六
日記は途切れたきり、そのままだ。あとのページは白紙ばかりで、どこを探しても続きは見つからなかった。
喉の奥が焼けるような思いで、ノートが閉じられる。
ザラザラとした土の感触と表紙のたわみは、あの豪雨の記憶をまざまざと思い出させた。
「優斗くん、そろそろ」
「……はい。今、行きます」
階下の声に応え、名残惜しそうにノートを本棚に戻す。
──葬儀は夏の終わり、喪服が辛いほど晴れた日に開かれた。
弔問に訪れる全員が縁故者──でもないのだろう。話題の事件の被害者一族、その最後の一瞬に立ち合おうと、観光気分で弔問に訪れている人間もいるように見受けられた。
葬儀が行われたのは、陸の自宅である稲本家だ。──三科家ではない。
■ □ ■
賢人の死後、陸が死んだ。
あの家に入った人間すべてが呪われたのか? 答えは否だ。
陸が死んでからの数時間を震えながら耐え忍んだ優斗は、晴れ間の到来と共に到着したヘリによって無事救助された。ただしその後、被災者の安堵した表情を撮影しようと詰めかけていたマスコミたちの前で、凄惨な事件の生き残りであることが露見してしまう。
最初は事実だけが報じられたが、それがあまりにも常識から想像しがたい経緯だったせいかもしれない。たった一人生存した優斗が、家族を皆殺しにした稀代の殺人鬼だと噂するゴシップ誌が、全ての先陣を切った。
次第に地域、学校、母校にまで取材が及び、関心は優斗だけに留まらなくなっていく。
『山村の地主一家不審死事件。異様なその家族生活』
『まるで昭和の遺物。地主一家を殺したのは独自宗教か』
三科家がいかに時代遅れで、因習に縛られた家であるかを書き立てるネットニュースも、見る間に溢れ返るようになった。当然、各遺体がいかに異様な遺体であるかもだ。
高齢者施設に入っていた三科カズ子、そして清、三代子、功──さらに賢人の母である吉乃までが、三科家から隔絶された場所で同様の死に様だったことが判明してからは、特にそれが加速していく。
優斗が形見にと持ち帰っていた陸の日記、そして賢人のスマートフォンの内容の一部が、捜査関係者のリークによって公開されたせいもあるかもしれない。公開後、三科家の事件は実話怪談として、脚色を交えながら語られるようになった。
唯一朗報と言えたのは、武の妻子が無事だったことだが──彼女らは三科家との一切の関わりを拒絶し、優斗の身元を引き受けることも固辞した。
「優斗くん家族には優しくしてもらったし、いい子だとも思う。だけどごめんね、もうあんな鬼の巣窟みたいな家のこと、忘れて生きていきたいの」
電話口で泣きながら話した小母に、優斗は分かったと答えるのがやっとだった。
その電話で知ったことだが、酒に酔った武は、男児が生まれないことを詰(なじ)りながら離婚届にサインをして大笑いしていたらしい。自分にはいつでも離婚の意思がある、次は男を産めそうな女を嫁にしようと、清にも散々話していたようだ。
武の生い立ちを考えれば、その言葉は清への当てつけでもあったのだろう。
しかし当然、そんなことは武の妻本人には関係がない。ただ尊厳を傷つけられ、愚弄され、その結果、一度は愛を誓った情も尽き果てただけのことだ。
夏休みの帰省を口実に、武の妻は帰省直前にそれを役所に提出し、座敷わらしの障りが出た頃には──武との婚姻関係が解消されていた。
だからこそ恐らく、豊の呪いは彼女たちに及ばなかったのだろう。
執拗な取材に晒され、濁流のような日々に翻弄されることになった優斗は、自宅に帰ることもできないまま、保護施設で死の予感に怯え続けた。
そんな優斗の養護を申し出たのは、稲本家だ。
「こんなことになって、本当にかわいそうに……。優斗くんは陸の親友だもの。三科の家のようにはいかないかもしれないけど、うちでよければずっといなさい」
最愛の息子を亡くしたばかりだというのに、陸の両親、特に母親である友理奈は、慈愛を讃えた笑みで優斗を受け入れた。
陸を三科家に誘った自分こそが陸の死の原因であると、自らを責めていた優斗を根気よく慰め、励まし、一度も責めずに包み込む。さらにマスコミや、話題を求めて優斗を追い回す動画配信者たちの前に立ち、身寄りを失った中学生への扱いに抗議した。
そのことが功を奏したのか、好奇の目は避けられないまでも──熱狂じみた騒ぎは、次第に収まりを見せる。
しかし優斗はいつ座敷わらしが、豊がやって来るのかと、怯える毎日を過ごしていた。
いつでも外に出られるようにと玄関から一番近いリビングで寝起きし、風呂も最低限の時間で済ませる。
にも拘わらず、二週間経っても優斗が豊を見る日は来ず──ある週刊誌から、優斗に手紙が届いた。
「DNA鑑定の可否について」
──稲本家のリビングに記者が招かれたのは、その数日後のことだ。
「ご家族の相次いでの訃報、心からお悔やみ申し上げます。ルポライターの宮野です」
名刺を差し出した男は、ダイニングテーブルの向かい側に座る優斗をじっと見ていた。
目の下に濃いクマを作り、疲れ切った顔をしている少年。人目を避けるように目蓋を伏せていた優斗は、差し出された名刺を見てようやく、ほんの少しだけ顔を上げた。
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