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耳元の声は、最後には消え入りそうで。それでもしっかりと優奈の耳に届いて、今も、響き続けてる。
これまで雅人のことを忘れようとして、考えないようにしようとして、軽い誘いに乗る形で何度か男性と付き合ってきた。
奥村のように、優しく真剣な眼差しを受けてようやく気がつく。
自分が少なからず好意を持っている相手からの想いを受け入れられないことの苦しさ。
雅人はずっと、優奈を前にこんな気持ちを味わって来たのだろうか。
ぶつけるだけの気持ちはなんて幼かったんだろう。再会する前も、した後も。優奈は自分の為にしか動いていないじゃないか。
「ごめんなさい……」
涙混じりの声で答えると、ゆっくりと優奈を抱き寄せる腕から力が抜けていった。そのまま手を前に押し出して、奥村の身体を引き離す。
「私は……高遠さんを好きなまま他の誰かと付き合うなんてことしないって決めたんです」
優奈は自分の為だけに雅人を苦しめ続けているのだ。今この時、優奈自身が体感している切り裂かれるような切なさを。
「瀬戸さん……」
「ごめんなさい」
名残惜しそうに優奈の腕にいまだ触れている、その手を少しだけ力を入れて振り払った時。
「優奈!」
大きく叫んで、走ってこそいないが足取り乱暴に地面を踏みつける雅人がこちらに近づいて来る。その背後には走り去ろうとするタクシーが見えた。
「奥村、どういうことだ……!」
奥村から距離を取らせ、肩をキツく掴み、そして抱き寄せる。
雅人はその胸元へ優奈を納め目の前の奥村を睨みつけた。
ほんの数秒の沈黙。
しかし、空気が突き刺さるように痛かった。
「どういうことだと聞いてる!」
「……どうもこうも、彼女に振られていたところですよ」
怒り任せに怒鳴りつける雅人とは対照的に、やれやれと肩をすくめた奥村は冷静に答えた。
「何だって?」
「何度も言わせるつもりですか? ほんっと、敵の傷口に塩を塗りつけるなんて高遠さんらしいな」
雅人は呆気にとられた様子で、優奈を見下ろす。
「なら、どうして優奈はこんなに泣いてるんだ」
「……俺が、まあ急ぎすぎたのもありますけど」
「急ぎすぎたって……優奈に何を」
責め立てるような雅人の声に、答える気などなさそうな様子で、背を向け歩き出した奥村。しかし数歩先で立ち止まりこちらを振り返る。
「……あ、瀬戸さんは言い出さないかもしれないから俺から伝えておきますね」
奥村の方を見据えたままの雅人は、その声の続きをジッと待っているようだ。
優奈を抱き寄せる腕の力そのままに。
「名草さんと会ってたみたいですよ。泣いてる理由を探りたいなら、俺相手に凄む前にそっちじゃないですか」
その表情は見慣れた笑顔ではなく、目を細め眉根を寄せて。
彼は雅人に言い捨てる。そのまま今度こそ、その場を立ち去っていった。
「……名草、だと?」
雅人の顔が強張った後に、今度は恐ろしいものでも見たかのように青ざめていっている……ような気がする。暗がりなのにそう思うのは、小刻みに震える雅人の指先のせい。
「……会ったのか?」
「うん」
「どうして? 何か……何か名草に言われなかったか? 大丈夫か?」
名草は雅人にとって、恋人と呼べる存在なのかはわからないが特別な女性であることは間違いないのだろう。
こんなにも雅人を狼狽えさせる存在なのだから。
「安心して。ここに住まわせてもらってることは言ってないよ」
「そうか」
優奈の肩を抱いていた手から力が抜けて、ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「……それで? どうして名草に会った?」
「帰って来たらエントランスの前に名草さんがいたから」
雅人は優奈の、その言葉を聞くと瞬きもできない様子で口元を弱々しい手で覆う。
「……よくわからないけど、車に乗せてもらってお茶した」
「……っ、二人でか?」
「そうだよ」
「何を話した……?」
口ごもり、次第に声を小さくする様子は雅人らしくない。
「優奈ちゃんは雅人に何ができるのって」
「……何がって」
「まーくんは女を性欲処理としてしか見てないって言われて」
「…………あの女」
「私はその処理要員にもなれない、おんぶに抱っこのお荷物って気付かされちゃって」
「ゆ、優奈」
いつもは語尾に迷いがなく、時に圧さえ感じる雅人の声だが。やけに頼りなく優奈の名前を呟いているではないか。
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