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『さあ、レフリーからの注意も終わり、双方ゆっくりとコーナーに戻ります』
ファンの歓声にまぎれて、注意しないと聞き取れない放送の声。その声を聞きながらオレはコーナーへと下がる。
『あとは試合開始のゴングを待つばかりとなりましたが、川井さん。この対決、どのような立ち上がりを予想されますか?』
『立ち上がりも予想もないでしょう。立ち上がりから最後まで、終始栗原のペース。どっしり構えた横綱相撲。それ以外は考えられないですよ。それでも佐野が何分もつ事やら……』
『は、はあ……そ、そうですか……』
相変わらず言いたい放題だな、このオッサン……
苦笑いを浮かべながら、自分のコーナーに戻ったオレは、コーナーポストから伸びるロープを掴んで――
「おにぃ、じゃなくて優月さん、後ろっ!」
「えっ? ぐぁっ!?」
叫ぶような舞華の声。咄嗟に振り返ったその瞬間、胸板に衝撃が走りコーナーポストに背中から激突した。
『おーっと! 予想に反して先に仕掛けたのは栗原だぁー! コングが鳴る前の奇襲攻撃。串刺しドロップキック(*01)が、佐野の胸板に突き刺さるっ!』
不意を突かれた攻撃に、コーナーポストの前に尻もちを着くオレ。
そんなコーナーとロープに囲まれ逃げ場のないオレを、かぐやは容赦なくストンピングで何度も踏み付けていく。
『レフリー大林、慌ててゴングを要請! ここでようやく試合開始のゴングが鳴り響く!』
「汚いなんて言わないでよねっ! リングの上は常在戦場! 呑気に背中を向けてるアンタが悪いんだからっ!」
くっ……言わねぇよ。ゴング前の奇襲なんて、プロレスではよく有る事だ。無防備に背中を晒したオレがマヌケだっただけだろ。
ひと仕切り蹴り終えると、かぐやはオレの腕を掴んで強引に引きずりの起こす。
『栗原、リングの中央まで移動して、佐野をロープへと振った。そして、返ってきた所をショルダースルー!』
くっ!
『ああっと!? 佐野、これを躱したー!』
高々と投げられたオレは、空中で姿勢を制御して足から着地。そのまま正面のロープへと走った。
『お互いロープへと走る! 栗原のジャンピングニーッ!(*02) 佐野っ、これも躱した! 再び栗原、バックスピンキック! しかし、これも体を低くして躱す! これは目まぐるしい展開だぁぁーーっ!!』
ちっ! 何とか攻撃は躱しているけど、反撃するスキがねぇ……ならばっ!
『おっと、佐野っ! リング中央で急反転! 栗原と同じロープへと走るっ!!』
先にロープへとたどり着き、反転するかぐや。しかし、同じ方向に走ったオレの姿は、当然そこにはない。そして、ロープの反動を殺し切れずに数歩進んだ所で立ち止まるかぐやに対し、ワンテンポ遅れて反転したオレは、その背中に向けて突進して行く。
「悪いけど、その|動き《ムーヴ》はお見通しよっ、優人っ!」
背後から向かって行くオレに対し、かぐやは右腕を横へ広げて勢いよく振り返った。
『栗原っ! 振り向きざまのラリアット!』
悪いな、かぐや。お前がこのムーヴをお見通しなのは、お見通しだ。
オレは口元に笑みを浮かべながら、かぐやのラリアットを前転しながら潜り抜ける。
『佐野っ! これも躱して、すかさず振り向いた! 栗原も急停止! 振り向きながら、もう一度ラリアットを叩き込む栗原っ! しかし佐野はこれを浴びせ蹴り(*03)で迎撃! ラリアットと浴びせ蹴りの正面衝突っ! 競り勝つのはどっちだぁぁぁぁぁーっ!!』
