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「生ハムきゅうり?」
「冷蔵庫に何もなかったのに、パパっとツマミを作ってくれるところ。ご両親の躾が良かったんだろうなって動きの端々に品もあるし」
「ひどい! 嫌みでしょ!」
さっきの足で冷蔵庫を締めたことを、そんな風に言わなくていいのに。
ケラケラ笑う喬一さんを見て、テーブルの向こうの二人はポカンとしている。
「私の仕事は激務です。命も預かります。なので家に帰ってホッとできる相手が欲しいなって思って、今日の彼女を見たらほぼ一目ぼれみたいなものです。彼女なら毎日一緒にいたいなって」
「聞いた俺の方が、恥ずかしくなってきた」
「喬一くん、娘のことをこんなに分かってくれる若者に出会ったことはなかった。うちの娘をよろしくお願いする。今なら外国車二台くらいつける!」
「お父さん!」
娘を車と一緒に売る親なんて、親じゃない。
お父さんが何か言うたびに、喬一さんも笑ってるし。
お兄ちゃんの家庭教師をしていた時も、確かに夜ご飯食べながら仲良く話してたかもしれないけど、外堀が完全に埋められてしまった。
最後の砦はなんだ。……というか守るものはなにもない。
ゲーム趣味も理解してくれてるし、お行儀の悪い姿も笑い飛ばしてくれたし。
もちろん、二度とはしない、けども。
どうしよう。隣で酔っぱらって笑い上戸になっている喬一さん、どう考えても理想の旦那様なんだけど。
いや、でも私じゃ不釣り合いじゃないかな。すぐに、嫌気がさしそう。
だって喬一さんは、ゲームの中のキャラクターが抜け出してきたような、才色兼備、容姿端麗、おまけに父を納得させるような職業、名家出身。
私なんて全然ふさわしくないんじゃないの。
「俺は、いつか紗矢と結婚出来たらいいなとずっと計画していたんだよ」
「……っ」
酔った戯言だ。父を喜ばす言葉なだけだ。
なのに恋愛経験もない私の胸は簡単にときめいてしまうのだった。
その後、たまたま母と食事をしていた喬一さんのお母様もやってきて、急遽簡単な顔合わせみたいになってしまって、本当にもう今日は盆と正月とクリスマスとハロウィンとバレンタインと、一年の行事が一度にやってきたような、怒涛の一日だった。
*
「はー、飲みすぎた」
タクシーの中で笑っている喬一さんの足を私は軽くたたく。
「あいた、これは尻に敷かれるな」
兄の家にいたら爆睡してしまった父と兄がいるので根掘り葉掘り聞かれそうで、帰ることにした。すると、一緒に乗り込んだ喬一さんは、全く酔った顔ではないので、腹が立った。
この人、お父さんが酔っていたから一緒に酔ったふりをしていただけだ。
「喬一さんって結構、強かですね」
「どうしてそう思うの?」
「腹黒いですよね? 私との結婚は何か打算があるんじゃないですか?」
睨みつけると、笑っていた顔から真面目な顔になり、眉間に皺を寄せて考えだしてしまった。
あの皺、深いな。触ってみようかな。
鼻もやっぱり高い。うん。彫刻みたいに綺麗な顔。
触れてみたいなって思ったのは、きっとワインをグラス三杯飲んだからだ。
呑気に眺めていたら、彼の整った唇が動く。
「すいません。ここで降ります」
「ええ?」
「お釣りはいりません、ありがとうございました」
「えええ、あの、ありがとうございました」
手を掴まれたので、一緒に降りた。
降りたのは、いつも使う駅。歩道橋を渡れば駅に着くし、最終には間に合うかもしれない。
でも彼の行動に驚いて、次に何が起こるのか判断できない。
大きな満月が、今すぐ頭上に落ちてきそうに私たちを優しく照らしてくれている。
少し冷たい風に気づいた彼が、自分のコートを私の肩にかけてくれながら、意地悪に微笑む。
「君が恋愛経験が皆無って忘れてた。駆け引きとか打算とか、やめる。正直に感情をぶつけるよ」
「打算……やっぱりあったんですね」
頭にタライではなく満月が落ちてきたようなショック。そうだよね。開業したばかりのお医者さんだ。私の父と仲良くして損はない、よね。母同士が仲いいなら、兄の呼び出しに応じないわけもないし。
「あるよ。どうすれば君を浚っても誰も俺に文句言わないか、まずは外堀を埋めないと、とね」
「文句? 喬一さんに文句言う人なんていないでしょ。完璧だし」
慎重な人なのかな。石橋を叩きすぎて壊して損をしてしまう人。