テラーノベル
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何食わぬ顔で、金原は人力車を降りるが、櫻子は、この状態をどう取り繕えばよいのかと、気が気でなかった。
それでも、行かなければならないと、おどおどしながら、金原の後ろへ続く。
「校長、妻が世話になります、そして……」
金原は、愛想笑いを崩さない校長へ挨拶をし、ちらりと、隣に立つ、気難しそうな、金原と櫻子を批難した女性へ目をやった。
「……奥様の担任の山谷です」
どこか、棘のある言い方に、櫻子は、ぴくりと肩を揺らした。
先日、入籍をした。祝言は、まだ挙げてはいないが、櫻子は、公的に、金原の妻になっている。だから、奥様と、呼ばれるのは当然のことなのだが、何か、嫌悪感をあらわにされているようで、櫻子は、戸惑った。
やはり、女学生とは、嫁入り前の女子であるべきで、妻となっている身には相応しくないのか。
櫻子が密かに心配していた事だったが、担任である教師に、それを遠回しに指摘されたようで、居心地は良いものとは言えない。
どことなく、冷えた雰囲気を察した校長が、またまた、笑顔を欠かさず、場を取り持とうとした。
「いやいや、この山谷先生は、女子教育に長けた方で……」
「世の中の風潮に従って、良妻賢母の育成に、力を注いでおりますが、おそれながら、奥様は、もう、良妻賢母ではございませんか?」
そして、山谷と紹介された女は、嫌みたらしく言い、金原と櫻子を見比べている。
「ああ、担任の先生でしたか。確かに、これは、立派な、良妻賢母……ではありますが、まだ、賢母の部分が学び切れておりません。そこで、校長に無理を言い、此方へお世話になろうと思った次第、どうぞ、宜しくお願いします」
決して、若いとは言えず、下手すれば、校長よりも威厳がある山谷へ、金原は、作り笑い満載で、嫌みとも、何とも言いがたい返事をした。
「……まあ、いいでしょう。ずっと、立ち話もなんです。そして、そろそろ、授業の始まりですから……教室へ案内致します」
山谷が言うと同時に、腰の曲がった用務員らしき老人が、振り鈴を振りながら、始業時間を知らせている。
辺りには、既に誰もおらず、生徒達は、教室へ入っているようだった。
「ああ!金原さん!校内を御案内いたしましょうか?!山谷先生、奥様も、一緒にみていただくのはどうだろうか?」
「……校長……。お言葉ですが、こちらの方は、生徒です!」
ふんと、鼻息荒く、山谷は、校舎へ向かう為に踵を返すと同時に、櫻子へ、授業が始まる着いてきなさいと、強い口調で言った。
とっさに、小さくお辞儀をし、櫻子は、山谷の後に続いた。
背筋をピンと伸ばし、音もなくといった感じで歩んで行く山谷からは、逆らえない雰囲気が漂っている。
それは、学校の長である、校長も同じなのか、校舎へ向かう山谷と櫻子の後ろ姿を、渋い顔で見送っていた。
「……まあ、わが校の女傑といいますか……」
校長は、手に終えないと、口にはしないが、わかって欲しいとばかりに、金原を見た。
「……成る程、あの様に、教育熱心な先生ならば、私も安心です」
「そ、そうですか?!」
金原の答えが意外だったのか、校長は、飛び上がらんばかりに、応答し、是非に是非にと、校舎の案内をかってでる。
つまりは、ここが悪いあそこが悪いと、寄付金を巻き上げる魂胆かと、金原は、こっそりほくそ笑む。
「いや、授業が始まった。お邪魔してはいけない。またの機会に、お願いしましょう」
さらりと、校長の欲深さから逃げつつ、金原は、櫻子のおどおどとした、それでいて、緊張した態度が気にかかって仕方なかった。
更に、担任の山谷は、都合の良いことを言ってはいるが、いわゆる行き遅れなのだろう。世の中を斜に見るような、陰険な様子も気になっていた。
当分、櫻子は、人妻、という所を、山谷に突かれるだろう。
それは、寄付金で、どうにかなるのか?などと、思い悩みつつも、それも、櫻子には一つの勉強になるだろうと、妙な言い訳を自身に言聞かせた。
女学校のやり方にまで、金原自身が踏み込めば、櫻子の立場は、更に悪くなるかもしれない。
ここは、一つ、様子を見てか。
そして、あまりにも、山谷含め、他の女学生が、櫻子へ辛く当たるようならば、それなりの対応をするか。
さて、それなりとは?
などと、金原が、思い悩んでいる脇で、校長は、礼華女学校の遍歴などなど、自慢げに話していた。
そんなものには、用はない。
櫻子が、女学生として、謳歌できればそれでいいだけなのだ。校長の寄付金目当ての語りは、金原を苛立たせていた。
「ともかく、あの、山谷先生におまかせすれば、間違いはなさそうですね。宜しくお願いしますよ」
颯爽に見せかけて、校長の無駄口を押さえた金原は、素知らぬ振りで、それではと、虎が待つ人力車へ戻った。
そして──。
櫻子も、山谷に、礼華女学校の遍歴を語られながら、教室までの廊下を歩んでいた。
聞けば聞くほど、場違いの場所にいるのではないかと、少しだけ恐ろしさに襲われつつ、櫻子は、小さく返事をしながら、山谷の後を追っていた。
「……というわけですから、早く、我が校の校風に慣れてください」
言って、山谷が、ガラス戸の前で立ち止まる。
「ここが、あなたの、教室です。明日からは、お一人で」
今の案内すら、迷惑だと言いたげに、山谷は言うと、ガラス戸を開けた。
ガラガラと音を出しながら開いた戸の向こうは、もちろん、教室で、女学生達が座っている。
さあ、と、促され、櫻子も、教室へ足を踏みいれた。
たちまち、小さなざわめきと同時に好奇の目が、櫻子へ向けられる。
コメント
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井川奎さん、第134話を読ませていただきました。 櫻子が“奥様”と呼ばれる居心地の悪さと、山谷先生の棘のある態度がひしひしと伝わってきて、胸がぎゅっとしました。金原さんが「当分、突かれるだろう」と覚悟しつつも直接介入しないで様子を見る判断をするところ、夫としての距離感にじんと来ました。学校という閉じた世界に放り込まれた櫻子の緊張…続きがとても気になります!📖