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「――私はペチカ・アジェリットです」
手に巻いていたブレスレットの解呪を行い、次の瞬間にはあの長いサーモンピンクの髪がなびく。ふわりと花弁が舞うように、毛先には情熱的なピンクを彩って。
殿下はそれを不思議そうに見つめていたが、「そう、か。そうだろうな」とつぶやいてから私の手を下ろさせた。しかし、私の手からは手を放さず、優しく握っていて、いつでも逃げられたけれど、私はそれを振りほどくことはしなかった。
(こんな形で伝えるつもりはなかったんだけどな……)
欲を言えば――いや、自分から勇気を振り絞って殿下に言うつもりだった。いや、そうでなければならなかったのだ。だがその勇気がなくて、うやむやになればと逃げていた。だから、こうして殿下が一歩踏み出して私に聞いてくれたのだ。真実を話せと。
殿下はルビーの瞳を震わせながら、「ペチカ」と私の名前を呼ぶ。それは、愛おしいものを呼ぶような、優しい声色だった。
「殿下」
「ゼインだろ。貴様は、俺の婚約者のペチカ・アジェリットなのだから」
「ぜ、いん……ごめんなさい、私は、今までゼインを」
「いい」
「いいって……いいって、ゼイン! なんで許すんですか!? 貴方は、裏切られることを嫌っていた。信頼関係を……信頼していた人間に騙されることも裏切られることも! なのに、なぜ私を許すんですか!? 私は、貴方に、罪悪感を抱いていたのに。だましているって」
「だから、婚約破棄を?」
「ゼイン!」
彼は一向に怒ろうとしなかった。
私はこんなにもあせって、それこそ私が婚約破棄されるんじゃないかって怖くて。ああ、私は婚約破棄されたくないくらい殿下のそばにいたいんだって思わされて、これが、きっと好きという気持ちなんだってようやくわかった。だから、怖いのだ。
殿下は首を横に振るばかりで、怒ってもくれないし、呆れてもくれない。悲しみに暮れているというような感じでもなくて訳が分からなかった。
「……そうですよ。一人二役なんて演じきれない。まして、期待の超新星であるベテル・アジェリットを。そして、貴方の婚約者のペチカ・アジェリットを。私は……怒ってくださいよ」
「怒る必要がないだろ」
「なぜ!」
私がそう叫べば、殿下は、口にするのも難しいというように代わりに行動で、私を抱きしめた。
なんでそんなふうに抱きしめるんだと、私は彼を突き放したい気持ちになったが、強く抱きしめられれば抵抗することなんてできなかった。拒絶してしまったら、もう二度と彼は私を抱きしめてくれない気がして。
「……ゼイン」
「覚えているか。ペチカ・アジェリット……俺が皇帝になると貴様に誓った日のことを」
「え?」
「ベテル・アジェリットは、十四年前に死んでいるのだろ? じゃあ、俺があの日であったのは、ベテル・アジェリットではなくて、ペチカ・アジェリット……貴様だったんだ」
「ゼイン、何を?」
「俺は、二度も貴様に一目ぼれしたんだな」
と、殿下は震える声で言い切ると一段と私を抱きしめて、頭を摺り寄せた。
十四年前……そして、皇帝になると誓った日のことが出てきたのは意外で、私はその話を詳しく聞きたいと、思わず殿下の胸を叩いた。殿下は名残惜しそうに離れていき、だが私の肩からは手を放してくれなかった。どこにも行くなと、そう拘束するように。優しく置かれているはずの手が少し痛かった。
「ゼイン、貴方は……」
「まさか、ペチカ……覚えていないのか?」
「と、とんでもないです! あの日のこと、忘れるはずが!」
いや、正直言うと、忘れていたが、最近思い出した。そして、殿下への気持ちも自覚した。
さすがにそこは口が裂けても言えなかったが、彼が覚えていたのが意外過ぎて、そして二度の一目惚れと……
(お兄様が以前言っていたことって、まさか……これ……?)
