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あいす@低浮上
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暗理
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2・5
124
いいねありがとう。゚(゚´ω`゚)゚。
めちゃくちゃやる気出た
1日に3話もあげてるよ私…。
(……本当にぐっすり寝てやがるな)
煌々と白い光が満ちる寝室。
ふかふかの布団の中から、すぐ隣にいる冬弥の寝顔を覗き込んで、オレは小さく口元を緩めた。
不器用な姿のまま疲れ果てたのか、あいつは規則正しい穏やかな寝息を立てている。
(明日の夜、冬弥がいないのは、やっぱりめちゃくちゃ怖ぇけどよ……)
部屋の明かりが肌を刺すように眩しくても、冬弥のこの無防備な顔を見ているだけで、不思議と心臓のバクバクが収まっていくのが分かる。
幼い頃の、あの息が詰まるような路地裏の暗闇は、今でもオレの足元にずっとまとわりついているけれど。
この大きなベッドの上で、冬弥の体温を感じていられる今だけは、その恐怖も遠くへ押しやることができた。
「……おやすみ、冬弥。ありがとな」
愛しい相棒の髪をそっと指先でひと撫でしてから、オレは眩しい光の海の中で、ゆっくりと瞼を閉じた。
(……あいつ、眩しくねぇのかな)
ふかふかの布団に包まれながら、オレは煌々と部屋を照らす天井の明かりを薄目で見上げた。
オレの暗所恐怖症のせいで、この寝室は夜中でもずっと昼間みたいに明るいままだ。
普通の奴なら、こんな環境じゃまともに眠れやしねぇ。
(オレのせいで、冬弥の睡眠を邪魔しちまってるよな……)
大人になっても、あの路地裏の恐怖から抜け出せない情けないオレのせいで、こいつにはいつも無理をさせている。
すやすやと眠る冬弥の寝顔を見つめていると、愛おしさと同時に、申し訳なさが胸の奥をキリキリと締め付けた。
あいつは「気にするな」って、いつもオレが一番欲しい言葉をくれるけれど、本当は少しでも暗くして、ゆっくり体を休めたいはずなのに。
「……わりぃな、冬弥。いつも付き合わせちまって」
明かりを消せない臆病な自分を呪いながら、オレはせめてもの罪滅ぼしのように、冬弥に布団をそっと掛け直した。
「…ふふ、ありがとう彰人」
「……っ! おま、起きてたのかよ!?」
布団を掛け直した瞬間にパッと目が合って、オレは心臓が跳ね上がるほど驚いて声を上げた。
完全に眠っていると思っていた冬弥の、その穏やかな瞳が、真っ直ぐにオレを見つめている。
(……クソ、恥ずかしすぎるだろ、これ)
さっきまで心の中で考えていた申し訳なさや、あいつへの愛おしさを全部見透かされたような気がして、一気に顔が熱くなっていくのが分かった。
照れ隠しに、オレは慌てて布団を首元まで引き上げ、冬弥から少しだけ視線を逸らす。
「っ……起きてるなら言えよ。……いや、その、起こしちまったなら悪い。やっぱり、この部屋、眩しくて寝にくいだろ?」
白熱灯の光に照らされた冬弥の顔を、オレは不安と申し訳なさが混ざった目で見つめ返した。
少しだけ荒っぽい口調になってしまうのは、オレの格好悪いプライドのせいだ。
それでも、繋いだ手から伝わってくる温もりと同じように、冬弥のその優しい眼差しが、オレの心の奥にある暗闇を静かに溶かしていくのを感じていた。
「もう慣れたから全然寝れるぞ」
「……嘘つけ。こんな真っ昼間みたいに明るい部屋で、慣れるわけねぇだろ」
オレは布団を握りしめたまま、わざとぶっきらぼうに言葉を返した。
だけど、冬弥が少しも迷わずに、オレの欲しい言葉を真っ直ぐにぶつけてくれたことが、胸の奥にじんわりと染み渡っていく。
(お前、本当に……優しすぎるんだよ、クソ……)
大人になっても、あの路地裏の恐怖に怯えて電気を消せない情けないオレを、こいつはいつだって丸ごと受け入れてくれる。
「慣れた」なんて、オレに余計な罪悪感を持たせないための、冬弥なりの嘘だって分かってる。
だからこそ、その優しさが嬉しくて、同時にどうしようもないくらい愛おしかった。
「……まぁ、お前がそう言うなら、これ以上は何も言わねぇけどよ。……でも、本当に無理はすんなよ」
少しだけ声を和らげながら、オレは布団の中で、冬弥の手をそっと探して、包み込むように握りしめた。
眩しい光に照らされた部屋の中、繋いだ手の温もりを確かめ合う。
この温かさと、冬弥の言葉があれば、明日一人で迎えるあの薄暗い夕方の帰り道も、きっと耐えられる。
「ほら、明日も早いんだから、今度こそ本当に寝ろ。……おやすみ、冬弥」
オレはもう一度、愛しい相棒の真っ直ぐな瞳を見つめて、少しだけ照れくさそうに笑ってみせた。
「…おやすみ、」
「……っ、」
唇に触れた柔らかい感触に、オレは思わず小さく息を呑んだ。
不意打ちのキスに驚いて、一気に心臓がうるさいくらいの音を立てて跳ね上がり、顔が火を噴きそうに熱くなる。
(お前、寝ろって言った直後に何してんだよ……!)
