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辺りは暗く、街灯も少ない。
容赦なく降り注ぐ雨に全身を打たれて、身体は芯まで冷えきり、指先なんてもう凍えてしまいそうだった。
下を向いて深く息を吐き出す。
吐き出した息が、街灯の微かな光の中で白く濁って消えていった。
ふと、道端に落ちている汚れた空き缶が目に入った。
冷たい夜風に吹かれて、それがカラカラと乾いた音を鳴らしながらアスファルトの上を転がっていく。
その寂しい音を聞いた瞬間、あの日……。
大学三年のあの夏の終わりの夜の光景が、フラッシュバックのように脳裏に鮮烈に蘇った。
道端に転がっていた空き缶を見つめながら、遠藤から受けた心と身体の凄まじい痛みに、必死で耐えることしかできなかったあの絶望の夜のことを。
途端に息が苦しくなる。
喉の奥がキュッと閉まって、さっきまで普通にできていたはずの呼吸の仕方が一瞬で分からなくなってしまった。
パニックで視界が激しく歪み、目の前が真っ暗になっていく。
雨の冷たさも忘れ、過呼吸でガタガタと震える手でポケットからスマホを取り出すと、僕は無意識のうちにはやちゃんの番号を発信していた。
一人の大人として強くなりたいという必死の背伸びも、彼に頼るまいと握りしめていた意地も、この地獄のような恐怖の前には形を保っていられるはずがなかった。
コール音が鳴る間もなく、はやちゃんはすぐに電話に出てくれた。
『柔太朗! 今どこにいる!? どうし……』
「はやちゃん、……っ、たすけ、……っ」
あの暗闇から僕を救い出してくれた、僕の生命線とも言える彼の声が聞こえた、まさにその時だった。
背後の暗闇から、何者かによって僕の腕を強烈な力でガシッと掴まれた。
「嫌っ……! 、離してっ……!!! 」
フラッシュバックの恐怖の絶頂にいた僕は、それが遠藤の影に思えて、ただ必死に声を上げた。
衝撃でスマホは僕の手から滑り落ち、水溜まりの広がる地面へと虚しく叩きつけられた。
はやちゃんの『柔太朗!!!』という悲鳴が、スマートフォンの画面が割れる音と共にかき消される。
呼吸もままならない状態のまま、後ろから強引に力任せに抱きしめられる。
苦しい。
怖い。
触らないで。
お願いだから、もうあんな酷いことはしないで…!
僕は狂ったように暴れ、咄嗟にその捕らえられた手から逃れようと、全身のありったけの力でその身体を思い切り振りほどいた。
「はぁっ、……っ!…、ゲホッ、っ、」
いよいよ完全に酸素が吸えなくなり、脳が酸欠を起こして意識が朦朧としていく。
身体にも、足にも、もう立っていられるだけの力なんて残っていなくて、僕はそのまま冷たいアスファルトの上へと崩れ落ちるように倒れ込んだ。
「……え?……おいっ!! じゅう!! じゅう!! 嘘やろ、しっかりしてや……っ!!」
倒れた瞬間、地面に頭をぶつけたらしく、後頭部に鈍い激痛が走った。
視界が急激に遠のいていくぼんやりとした意識のなかで、しゅんの泣き叫ぶような必死の声がすぐ近くで聞こえた。
あぁ、しゅんだったんだ……。
僕を追いかけてきてくれたんだ。
僕を心配して、顔をぐちゃぐちゃにして涙を流すしゅんの姿が視界にぼんやりと映る。
その温かい存在が嬉しくて、僕は震える右手をそっと彼のほうへと伸ばした。
しゅんは僕の手を壊れ物を繋ぎ止めるように強く掴んで、僕の身体を冷たい雨から守るようにして、優しく、強く抱きしめてくれた。
「じゅう!! なぁ!! 聞こえとる!? ごめん、俺のせいや、俺が……っ!!」
