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綾瀬七緒が死んだ学校裏の教会での出来事のあと――。
無力感と絶望に包まれて錯乱した私がそのあとどうしたのかは全く覚えていなかった。
気付けば私は自分のベッドの上で、パジャマに着替えて横たわっていた。
「あれ、いま何時だろう……。んっ、頭がズキズキする……」
と、ふと下から人の気配がする。
コトコトという足音や、ジュージューと何かを調理する音。
最近久しく聞いていなかった、人間らしい家庭的な生活音だ。
それで気付く。
「お母さん、お母さんが帰ってきたんだ!」
パッと気持ちが明るくなり、私はパジャマ姿のままリビングに向かう。
「お母さん――」
「あ、一花ちゃん、おはよう♪」
「――――っ!」
仁美はキッチンで料理をしながら私ににこやかに挨拶してきた。
ザーッと血の気が引くのを感じた。
そんな私をみて仁美はきょとんとする。
「どうしたの?」
「どうしたのって、それはこっちのセリフでしょ! い、いったいなにをしてるの?」
「え? だって一花ちゃんが言ったんだよ? 一花ちゃんのためにご飯作ってるの♪ ほら、しばらくお父さんもお母さんもいないんでしょ? だから一花ちゃんのために、私がしばらく一花ちゃんのママになってあげる♪」
「………………………………」
昨日の記憶がイヤでも蘇ってきて、私の背筋に霜柱のような強烈な冷たい恐怖がせりあがってくる。
私が恐怖と焦燥の入り混じった眼差しで仁美を見ていると、仁美はクスクスと笑いだした。
「そろそろご飯の支度が終わるから、ちょっと待っててね。朝ご飯はね、パンと、スクランブルエッグと、ウィンナーだよ♪」
にこやかにそういう仁美。
私は、仁美の願いをかなえてあげるための覚悟をしたはずだった。
なによりそれが私にとっての、わずかながらの罪滅ぼしになるとも。
だが、今私が感じている子の感覚はいったい何なのだろうか?
今私が感じているもの。
それは恐怖とはまた別のなにか――
いうなれば、生理的な嫌悪のようなものが混みあがってきた。
(この感覚って――)
そうだった。
仁美の死。私の罪。
それにばかり目が向いていたけど
その前から仁美の私に対するこだわり方だって、私に負けず劣らず異常だった。
「いらない」
「え、なにが?」
「だから、ご飯、いらない」
「……………………」
私は拒絶を口にしてしまった。
私は言い訳をする。
「その、食欲がないの。だから」
「一花ちゃん。食べるでしょ?」
「…………うぅ」
仁美のねっとりとした眼差し。
冷たい手で心臓をなでられるような、そんな恐怖が私を襲った。
私は、おとなしく従うしかなかった。
「一花ちゃん、あーんして♪」
私の横に座った仁美は、ケチャップのついたスクランブルエッグをスプーンで差し出してきた。
「ちょ、ちょっと、それやめてよ」
「何が?」
「だから、その、小さい子供にするようなこと」
「一花ちゃん」
仁美がまたじーっと私を見つめてくる。
「あーんでちゅよぉー♪」
「……………………」
逆らえない。
私はおとなしくそれを口に運ぶ。
「ウフフ♪ はい、よくできました♪」
通学路。私と仁美は二人で並んで歩いている。
「ねぇ、一花ちゃん。私、手をつなぎたいな」
「え?」
「ダメ?」
「……………………」
私は要求されるままに手をつなぐ。
「えへへ、一花ちゃんの手、柔らかいなぁ」
「そ、そう」
通学中にふと気づく。
そういえば昨日、学校裏の教会が火災で燃やされてしまったが、
あのあと結局どうなってしまったのだろうか?
学校から特に連絡などは来ていないが、さすがに火事になった上に学校の生徒が死んだのだから、普通に考えたら休校になると思うのだが――、
だがそれを仁美に聞くわけにもいかない。
どうせ無駄になるだろうが仕方なく学校には行こう。
「…………嘘」
学校はまるで何事もなかったかのように普通に開いていた。
生徒たちも火事が起こったことなんか知らないかのように普通に登校している。
いや、そもそも警察や消防がやってきた気配もなかった。
「どうしたの一花ちゃん?」
「だ、だって昨日は火事が――」
「火事なんてなかった」
「――――ッ!」
気付くと、教室の前に立っていた。
「おっはよー、朝から見せつけてくれるじゃん、熱いねー! ラブラブカップルめ!」
「京子……」
呆然と私は友達の名前を口にする。
横にはニコニコと笑っている仁美。
手を見ると、私は一花と手をつないで教室に入っていたのだ。
「……………………」
私はなかば呆然としつつ、ゆっくりと仁美から手を離し、自分の席に座った。
京子はからかうような感じで私に話しかけてくる。
「朝から手をつないで登校とか、本当に二人は仲いいんだねー。私も女の子の恋人、ほしいなー。そういえばどっちから告ったの?」
「京子、違うよ、別に私と仁美は付き合ってないから」
「あはは、何言ってるんだよー。みんな知ってるぞー、二人が恋人同士だって」
「違うって言ってるでしょ!」
「そんな恥ずかしがらなくていいのにね。ね、七緒っち」
「そうよ、そんなふうにごまかされたらかえって傷付いちゃう」
七緒が話に加わる。ごく自然と。
「だよねー。七緒っち本当は一年の時から一花が好きだったのにねー。それで仁美にやきもち妬いてたんでしょ?」
「そうよ、でももう二人が好き合ってるなら仕方ないし」
「いっそ私たちが付き合わない? なんちゃってー☆」
「あ、いいんじゃない? 七緒ちゃんと京子ちゃんお似合いだもん」
京子と七緒がそんな風にじゃれあっていると、今度は遥が会話に加わってくる。
「じゃあ私は遥ちゃんとカップルになろうかなー」
そう言って、睦月も話に混ざってくる。
睦月、遥、そして七緒。
三人とも死んだのに。
なのにごく自然にわちゃわちゃと楽しそうに話す女の子たち。
私はそんな彼女たちを見て凍り付いていた。
「なんで生きてるの?」
「は?」
「だ、だってみんな死んだじゃない!」
「え? 一花、何言ってるの?」
「ていうか死んだって何のこと?」
「嘘、ウソでしょ?」
「誰も死んでなんかいない、なにも起きてなんかいないんだよ」
それまで一切会話に参加してなかった仁美が、私の事を背後から抱きしめてくる。
「これで安心したよね? 一花ちゃん?」
そして気付けば、みんなが私の席を囲んでいた。
みんな私の方を見ている。
「うわー二人熱いねー、二人を見てるだけで火傷しそう♪」
パチパチパチ
パチパチパチパチパチパチ
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!
「やめて! やめてよ! その拍手をやめて! いやああぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あはははははははははははははははははははははははははははははははは♪」
身体がガタガタと震え始める。
「う、うぅ……。あっ――」
こみ上げてくるものが我慢できず、私は吐いた。