「うぉりゃぁー!」
「こっのおぉぉぉーーっ!」
振り向きざまで遠心力が効いた、かぐやの叩きつけるようなラリアット。オレは低い姿勢から強引にもう一度前方回転。迫り来るかぐやの腕に、浴びせ蹴りで踵を叩き込んだ。
「きゃあぁっ!」
回転の勢いのまま、間合いを取って立ち上がるオレと、腕を抑えて吹き飛ばされるかぐや。
そのまま転がりながら、場外へとエスケープして行った。
いい判断だ――プロレスでは、ダメージを回復させたり流れを変える時に、一度場外へエスケープして仕切り直すというのは有効な手段である。
正直、浴びせ蹴りに関しては半分以上賭けだったのだけど、キッチリ入ったみたいだ。
『競り勝ったのは佐野っ! 栗原、ここは一旦場外へとエスケープ』
『まっ、これは当然でしょう。単純に脚の力は腕の力の三倍って言われてますから、蹴りが競り勝つのは当たり前です』
※※ ※※ ※※
「くくくっ……当たり前だってよ」
「相変わらず的外れな解説をしてますね」
唇の角を吊り上げて笑う佳華と、呆れ顔の詩織。
「ああんっ? 腕より脚のが強いのは、当たり前じゃねぇのか?」
そんな二人の言葉に首を傾げる絵梨奈を見て、佳華はため息をつく。
「確かに一般論はそうだな……でも思い出してみろ。佐野は前転のあと、体勢を起こさずに振り向きざまの浴びせ蹴りだ。体重など全く乗ってない」
「それに対して、栗原は回転して遠心力も乗っているし、打ち下ろし気味の体重が乗ったラリアット」
「加えて、単純なパワーなら佐野よりかぐやの方が上。どっちの攻撃力が上かと言われれば、かぐやのラリアットの方が威力があったはずだ」
「あんっ? じゃあなんでかぐやのヤツ、あんな痛そうにしてんだい?」
絵梨奈は、大型スクリーンに映るかぐやに目を向けた。同じように、場外で両膝を着いて苦しそうに右肘を抑えるかぐやへと目を向ける佳華と詩織。
「佐野の踵が、かぐやの尺沢に入ったんだよ」
「ソ、ソクシャク? 明るいとこでナニ言ってんだいっ!? いや、まあ今は夜だけどよ」
「どういう耳してんだ、お前はっ? 尺沢だ、しゃ・く・た・く! 肘の裏にあるツボだ」
「本来は咳や喉の痛みに効くツボですけど、ここを強く押すと――」
詩織は佳華越しに絵梨奈の腕を取ると、親指で肘の裏を強く押した。
「どわわあぁぁぁっ!?」
「こうなります」
奇妙な悲鳴を上げる絵梨奈から、詩織は表情を変える事なく手を放した。
「な、なんだい、今の……? 身体中に電気が走ったぜ……てゆうか、まだ少し痺れてる」
不思議そうに自分の手のひらを見つめる絵梨奈。
「それが尺沢のツボだ。いくら体重が乗ってないとはいえ、カウンターでそこに踵を叩き込まれたんだ。しばらく右腕の痺れは取れんだろ」
「とはいえ、尺沢は小さなツボです。あの体勢から狙って蹴ったのでしょうか?」
「イヤ、それはムリだ……佐野とすれば、当ればラッキー、くらいで打ったんだろ――でもそれがキッチリ入ったっていう事は、今のところ運は佐野にあるって事か……」
(*01)ドロップキック
対戦相手目掛けてジャンプし両足を揃えて足裏で蹴る。
また、後方旋回式とは、相手にキックを当てた後、後方に一回転して前受け身を取る蹴り方である。
(*02)ジャンピングニー
正式には、ジャンピング・ニーパッド。
自分の膝を突き出した状態でジャンプし、相手の顔面や胸板を膝で蹴り上げる打撃技。
(*03)浴びせ蹴り
前方もしくは斜め前方に回転しながら、相手の顔面めがけて踵を叩き込む蹴り技。