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食事にほとんど手をつけない大垣をよそに、ツトムはテーブルに並んだ料理をむさぼるように食べた。
あまりのおいしさに、まるでナイフフォークがツトムの意思を超えてひとりでに動いているようだった。
これでは12000キロカロリーを丸呑みした神谷ひさしとなんら変わらないではないか、そう思って我に返ったときには、すでに皿にはソースだけが残されていた。
球団管理下の栄養食ではない、極上の料理は久しぶりだった。
とびきりの料理にツトムは大きな満足感に包まれた。
そして同時に、短くはあるが大垣との時間を共有したことで、徐々に心を開きつつある自分がいるのを実感する。
「こんなにおいしい料理が揃っていて、なぜ客がこないんですか」
ツトムはホール全体を見回した。
閑散としたホールに流れるカンツォーネと、しきりに店内に目を配る一組の夫婦。
何度見ても腑に落ちない光景だった。
「俺にもわからん。俺は飲食の知識はからっきしだからな」
「気になった点としては、店がスリ板ガラスになっていて入りにくそうでした。また店舗の外にメニューが置かれていませんでした」
ツトムは素直に意見を述べてみた。
「おまえ、プロ野球選手なんだろ?」
「はい。二軍ですが」
「なら、なぜ集客について思慮する? おまえが引退してシェアハウスに住んで、もしここで働きたいと思ったら、そのときは店のヤツらとじっくり戦略を練りゃいい。
でもどうせまだ野球をつづけんだろ? 無駄なことに頭使わんでいいんだ。それともほんとうは引退を考えてたりするのか?」
「引退の予定はありません。ただ知っておくべきことはあります」
ツトムは皿に残ったソースを見つめながら言った。
「言ってみろ」
「美濃輪雄二さんは、人生の異なる選択肢を提供するために、ぼくと接触したと言いました。そしてなぜシェアハウスに住むだけで破格の高待遇が受けられるかは、大垣オーナーに直接聞いてくれと言いました。
オーナー、このような提案をなさる真意を教えてください」
「そりゃ、話が死ぬほど長くなる」
「いただいた提案の根底にかかわる問題です。
正直いまだにきな臭いと思ってるうえに、なんなら幻想のなかにでも迷い込んだ気分です。だから少しも省略せずに、長々と語っていただけませんか」
「面倒なヤツだな……。あとでちゃんと話してやるよ」
「人生は儚く短いものなんでしょ? いま聞かせてください」
「俺は話に熱が入ると、声がでかくなる」
大垣は離れに座る老夫婦にちらりと視線をやった。
「他人に聞かれるとまずい、特殊極まりない話ということですか?」
「そういうことだ」
大垣の発言は、もう一組の客である老夫婦が能力者でないのを暗に伝えていた。
「ただな。ひとつだけ安心材料を提供しといてやる」
大垣は残るワインを一気に飲み干した。
「ウチの会社が能力者たちを利用して莫大な利益を得ようなんて、これっぽっちも考えちゃいない。もちろん実行もしてねぇ。それは信じろ」
「わかりました」
「この国の経済構造はなかなかうまくできていてな。才能さえありゃ、悪事を働くよりも、まともに事業を展開したほうが成功率は高いんだ。だから俺は自らの才能をまっとうな方向にむけてここまでやってきた。そうして多少なりとも財を築き、シェアハウスというものもこしらえた。
嘘だと思うなら、あそこで暇そうにしてる百瀬とかいう巨乳から裏付けを取ってみろ。あるいはピザキッチンで働く、ケツデカ腰くびれ女でもかまわん」
ツトムは百瀬あかねに目をやった。
入店時には気づかなかった豊満な胸が、百瀬あかねの中心に大きくかまえていた。
「もう酒がねぇ。そろそろ店を移るぞ。イタリアじゃなく、イザカヤに行きてぇんだよ、俺は」
大垣は空いたワインボトルを、指でコンと弾いた。
「オーナー、そのまえにひとつよろしいですか」
ツトムも残るワインをあおってテーブルに置いた。
――ぼくもれっきとした能力者です。
ツトムはそう告げようとした。
しかし言葉が胸の奥でつっかえて、すぐにはでてこなかった。
目のまえに座る気さくなオーナーにすべてを打ち明けたかった。
またホールに立つ百瀬あかねやピザキッチンにいる五十嵐真由が、一体どのような能力をもっているのか、いますぐにでも知りたかった。
それでも20年以上も隠してきた真実を告げるには、心の準備が整っていない。
ツトムは目を閉じ、白石ひよりの豊満な胸を思いだそうとした。
しかし心はもともと安定していて、白石ひよりの姿は体育倉庫のとび箱の上にはなかった。
必要なのは心の安定ではなく、真実を告げる勇気であることに気づく。
口ごもるツトムを見つめる大垣はただ黙っていた。
まるで隠しごとを打ち明ける息子に時間を与えてやるように。
その姿を見たことで、ようやくツトムは腹をくくった。
「オーナー。ぼくもれっきとした能力者ですから、このあと居酒屋に移動して、オーナーの魂胆をすべて聞かせてもらおうと思います」
体の震えを自覚しながらも、なるたけ自然な口調で告げた。
胸のなかにある不純物が、外へと流れでていくようだった。
「よし。んじゃすぐに移るぞ。あとであそこの巨乳も合流させるからな」
大垣は百瀬あかねを呼びつけ、会計と二次会の場所を伝えた。
ツトムは立ちあがり、最高の料理を提供してくれたキッチンに視線を送った。
ピザキッチンに立つ五十嵐真由が親しげに手を振っていて、ツトムもそっと手を挙げた。
キッチンにシェフの姿はなく、スーシェフがひとり仕込みをつづけている。
立ち込める蒸気がガラスに貼りついていてその顔はうまく見えなかったが、彼の輪郭や佇まいにツトムは過去の深い記憶を刺激されたような気がした。
「なにボケッとしてんだ、いくぞ」
「あ……はい」
ツトムは大垣のエネルギーに引き込まれるように出口にむかう。
――あなた、本気でタイプよ。だって、さっきから心臓が強く脈うってるんだもの。
洋菓子店の厨房で聞いた思念のような声が、再び脳内に響いては消えた。