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私とニーノが放った神聖魔力が衝突した次の瞬間、私は再び灰色の世界に佇んでいた。
目の前には四角い窓のような枠があり、その向こう側には見慣れた景色が映し出されていた。
薄暗い地下牢の中に鉄仮面を被りボロを纏っただけの幼い少女、ニーノがそこにはいた。
「どうして私はこんな場所で独りぼっちでいなければならないの?」
ニーノの声が響いて来る。
間違いない。ここはニーノの記憶の世界だ。
「私にはミアお姉ちゃんがいる。寂しくなんかないわ。でも、一日に一回しか会えないのは辛いよ……。どうして私はお外に行ってはいけないんだろう? どうして私はこの重たい仮面をつけていないといけないの?」
すると、そこに別の声が響いて来る。
「それはお前が罪人だからよ?」
「誰⁉」
ニーノは驚いてはいたけれども、何故かとても嬉しそうに声に向かって言った。
「私の名前はラン。かつてこの国に存在した偉大な聖女様よ。本来ならお前の様な罪人と話すことも叶わぬ高貴な身分なれど、こうして鉄仮面にかけられた呪いを通してお前と話しているの。まずは額を床にすりつけ私に感謝の言葉を捧げなさいな」
「はい! ありがとうございます、聖女様!」
ゴン! と鉄仮面が床に激しく打ち付けられる音が地下牢内に響き渡る。その後、ニーノは言われた通りに額を床にこすりつけながら何度も「ありがとうございます!」と感謝の言葉を連呼した。その度に鉄仮面がこすられる音が響いた。
「ちょ、止めなさい! まさか本当にやるとは思わなかったわ⁉」
ランの動揺に塗れた声が響いて来る。
「お前、もしかして自分がからかわれていることにも気づけない馬鹿なの?」
「うーん、分からないわ。だって私、生まれてからずっとここに住んでいるし、お話してくれるのはミアお姉ちゃんだけだから。でもね、嬉しいってことだけは分かるの」
「馬鹿にされるのがそんなに嬉しいだなんて、お前、相当いかれてるわね? クックック、まあ、代々の双子聖女の妹に地獄を味わわせるために私がばら撒いた呪いなのだけれどもね」
「ふーん、そうなんだ。ねえ、聖女様。もっと私とお話して?」
ニーノは瞳を好奇に輝かせながら、興奮気味にランに話しかける。
「お前、私の話を聞いていたの? 今、こうしてお前が薄暗い地下牢に閉じ込められている原因を作ったのは私なの。さあ、怒りなさい。憎みなさい。そしていずれ魔女として処刑される己が運命を嘆きなさい。その苦しみを見る為に私は霊体となってでもこの世にとどまっているのだから」
「なら、聖女様は暇なのね? それじゃ……もっと色々なお話を聞かせて?」
ウグッとランは喉を詰まらせたように吐きかけた言葉を引っ込める。
「お前……もしかして私を慕っているの?」
「うん! だってこんなにお話してくれるのはミアお姉ちゃん以外には聖女様だけなんですもの! 私、聖女様のこと、大好きになっちゃった!」
そう言ってニーノはウフッと微笑んだ。鉄仮面越しでも私にも分かる。きっと今のニーノの頬は紅潮し幸せそうに破顔しているだろう。
「そう、ならいいわ。いくらでも話し相手になってあげる。でもその代わりに二つ条件があるわ。一つは私のことは誰にも秘密。ミアお姉ちゃんにもよ」
「聖女様と私だけの秘密? えへへ、何だか楽しいね」
「二つは……私のことは聖女様ではなく、ランお姉さまって呼びなさい……これが条件よ⁉」
「どうして?」
「どうしてもよ! 嫌ならいいわ。もう話し相手にはならないから……!」
「嬉しい! やった! 私にもう一人お姉ちゃんが出来た! ありがとう、ランお姉さま!」
フッと、目の前の光景が真っ黒な世界に切り替わった。
私は愕然となった。これはどういうことなの? 私はてっきり、ニーノが魔女ランにそそのかされ、騙されて私を陥れたのだとばかり思っていた。でもこれは私の想像と真逆の光景。今、ニーノと会話をしていた魔女ランは最初こそ人間を誘惑し破滅に導く呪いの蛇のような邪悪なオーラを纏っていたものの、最終的には純粋な気持ちでニーノと接していたように見えた。
動揺のあまり茫然としていると、再びニーノの記憶が動き出した。
少し成長したニーノは地下牢で泣きじゃくっていた。そこに再びランの声が響いて来る。
「お前、今日はどうしてそんなにべそをかいているの? またミアお姉ちゃんに叱られたのかい?」
まるで子供を慰めるような優しい口調でランはニーノに話しかける。
「違うの。私、もうミアお姉ちゃんの一番じゃなくなって、それがとても悲しいの」
「それはどういうこと? 詳しく聞かせなさい」
ニーノは鼻をすすりながらこくんと頷くと、声を上擦らせながら話し始める。
「ミアお姉ちゃん、いつも会いに来てくれた時は色々とお話を聞かせてくれるんだけれども、最近は獣人の男の子のお話ばかりするの。なんだか私のことを見てくれていない様に感じて……」
獣人、という言葉を聞いたランから凍てついた空気が漂う。たちまち瘴気の様な黒いモヤが地下牢内に立ち込め始めた。
「獣人……ですって? それはもしかして夜の国の魔王ではないわよね?」
「ランお姉さまも知っているの? うん、そうよ。ミアお姉ちゃん、魔王の男の子と結婚の約束をしたんだって。そうなったら私、ミアお姉ちゃんに捨てられちゃうんだ……」