心配させまいとして、いつものように「大丈夫だよ」と笑って起き上がろうとするのに、指先ひとつ、身体が思うように動かなかった。
意識のフェーダーがじわじわと落されていく。
その時だった。
ザザッ!!!と、激しく雨のカーテンを切り裂いて、遠くからこちらへと猛烈な勢いで駆け寄ってくる足音が聞こえた。
あの夏の夜とまったく同じ足音。
その足音は激しい息遣いと共に僕のすぐ横でピタリと止まった。
僕を包むしゅんの身体が、恐怖に怯えるように小さく強張るのが分かる。
次の瞬間、肩を大きく上下させるはやちゃんの荒い呼吸の音と、怒りと焦燥で完全に切羽詰まった僕のヒーローの叫び声が、遠のいていく意識の最奥へと響き渡った。
『柔太朗!!! はぁ、はぁ……っ、おい!!! 大丈夫か! おい!! ……てめぇ! 何しやがった!!!』
土砂降りの雨の音をかき消すようなはやちゃんの怒鳴り声と共に、僕をしゅんの腕から強引に引き剥がされるようにして、はやちゃんの広い胸の中へと力強く奪い去られた。
はやちゃんは僕の凍えきった肩のあたりをごしごしと何度も力任せにさすり、必死に自分の体温を僕に移して温めようとしてくれる。
『おい、舜太!! お前、何した!? どうなってんだよ、これ!!』
はやちゃんは僕の後頭部を自分の片手でそっと、何かを確かめるように強く押さえつけた。
その瞬間、彼の大きな手のひらが僕の髪の隙間でじっとりと濡れた何か生温かい感触に触れて、一瞬だけピクッと強張る。
しゅんは何も悪くないのに……。
しゅんはただ僕を追いかけてきてくれただけなんだ。
そう否定して彼を庇いたいのに、喉が完全に閉じてしまって、かすれた吐息しか出ない。
「ちゃうんよ、勇斗さん……っ! 俺……っ! でも、とりあえず救急車呼ばな!! じゅう、頭から血が……っ!!」
しゅんの声は、パニックでガタガタに震えていた。
頭から、血……?
彼のその悲鳴を聞いて、僕は自分が倒れた時に後頭部を切って流血しているのだと、遠のいていく意識のなかで初めてぼんやりと気がついた。
救急車なんてそんな大袈裟な、とぼんやりした頭の片隅で思ったけれど。
……でも、よかった。
これで、二人の喧嘩は止まる。
僕みたいな奴のせいで、これ以上、はやちゃんとしゅんが傷つけ合わずに済むのだという哀しい安心感のほうが、今の僕には何倍も救いだった。このまま僕さえ消えてしまえば、すべてが丸く収まるような、そんな無責任な諦めが、僕の心をひどく冷たく満たしていく。
僕なんかのために、二人ともそんなにボロボロな顔をして。
遠のいていく意識の中で、僕はただ二人の底なしの優しさに申し訳なさだけを感じていた。
あぁ……死ぬ、のかな。
もし、このまま僕の汚れた過去も、二人を傷つけてばかりの不格好な心も、全部この冷たい雨が洗い流して、世界から消し去ってくれるなら。
僕という存在そのものが、最初から何もなかったみたいに綺麗に溶けてなくなってしまえば、もう誰も僕のせいで傷つかずに済む。
それは、今の僕にとっては怖いくらいに優しくて、ひどく穏やかな救いのように思えた。
そんな絶対的な諦めが、僕の思考を、真っ白に染め上げていった。
to be continued…
コメント
4件
死ネタではないよね、、、、? ハッピーエンドで終わってくれーーー! この物語続編とか一生続いてほしいー! テラーでガチで1番の作品だからこれが終わるのは悲しいよー
100話!おめでとうございます! 100話も読んだ気がしません! 切羽詰まった展開にドキドキします! どうなるのか😭