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「先程も名乗ったと思うが、私はグレッグ・ハモンドだ。良ければ、君の名前を聞いてもいいか?」
「私は、ソフィアです。ソフィア・エリオット
です。」
エリオットは、母の姓。あの邸に引き取られてからは、名乗ることは許されなかった。ずっと、口にすることができなかった大切な名前。久々に声にだすと、なんだかむずがゆい。
嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な感覚。
大切な母が残してくれた名前だもの。 もう、父や義姉に何も奪われたくない。
私は、もう、あの二人とは関係ない。
これからは、ソフィア・エリオットとして生きていくのだから。
「エリオット嬢か。」
「エリオット嬢だなんて……。どうか、ソフィアとお呼びください、騎士様。」
「ならば、私もグレッグと呼んでくれ。」
「は、はい……、では、グレッグ様。」
名前を呼ぶ許可をいただけるなんて、思ってもいなかった。騎士様は、私にとっては遠い存在の方。
こんな風に気さくに接してれるなんて、恐れ多い。
これ以上、迷惑をかけないように、失礼にならないように、何を話したらいいのかしら?
ど、どうしよう、何も思いつかない……。
そのまま、ただ黙って歩いていた。
困惑する私を気遣うように、グレッグ様が口を開く。
「三日月亭に、ソフィアが働いていたとは知らなかった。」
「え……?あの、私、三日月亭のこと話しましたでしょうか?」
「いや、ソフィアが言っていただろう? ダンさん、ルイーザさんと。二人の名前を聞いてピンときた。三日月亭のことだなと。あそこの食事は美味いと、騎士の間でも人気があるんだ。」
会話の中で、自然とソフィアと呼ばれて、頬を染める。
なんだか、妙な気分。私、どうしたのかしら? 落ち着かないと。
「グレッグ様も、三日月亭に泊まることがあるのですか?」
「あぁ。宿屋として利用することはないが、食事をしに時々利用している。最近は利用してなかったな。」
「そうだったのですね。それなら、ご存知なくて当然かもしれません。私が働き出したのは、数ヶ月前ですから。」
「数ヶ月前?」
グレッグ様は、急に足を止める。
「グレッグ様?」
どうしたのだろうと、グレッグ様へ顔を向ける。
不思議そうな顔をする私に、グレッグ様は真面目な顔で問いかける。
「ソフィア? 数ヶ月前までは、どこかで働いていたのか?」
「え?」
詮索するような質問をされて、言葉に詰まる。動揺して瞳が揺れてしまう。
あの頃のことは、知られたくない。
「ノーマン伯邸にいたのではないか?」
どうして、蒸し返すようなことを聞いてくるの?
触れないでほしい。
地獄のような日々だった。
「あの……それは……。どうしても、お答えしないといけませんか?」
あの邸にいたこと。私にとっては、封印したい記憶。
使用人以下の扱いを受けていたことなんて、知られたくない。
なにより、私にもあの人達と同じ血が流れているという事実を知られたくない。
ただ耐えるしかなかった辛い日々、決して消えることのない心の中の醜い感情──どれも消し去りたい私の過去。
走馬灯のように過去の出来事が蘇ってきて、頭を駆け巡り、息苦しくなる。
「すまない、酷なことを聞いた。ただ、興味本位で尋ねているのではないんだ。
私は、ノーマン伯の罪を明らかにしたいと思っている。色々と黒い噂が他にもあってな。なかなか迂闊に手は出せないから、以前より証拠を集めている。いずれは、王城へ報告するつもりでいる。決して悪いようにはしないと約束する。私はこれ以上苦しむ者をみたくない。
だから、 時が来たらソフィアにも、今日起こったことなどの証言の協力をお願いすることがあると思う。
その時は、すまないが証言してくれるか?」
真剣に問いかけるグレッグ様。その様子をみて、逡巡する。
苦しむ者を見たくないというのは、本心なのだと思う。
貴族を告発することは、きっと簡単なことではない。 でも、少しでも望みがあるのなら、私は……。
もし、その時がきたら、私が受けた暴力のことを、お話ししよう。
本当は、今でも怖い……。
でも、逃げるだけでは解決できないこともある。
「グレッグ様。私がお話することで、お役に立てることがあれば……、その時が来たら、協力させてください。」
「ありがとう。ソフィア。本当にすまない。」
そう言って私に軽く頭を下げる。
「グレッグ様、そんな、頭を上げてください!」
動揺して焦る私に、「ソフィアにとってはつらいことだと思うから」 と言葉を続ける。
瑠璃マリコ
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あぁ、この方は、よく知りもしない私なんかを気遣ってくれる。とても、優しい方なんだと実感した。
理不尽な扱いを受けてばかりだったけど、ダンさん、ルイーザさん、そして、グレッグ様。
世の中には、優しい方もたくさんいる。
人の優しさに触れて、母の言葉を思い出した。
誰かを憎んだり、恨んだりすることはやめよう、と改めて心に誓った。
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