ずっと、幼い、可愛らしいと言われてきた。わたしが稽古に励み、時にはうたの素晴らしさを伝えたときも、兄上は「お前は可愛らしいな」と言った。
わたしは、確かに、末っ子だけど!
それは酷いわよ!凛として華やかな着物を着ても、「お前が着ると幼いなあ」、そう言ってわたしを抱きしめた。「ずっとそのままでいてくれ」
今思えば、その時わたしは実際幼かった。その時、兄はずっとこの北条の家を守っていたのだ。
「桂」
ふと、声がして後ろを振り向いた。
このうちで、わたしを桂と呼ぶ人はひとり、夫の武田四郎さまだ。
前なら、「いかがなさいましたか、殿」とかえすところだが、どうも気分が乗らなかった。
「屋敷を散歩せんか。梅が綺麗だ」
「申し訳ございません。気分がのりませぬ故、お断り致します」
もう二年もの付き合いだ、四郎さまが少し萎んだのがわかる。
「梅、武王丸と見にゆけばよいではないですか。わたしはひとりになりたいのです」
わたしは再び机に向かった。
天正五年、一月二十七日。
「もう少し大人らしくしなさい」
兄に初めて、逆のことを言われた。その日は雪の日で、寒さのせいか、余計目からこぼれ落ちる涙が熱を帯びていた。
兄上、わたしはもう大人です。十四歳なのです。それなのに、涙がでます。
「兄上」
今は冬にございますよ、そんなに外に置かれたら、寒いです。早く輿にのらなくちゃ。
「わたし、がんばります。」
一体どれくらい経ったか。寝てしまったようだ。甲斐の冬は小田原より冷える、でもどこか暖かいのは何故かと考えていると、肩に小袖がかかっているのに気がついた。
「四郎さまの・・・」
気を遣って、かけてくれたのだろう。返しに行かなくちゃ。
わたしの中にある、四郎さまへの愛しさ。それは、上杉に行ったお兄さまを失ったとしても、消えない愛情なのか。それがどうしようもなく憎かった。
「あら」
「菊どの」
「桂ちゃん、それ、兄上の小袖?」
そう言って小袖にあてた手は、女性にしてはすこし逞しい。菊という、四郎さまの妹だ。つまりわたしの義妹にあたるのだけど、歳上なのでそんな気はしない。
「寝ていたら、いつの間にか肩にかかっていたのです。」
「そうなんですね。夫婦って、いいわね。」
「いえ・・・あ、菊どのも、もうすぐ・・・」
菊どのの顔が少し赤みをはらんだ。
「ほんとうに、しあわせを祈っております」
菊どのはじき、上杉家の新しい当主、上杉景勝の妻となる。わたしにかなり気を遣っているのは気づいていたが、無視した。
御館の乱。上杉謙信の死後、子のなかった彼のふたりの養子が争った戦い。ひとりは、謙信の姉綾姫の子、上杉景勝。ひとりは、北条氏政の弟、つまりわたしの兄、上杉景虎。
先日兄さまは死んだ。武田は、北条との同盟があるにも関わらず、景勝方についた。
「どうして、兄さまを見捨てたのですか」そう叫びたい。
でも、景勝の方が有利だったなんて、わたしもわかってる。
「四郎さま、ありがとうございました」
戸を開けて、わたしは図々しく四郎さまの隣に座った。もともと、向かい合って座っていた跡部大炊助さまが、「驚いた、北条のお方様は強い方だ、では、ごゆっくり。」と去った。
「何か大事のお話をなされていたけどのでしょうか。申し訳ございません」
四郎さまはわたしを真剣に見つめていた。そのせいか、四郎さまはよく見ると綺麗な顔立ちをされているな、と思った。対して、わたしはどんな顔だろう。
「武田の家は滅ぶのでしょうか」
「わからない」
「兄、上杉景虎は滅びました。北条と同盟があったのに」
四郎さまは外面には出さないようにしているのだろうが、なかなか繊細なお方だ。
「でも、わたしはそれでも良いのです。貴方が無事なら」
対してわたしは顔に出やすい。
「同盟の架け橋であるわたしがこんな心ではいけませぬ。これでは、北条に戻れません」
兄上、そう口に出るところだった。四郎さまの顔がわからない。わたしは、わたしを抱きしめて離さない四郎さまの背中をぎゅっと押した。
「その責任はとっていただきたいのです。武田がもし滅ぼうとも、わたしは死ぬまで貴方のお傍におります。死んだあとも、三途の川をふたりで渡って、しあわせになりましょう」
わたしがそんな心がまえでごめんなさい。四郎さまの小袖が濡れた。
いつになったら離していただけるのか。四郎さま、わたしは、ずっと貴方の傍にいたい。
〈人物紹介〉
桂:北条氏政の妹で、武田勝頼の妻。14歳で武田勝頼に嫁ぐ。このストーリーでは名前を桂としていますが、本当の名前は不明。北条夫人と呼ばれることが多い、死後は桂林院とつけられた。
四郎さま:武田勝頼。武田信玄の四男で、武田家の跡を継いだ
菊どの:菊姫。上杉景勝に嫁ぐ。
跡部大炊助:跡部勝資。武田勝頼の家臣
参考文献 平山優『武田三代』
この物語はフィクションです。
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