コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
鈴子は、浩二が書斎にこもって、講演原稿を書いている時も遠慮なく書斎のドアを開け、彼の執筆を中断させていた
「ねえ、浩二!週末琵琶湖の美味しいウナギ屋さんに招待されているんだけど、行く?」
大抵は愚にもつかない用事だが、めったに家にいない浩二と鈴子は少しでも一緒にいたいからである
「劇団四季の芝居があるんだけど』とか『建設中の梅田のビルを見学にいかないか』と、何かと浩二の書斎に用事を作って入っていった、浩二は我慢していたが、ついにこらえきれなくなって言った
「ねえ、鈴子、僕が原稿を書いている時は放っておいてくれないか、集中力が途切れちゃうんだ」
「ごめんなさい」
鈴子は言われて初めて気がついた
「でも、どうして毎回原稿をかくのかわからないわ、同じことを話せばいいじゃない、それよりせっかく家にいるんだし私と・・・」
「毎回違う事を話すから、支援者はわざわざ足を運んで聞きに来てくれるんだよ、本当に僕に投票して自分達の暮らしが良くなるか皆見極めようとしているんだ、あのね、そこが企業と違う所なんだ、会社の場合、もし間違いがあったら、設計を変更するとか、配管をし直すとかできるだろ?でも講演会は訂正できないんだ、チャンスは一度っきり、大勢の人の目の前で話すのは、やり直しが効かないんだよ、その時の僕の話が気に入らなければもう二度と支援してもらえない、だから毎回万全の準備をして挑みたいんだ」
「ごめんなさい・・・よくわかりました」
鈴子は素直に謝った、浩二は鈴子の肩に両腕を回した
「君にかまってあげれなくて申し訳なく思っているよ、でも来年の選挙の為に今の種まきがとても大事なんだ」
「ええ、さぁ原稿執筆に戻って、私はもう邪魔しませんから」
浩二は再び書斎にこもった、鈴子はビジネス書を暫く読んで、コーヒーを入れようとキッチンに立った、その時浩二の分も入れてあげようと思ったが、ついさっき放っておいてくれと言われたばかりなのを思い出した
同じ家にいるのに・・・コーヒーも持って行ってはいけないのかしら・・・でももし・・・あの人が落選したら・・・
いつの間にか鈴子は浩二が選挙で落選した場合の事を想像するようになった
―三宮の一等地に彼の弁護士事務所を建設してあげましょう・・・その頃には彼とはもう結婚しているでしょうね・・・やっぱりキチンとしなければ・・・寄宿学校に入っている私の子供達も呼び寄せて、再婚することをあの子達に報告して・・・子供達はきっと浩二を気に入ってくれるわ・・・私達・・・素敵な家族になれるわ・・・私は定正さんの後妻だったから新婚旅行に行ってないのよね・・・浩二との新婚旅行は・・・半年かけて世界一周とかどうかしら・・・新居は・・・
そこからしばらく鈴子は浩二との幸せな結婚生活に夢を馳せ、そしてコーヒーを全部飲み終わる頃に、ポツリと小さく呟いた
「でもこの夢は全部・・・彼が落選したらの話なのよね・・・」