「どうしてそう思うの?」
「だって私にはミアお姉ちゃんしかいないから……もし他にミアお姉ちゃんの一番が出来たら、きっと私は捨てられちゃうんだ」
「なら、私が何とかしてあげましょうか?」
「本当⁉」
「ええ。その為にはほんの少しだけニーノの身体を私に貸してもらうことになるけれども」
「うん、いいわよ⁉」
その時、ニタリとランが悪魔のような微笑を浮かべたような幻を垣間見た。
次の瞬間、私は頭の奥に鈍痛を覚えた。そして、見覚えのない記憶が脳裏を過った。
ルークと出会って間もない頃、私がいつものようにニーノに会いに地下牢に行くと、普段とは大人びたような雰囲気のニーノに出迎えられたことがあった。そして、様子が変だったニーノに頭を触られた瞬間、何か衝撃が走り大切なものを奪われたような喪失感に見舞われた。
でも、それが何なのか分からず、私はそれからいつものように長い時間を過ごしていった。
今なら分かる。あの時、私はニーノに憑依した魔女ランにルークの記憶を封じ込められてしまっていたのだ。
だから私はあの時までルークのことを忘れていたんだ。魔女ランはあの頃から私を苦しめていたのね? でも、憎しみは湧いて来なかった。何故なら、少なくとも私の記憶を封じた行為は私利私欲ではなく、あくまでニーノのことを想っての行動であると感じたからだ。
再びニーノの記憶が切り替わり、動き出す。
次に現れたのは大人になったニーノの姿だ。
ニーノは地下牢で両手を合わせ、祈りを捧げている最中だった。
「ニーノ、気は変わらないの? このままじゃ貴女、魔女として火炙りにされちゃうわよ?」
ランの嘲るような、でも哀愁と焦燥を帯びたような声が響いて来る。
「もういいの。だって、ランお姉さまの仰る通りにすれば私の命は助かるでしょうけれども、ミアお姉さまが代わりに処刑されてしまう。入れ替わりだなんて私は絶対に出来ないよ」
「いい加減に目を覚ましなさい! 今、こうしてお前が苦しんでいる間にもお前の姉も、実の父親も何不自由なく飢えることも苦しむことも無く贅を貪り尽くす様な生活を謳歌しているのよ⁉ 恨めしいでしょう? 妬ましいでしょう? お前も自分の人生を、幸せを取り返したいとは思わないわけ⁉」
「ランお姉さま、ありがとう」
ニーノは穏やかな口調で感謝の言葉を口にした。
予想外の反応にランは言葉を詰まらせる。
「私、自分を不幸だなんて思ったことは一度もないわ。もしも私が必死に命乞いをしたら、きっとミアお姉さまは自分を犠牲にして身代わりを買って出てくれると思う。でも、それじゃダメなの。ミアお姉さまのいない世界だなんて私には耐えられない。だって、私の世界にはミアお姉さましかいないから」
ニーノは一瞬だけ肩を震わせた後、顔を見上げながら言った。
「私、ミアお姉さまの為なら死ぬのも怖くない。だから、今までありがとうね、ランお姉さま」
「だから、どうして私に礼なんか言うの? この地獄を引き起こしたそもそもの元凶は私だというのに」
「悪いのはランお姉さまのせいじゃなくって、こんな世界を普通だと受け入れている皆の方。私、外の世界に出たことがないからこそ分かるの。しきたりってだけの理由で子供を平然と火炙りにしてしまうのは狂っているわ。だから、可哀想なのはミアお姉さまの方よ。だってそんな狂った世界でこれからも生きて行かないといけないんだから」
そして、ニーノは柔和な笑みを浮かべるとランに言った。
「私、ランお姉さまがいなかったら、とっくの昔に寂しさのあまり死んでいたと思うの。だからありがとうね、もう一人の大好きなお姉ちゃん」
すると、ランは押し黙り何も言葉を発しなくなった。
次の瞬間、地下牢内に膨大な瘴気の渦が巻き起こる。
「な、なに⁉」
「死なせない……お前は私が死なせないわ⁉ お前にどんな罪を背負わせることになっても、私が絶対に死なせない!」
瘴気の渦はたちまちニーノの全身を覆い尽くした。
ニーノは抵抗空しく意識を失い、全ての瘴気は全てニーノの体内に吸い込まれるように消えて行った。
がっくりと、床に崩れ落ちるニーノ。
しかし、すぐにニーノは立ち上がると不気味な笑みを洩らした。
「ミアお姉さま、次に会った時がお前の最期よ。ニーノの人生を返していただくわ。お前と入れ替わることによってね」
ぐにゃり、と灰色の世界が歪み、私の意識は現実世界に引き戻された。
何ということなの。魔女ランはニーノを陥れたんじゃない。私の代わりに守ってくれていた。救おうとしてくれたんだ。
魔女ランの想いを知ってしまい、私の中で燃え盛っていた怒りと憎悪の炎は一瞬で鎮火するのが分かった。
それでも、私は負けるわけにはいかない。
私とニーノの魔力は衝突し合ったまま、互いを呑み込もうとせめぎ合っていた。
悲痛な表情のニーノの姿が目に飛び込んでくる。まるでもう楽にしてくれといわんばかりの辛そうな姿に、私は感情を爆発させそうになってしまった。
「ごめんね、ニーノ。今、私が楽にしてあげるから……!」
私は心の裡でルークの名を呟く。
すると、すぐにルークは私の横に現れ、そっと自分の手を私の両手に添えた。
「お前達も二人がかりなのだ。卑怯とは言うまい?」
ルークはそう言うと、膨大な魔力を私の魔力に乗せた。
次の瞬間、私達の魔力がニーノ達の魔力を上回りせめぎ合っていた魔力の塊が一気にニーノに襲い掛かった。