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「今日……社長室に呼ばれて、その相手とも会わされた」
言いながら、晴永はそのときのことをまざまざと思い出す。
「初めて……会ったんだ。お互いに……」
藤井田千紗と名乗った令嬢の、不自然なまでに作った感満載のにこやかな笑み。
「……何考えてるか、分かんねぇ女だった。……ずっと、笑ってて」
千紗の完璧な令嬢スマイルを思い浮かべた晴永は、気持ち悪さから口調が吐き捨てるようになってしまう。
そして――。
まるでそれを払拭したいみたいに瑠璃香との距離を一歩ばかり削った。
「じいさんは藤井田と繋がりたいみたいだけど、俺は……そんなのに従うつもりは――ない」
声が、少しだけ低くなる。
「……信じてくれ。俺は、お前以外とは結婚したくない」
真っ直ぐに、瑠璃香を見つめて、はっきりと言い切る。
「俺が結婚したいのは瑠璃香。お前一人だけだ」
晴永の真摯な言葉に、瑠璃香の瞳が揺れた。
驚きか、不安か。
それとも――。
そこで晴永はポケットに手を入れた。今朝、家に戻った折にクローゼットから取り出したリングケースが指先に触れる。
一瞬だけ、その手が止まった。
もう、ここまで来た。
引き返す意味はない。
渡すなら、〝今〟だろう。
小さな箱を取り出して、瑠璃香の目の前で開ける。
中には、同じデザインのリングがふたつ、シーリングライトの明かりを受けて、静かな光を放っていた。
「……これ」
差し出すのではなく。
なまこのケージの前にそっと置いた。
そうしておいて、自分の指に、先に嵌める。
「もし――」
瑠璃香を見つめて一度、言葉を切った。
「今の話を全部聞いても、俺を信じてくれるなら……」
#夢
凪川 彩絵
視線は外さない。
「これを、受け取ってほしい」
――選ぶのは、瑠璃香自身であってほしい。
言葉には出さなかったけれど、そう伝えるように……ただ、静かに待つ。
部屋の中には、時計の音だけが響いていた。
***
なまこのケージ前に置かれたリングケース。
開かれたままのそれを、瑠璃香はじっと見つめていた。
二つ収まる横長のリングケースには、今は瑠璃香のために作られた指輪のみが残されている。
晴永の指輪は、いま瑠璃香の目の前で、晴永が左手薬指につけたばかりだ。
照明を受けて静かに輝く指輪をじっと見降ろす瑠璃香のすぐそばで、晴永は何も言わずにただ瑠璃香がどう動くのか、待ってくれている。
きっと心中は穏やかじゃないだろうに、急かす様子なんて微塵もない。
(……どう、しよう)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
いま晴永自身から聞いたばかりの話。そうして、会社内で聞きたくもないのに聞かされた噂話が、頭の中でぐるぐると繰り返されている。
創業家。
社長補佐。
許嫁。
どれも、自分とは遠い世界の話みたいで覚束ない。
違いすぎる相手だと、分かっている。
でも――。
(嘘じゃ、ないんだよね……)
晴永の言葉が、頭から離れない。
――ずっと一緒にいたい。
そう言ってくれた声。
真っ直ぐに見つめてくれた瞳。
できれば晴永のことを全面的に信じたい。
(でも……)
今日のことも、これまでのことも……こんな風にあからさまになるまで何ひとつ、瑠璃香は知らなかった。