けた”。
戦って倒すんじゃない。
縫い目の上でやるべきことは、進むことだ。
通路の先で、空間の温度が変わる。
冷たい金属の匂いが薄れ、代わりに、熱と石の匂いが濃くなる。
同時に、どこかで水滴が落ちる音がした。
現実の配管の水か、異世界の地下水か。区別がつかない。
セラが足を止め、指先で壁をなぞった。
壁の一部に、円い“痕”がある。
機械の凹みみたいでいて、紋章の痕みたいでもある。
「ここ」
セラが言う。
「この向こうに、基礎区画の核があります」
ハレルは息を呑んだ。
バッグの中で薄緑が、一拍、強く脈打つ。
そして――途切れた。
途切れかけて、戻る。
戻った光は、さらに薄い。
サキが小さく呻いた。
「……いや……コアが……」
「大丈夫だ」
ハレルの声は、自分に言い聞かせるみたいに硬い。
リオが壁へ手を伸ばしかけて、止めた。
触れたら固定される。
ここは縫い目だ。触れた瞬間、
境界がこちらを選ぶかもしれない。
アデルが言う。
「壊すなら、一気」
「一気に何を」
サキが聞くと、アデルはわずかに顎を動かした。
「扉。……扉の向こう」
扉。
白い廊下の扉とは違う。
現実の扉でも、異世界の扉でもない。
“縫い目の扉”。
壁の痕が、ゆっくりと光った。
赤じゃない。白でもない。
灰色の光。
現実と異世界の間の、どちらにも属さない色。
その灰色の光に引かれるように、黒ローブたちが、背後で動き始めた。
倒れていない。
止まっていない。
ただ、遅れて追いついてくる。
セラが言う。
「急いでください。追いつかれます」
ハレルは頷き、主鍵に指を掛けた。
熱い。
だが、痛みはまだ耐えられる。
主鍵が熱いのは、怒りじゃない。
“場所が近い”合図だ。
「サキ」
「うん」
サキがスマホを握り直す。画面は見ない。
それでも、彼女の指先が“どこか”を押す動きをした。
まるで、見えないボタンがあるみたいに。
灰色の光が、一拍だけ強くなった。
壁の痕が、線になり、線が“扉の形”を作る。
その瞬間――通路の奥で、何かが鳴った。
カチ、と。
機械のロック音。
同時に、杭が軋む音。
二つが重なり、同じ音として届く。
(開く)
ハレルの直感が叫ぶ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・倉庫区画/簡易保管室】
木崎は、照明の薄い倉庫で一人、立っていた。
倉庫の床は冷たい。
だが、冷たさの中に、さっきから微妙な“ざらつき”が混じる。
壁の隅が、一拍だけ白くなる。
白い粒が、落ちる。
落ちた粒は、空中で消える。
(……滲んでる)
木崎は舌打ちした。
「こっちまで来んなよ」
棚の奥。
布で包んだケースがある。
ユナのコア。
触らない。動かさない。
“錨”として、そこに置く。
木崎はスマホを取り出し、城ヶ峰の連絡先を開いた。
呼び出し音が鳴る前に、倉庫の外で、誰かの足音がした。
軽い足音じゃない。
複数。
そして、妙に揃っている。
木崎は、呼吸を一つ整える。
「……来たか」
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/サービス導線・内部】
灰色の扉が、輪郭だけでそこにある。
触れるのが怖い。
触れないと進めない。
ハレルは、サキを見る。
サキも、ハレルを見る。
言葉はいらない。歩幅だけ合わせる。
リオが鎖を構えた。
アデルが剣を上げた。
セラが扉の横に立つ。触れない距離で。
背後で黒ローブの気配が膨らむ。
影が濃くなる。
“観測”が迫ってくる。
ハレルは主鍵を握り、扉へ手を伸ばした。
その瞬間、薄緑のコアが――弱く、確かに脈を打った。
(……日下部)
(もう少しだ)
扉の灰色が、白と赤を吸い込んでいく。
そして、ゆっくり開き始めた。