お兄様はすべて知っていたのだ。というより、お兄様は私の話も、殿下の話も聞ける中立の立場だったからこそ、きっとその話も聞いていたのだろう。殿下の側近、専属護衛になって長いし、その話もきっとお兄様にしているだろうし。
「俺は幼い貴様に皇帝になると誓った日のことを忘れてはいない。だが、あの日俺が誓ったのは、貴様だったかベテル・アジェリットだったかわからなかった。髪も短く、ズボンをはいていたからな。それに、まだ未熟な体だった……」
「もしかして、殿下がべテルに甘かったのって、それも含まれているんですか?」
そう聞けば、殿下は恥ずかしそうに頬を掻きながらこくりとうなずいた。
すべてのつじつまが合った気がして、すっきりと一本の線につながるのだが、あの日殿下が一目惚れしていたというのは初耳だった。
「貴様に、ペチカ・アジェリットにあった日……俺が惚れたのは貴様だったかもしれないと再認識したのだ。あの頃よりもきれいになっていて……でもそのかわいさは、いや何倍もかわいくなっていた。だから、俺は……二度も貴様に一目ぼれしたのだ」
殿下はそう言い切って、顔を真っ赤にする。耳まで瞳の色と同じになるものだから笑いそうになるけれど、私は笑うような余裕がなくて、私のほうこそリンゴのように真っ赤になってしまう。ポッポッと顔が熱くなって、今見られたくないと顔を覆うとすれば両手を掴まれてしまう。
「貴様のこと、ずっと俺は好きだったんだぞ。名もわからない、男か女かもわからない天使の貴様のことを」
「ま、待ってください。そ、んな……でも、私は貴方をだまして!」
「そんなこと、些細なことだろ! 言ってくれなかったのは悲しく思うが、それでも貴様の姿が変わっても何度でも惚れるということだ。もう二度と離さない。どこにも行くな。俺だけを見ろ」
「そ、そんな、ゼイン!」
強引すぎる。
殿下も熱で頭が回っていないのだろう。けれど、それこそが殿下が内に秘めていたものなのだと、ストレートにぶつけられて、私は失神してしまいそうだった。
姿が変わっても、何度でも惚れると。
その言葉が特に刺さって、私は胸がいっぱいになって、いっぱいで、はじけ飛んでしまいそうだった。
「私のこと、好き、って……でも、ゼイン」
「貴様に乱暴したことは本当に反省している。もう、何度自分を殴ったかわからない。貴様に叩かれてもいい。あれは一生許さなくていい。だから、その、だな……好きでいさせてくれ」
「ゼイン……」
それは愛の告白だ。
長年彼が抱いていた思い。そして、それと同時に、私もあの時感じた彼のかっこよさが、彼が輝いて見えて仕方なかったのは、もしかしたら私もあの時恋に落ちていたからなのではないかとすら思えてきた。一目惚れ、その言葉が似あいすぎるくらい、私はあの誓ってくれた彼に心を奪われて。
でも、その後数年の間に薄れてしまった思いは、きっと彼と離れていたからだろう。そして、べテルとして生きることを強いられて、騎士として彼と対峙したから。私がもし、べテルじゃなくて、ずっとペチカのまままた彼と再会していたら……またそれはそれで変わっていたかもしれない。
「いいんですか、私で」
「貴様がいい。貴様以外考えられない」
「……ゼイン。私は」
「……っ」
「ゼイン?」
バッと、ゼインが離れたかと思うと、彼は片手で顔を覆い私に近づくなと手で距離をとった。いきなりなんだと思って彼が指さす方向を見れば、露出した胸の先端が見えそうになっていたのだ。
「ひいいっ!」
それに気づいた瞬間、私はガバッと騎士服を中央に集めて胸を隠し、プルプルと震えながら殿下を見た。そういえば、彼は私が女であることを確認するために服を切ったのだと。
「す、すまない。またこんな乱暴を! み、見てないからな!」
「それは見てる人のセリフなんですよ! ちょっと見ないでください!」
「だから見ていないだろう! だ、それに、そもそも貴様の胸はもう見ている!」
「見ているからって何ですか! 減ります! ただでさえ少ないのに!」
「くそっ、じゃあ、俺が大きくするから大丈夫だ」
「大丈夫じゃありませんけど!?」
なんだそれは。叫んで警備隊を呼びたい気持ちでいっぱいになったが、私は息を切らしながら殿下をにらみつけるだけで抑えた。こんなこと、些細なことだろう。少し恥ずかしいけれど。
(……殿下がそんなふうに思ってくれていたなんて知らなかった。それは、本当に、うれしい……)
やっと、あの日のことが、そしてこれまでの疑問がつながって気がした。二度も一目惚れをするのか。それはする、という結論が出て。それはそこまで重要じゃなかったが、殿下の気持ちを知ることができて。
でも――
(そうか。じゃあ、もうベテル・アジェリットは必要ないのか……)
演じる必要がなくなった。ばれてしまった。ベテル・アジェリットがいないということを、そして、殿下への気持ちが膨らんだ今、私はきっとベテル・アジェリットしての人生を選べないと思う。それが少し寂しくて、でも、それが正しいことなのだと、私はチクリと刺した胸の痛みに気づかないふりをして、殿下にもらったジャケットで胸を隠し、夕暮れ時の廊下を一列に並び歩いた。後ろに伸びた影は、二つゆらゆらと揺れていた。