辺境領への視察も終盤に差し掛かったある夜。野営地の焚き火の前で、ナツメは一人、剣の手入れをしていた。その横顔はいつになく険しく、どこか沈んでいる。
実はナツメは悩んでいた。ルカ(健二)の「圧倒的な器の大きさ」や「泥臭い戦術」を目の当たりにするたび、自分がいかに未熟で、力に頼るだけの薄っぺらな騎士であるかを痛感していたのだ。
そこへ、喉が渇いてテントから這い出してきたルカが通りかかった。
ナツメの暗い表情に気づいたルカは、前世の引きこもり時代、ネット掲示板で叩かれまくっていた自分と彼女の姿が重なり、つい本音が漏れた。
「……ナツメ、そんなに無理しなくていいよ。……疲れるだけだし」
ルカとしては「(あんまり真面目にやってると俺みたいに精神病むから、適当にサボろうぜ)」という意味だった。
しかし、火の粉が舞う中でルカの神々しい顔を見上げたナツメには、その言葉は全く別の意味に響いた。
「……っ。ルカ様、私は……」
「俺なんて、生きてるだけで精一杯なんだ。だから、ナツメも……そのままの君で、いいんじゃないかな。……寝よ」
健二は「(俺なんて働きたくないし息してるだけでやっとだわ。ナツメも強迫観念捨ててありのままでいろよ、おやすみ)」と、眠気に負けてボソボソと呟き、ふらふらとテントへ戻っていった。
残されたナツメは、雷に打たれたような衝撃を受けて立ち尽くした。
「……『そのままの君でいい』……?」
ナツメの脳内では、ルカの言葉が劇的な聖騎士風翻訳を遂げていた。
(……ああ。あの方は、私の未熟さも、焦りも、すべて見抜いた上で肯定してくださった。最強の騎士になろうと虚勢を張る私ではなく、一人の人間としての『ナツメ』を見てくださっている……!)
帝国最強の公爵嫡男という、雲の上の存在から「そのままの君がいい」と肯定されたのだ。これまで戦う道具としてしか評価されてこなかったナツメにとって、それは魂を震わせる愛の告白にも等しい救いだった。
「……っ、ふ、ふふ……」
ナツメの目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
冷徹だった彼女の心は、完全に溶解した。
翌朝。
テントから出てきたルカを待っていたのは、以前よりも数段柔らかい、しかし狂気すら感じるほど情熱的な眼差しを向けるナツメだった。
「ルカ様! おはようございます!」
「うわっ!?(え、なんか急に距離が近いし、目がキラキラしてる……何?)」
ナツメはルカの手を両手で優しく、それでいて逃さないようにしっかりと握りしめた。
「昨夜のお言葉……一生忘れません。私、ナツメは、騎士としてではなく、一人の女として、貴方様にこの命を捧げる決意をいたしました。これからは……貴方様の『そのままの私』で、貴方様をお支えします!」
「……あ、あぁ。よろしく(そのままの私……? サボるってことかな? まぁ、楽になるならいいか)」
ルカが「(よくわからんけど承諾しとこう)」と曖昧に微笑むと、ナツメはその美しさにノックアウトされ、背後の兵士たちは「ついにナツメ殿が陥落した!」「愛の力でナツメ殿の戦闘力が上がっているぞ!」と朝からお祭り騒ぎになった。
こうしてルカは、ただの「サボり推奨発言」によって、帝国最強の剣士を精神的に完全服従させてしまったのである。
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