「非常時だからって大輔さんにお呼ばれしたけど、なんせ俺はここじゃ肩身が狭いからね。少しでも役に立とうと思って、運び出す準備をしていたところだ。車輪つきのポータブル仕様だけど、一台ずつカバーしようとしてたんだ。先に一台持って行くかい?」
そう言うと、その中の一台を大きなビニール袋で二重に包んで、台車に乗せてくれた。こんな優しい人、どんな相手とも仲良くやっていけそうなのに。大人の世界ってのは分からないもんだ。
「賢人さん、うちに避難してる間はこっちの離れにおいでよ。呼んだのは父さんだしさ。俺と陸相手なら気ぃ遣わないだろ? 陸もいいよな?」
「うん。ゲーム詳しいって言ってたし、一緒にチーム戦しようよ」
「君らの優しさには涙が出るね」
心底嬉しそうに言われると、ちょっとくすぐったい気持ちになる。
「だけど今日は慎ましく過ごしたほうがいいかもしれないぞ。数日は飲食禁止になるだろうから、あまり腹を減らさないようにしないと」
「あ……火葬が済むまではってしきたり? それなんだけど」
賢人さんの言葉に、優斗が気まずそうに首を縮めた。
「どうもおばさんたち、守る気がないみたいで……」
「──は?」
ものすごく冷たい声に、思わず呼吸が止まった。
見上げた先で、賢人さんが目を見開いている。優斗が口にした言葉を理解しきれない表情で、母屋の方角に目を向けた。
──そこからの行動は早かった。
全部の発電機をビニールで包んでは大台車に乗せ、崩れそうになるのを必死に支えながら母屋に走る。屋根の下に入るまでにひどく濡れたけど、賢人さんはそれにも構わず玄関を開け放った。
「おはようございます! 武兄さん! 武兄さん、いますか!」
明らかにあせった声色で叫ぶ。
しきたりを守らないことがそんなに困ったことなのか、俺には……いや、たぶん優斗にも分かっていなかったんだと思う。とにかく顔を真っ青にして叫ぶ賢人さんを前にして、俺たちはその場に立っていることしかできなかった。
泥はきれいに掃除されて、応接間と式台の間にある引き戸は閉められている。
賢人さんは濡れたまま玄関を上がることに遠慮があるのか、唇を噛み、貧乏揺すりをしたまま出迎えを待っていた。
一秒が数分、数時間にも感じられるような緊迫した表情に、優斗が一歩踏み出す。自分が先に式台を上がることで、賢人さんを出迎える役になろうとしたのかもしれない。
だけど一足早く、しゅるりと音がして引き戸が開いた。
「世間の荒波に揉まれる社会人様だと大口を叩くわりに、礼儀がなってないな賢人」
立っていたのは、ものすごく機嫌の悪い顔をした武さんだった。
「大輔くんが声をかけたらしいが、よくものこのこと。この家にお前の居場所はないぞ」
「そん、そんなことはどうでもいいんです! 帰れというなら帰りますから、僕の話を聞いてください!」
「なにを話すつもりかは知らんが、話なら父さんたちが戻ってからにするんだな。今は食事の時間だ。優斗もそこの……なんとかクンも、お前なんかに付き合って食いっぱぐれるところじゃないか。二人はさっさと中に入りなさい。そいつはよそ者だぞ」
「食事なんて、悠長なことを言っている場合じゃ……!」
さらに食い下がろうとした賢人さんは、次の瞬間、愕然とした顔で立ち尽くした。
「食事?」
復唱した言葉に、武さんの片眉が上がる。
「いま、食事と言ったんですか、兄さん。まさかもう、なにか食べて」
言いかけた賢人さんと俺たちは、たぶん同時に武さんの顔や手を見たんだと思う。もちろん食べかすなんかは小さすぎて見つけられなかったけど、奥からコーヒーの匂いがしたことで、賢人さんは疑問の答えを確信したようだった。
なんてことをと漏れた声に、武さんはますます眉根を寄せる。
「なにをそんな──ああ、なるほど。お前は父さんたちの意向を汲んで、断食のしきたりを破るなとかなんとか、そういうことを言いにきたわけだな。さすがは父さんのお気に入り、父さんにとっての正当後継者というわけだ」
鼻で笑うような嫌味に、賢人さんは俯いたまままったく反応を示さなかった。それを武さんも不思議に思ったのか、少し首を傾げたように見える。
優斗もなんて言葉をかければいいのか戸惑っていたから、意を決して小さく手を挙げた。
「部外者ですけど、ちょっといいですか」
一気に注目が集まる。優斗は驚いたように、武さんはやっぱり不愉快そうに。そして賢人さんは、俺の挙手になんて気づいてもいない様子だった。
「賢人さんと一緒にゲームする約束をしたんです。でも賢人さんがここにいちゃいけないなら──俺が、賢人さんの家に遊びに行くってことでいいですか?」
この一言で、優斗も賢人さんを滞在させる小芝居を思いついたらしい。
一瞬だけ嬉しそうな顔をしたあと、取り繕うように怒った顔をして見せた。
「ダメだぞ陸、賢人さんの家はうちより山に近いんだ。あそこは井戸もないし、食糧のストックも一人分だけだって聞いてる。お前は俺のお客さんなんだから、そんな危ないところに行かせられないよ。行くんなら俺も一緒に行く! もちろんじいちゃんたちにバレたら叱られるだろうけど──武おじさんが許可を出してくれたって言えば、まぁ」
「かっ、勝手なことを言うんじゃない!」
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