眩しい光に照らされた部屋の中、目の前にある冬弥の顔は、驚くほど穏やかで優しさに満ちていた。
オレの驚いた顔を見て、あいつは少しだけ満足そうに、愛おしそうに目を細めている。
あー、クソ、本当に調子狂う。
口調は少し荒っぽくなっちまうけど、胸の奥にあるのは、言葉にならないくらいの愛しさだけだった。
「……あぁ。おやすみ」
照れ隠しに布団を少し引き上げて口元を隠しながら、オレは繋いだ冬弥の手を、今度はぎゅっと握り返した。
「……ん、……朝、か」
カーテンの隙間から差し込む眩しい太陽の光に、オレはゆっくりと瞼を開けた。
天井の電気を点けたままだった部屋が、今は本物の朝の光で満たされている。
(……あぁ、よく眠れたわ)
隣を見れば、まだ布団にくるまったままの冬弥が、静かな寝息を立てていた。
昨夜のあの不意打ちのキスのことを思い出して、今更ながら少しだけ顔が熱くなる。
でも、あいつのおかげで、昨日の仕事のイライラも、夜の暗闇への恐怖も、全部引きずらずに朝を迎えることができた。
「おい、冬弥。朝だぞ、起きろ」
オレは布団を少しだけ引っ張りながら、愛しい相棒の肩を優しく揺すった。
まだ少し眠そうに睫毛を震わせるあいつの顔を見ていると、自然と口元が緩んでいく。
今日が終われば、夕方には一人で帰らなきゃいけないあの薄暗い時間が待っているけれど、今のオレの胸には、昨夜冬弥がくれた温もりがしっかりと残っていた。
「……おはよう…」
「おう、おはよう。……まだ眠そうだな、お前」
布団を半分剥ぎ取られたまま、目をこすっている冬弥の頭を、オレは呆れ半分でぽんぽんと叩いた。
寝起きの少しぼんやりしたあいつの顔を見ていると、朝からなんだか調子が狂う。
(……クソ、可愛い寝顔しやがって)
リビングへ向かうためにベッドから立ち上がると、窓の外には真っ青な朝の空が広がっていた。
オレが一番安心できる、光に満ちた時間が始まる。
会社の理不尽な先輩のことや、夕方の一人きりの帰り道のことを考えると、やっぱり胃のあたりが少し重くなるけれど。
「ほら、さっさと着替えてリビング来いよ。トーストとコーヒー、すぐ準備してやるからな」
オレは寝室の電気をパチリと消して、明るい光が差し込む廊下へと歩き出した。
「ん……、…っい”…ッ、!!」
「おいっ、冬弥!? どうした、どこか痛むのか!?」
ベッドから離れようとしていたオレは、背後から聞こえた冬弥の苦しそうな声に、心臓が凍りつくような衝撃を覚えた。
慌てて振り返り、布団の上に膝をついてあいつの顔を覗き込む。
(クソ、何があったんだよ……!?)
さっきまで眠そうに目をこすっていた冬弥が、今は顔を歪めて、どこかを庇うように体を強張らせている。
その尋常じゃない様子に、オレの手のひらから一気に冷や汗が吹き出してきた。
会社の先輩への理不尽な苛立ちも、夕方の暗闇への不安も、冬弥の異変を前にして一瞬で頭から吹き飛んでいく。
オレにとって、こいつが傷つくこと以上の恐怖なんて、この世には存在しない。
「っ……冬弥、しっかりしろ! お腹か? それとも頭か……!? どこが痛いのか、オレに言ってみろ!」
焦りと心配で口調が荒くなってしまうのを抑えられず、オレは冬弥の震える肩を両手でしっかりと掴んで、すがるようにその顔を見つめ続けた。
「こゆび…っ」
「……は? 小指……?」
冬弥の口から出た言葉に、オレは掴んでいた肩からすっと力が抜けていくのを感じた。
大病でも患ったんじゃないかって本気で心臓が止まりそうだったのに、まさかの原因に頭の硬直がゆっくりと解けていく。
(小指って……お前、まさかベッドの角にでもぶつけたのかよ……)
あまりの落差に、呆れと安心が混ざったため息が盛大に口から漏れた。
冬弥は顔を真っ赤にして、毛布の中で自分の足の小指をぎゅっと押さえている。いつもは冷静沈着なくせに、こういう朝の寝起きに信じられないドジを踏むところが、本当にこいつらしい。
「っ……あー、クソ、本気で焦らせやがって! 心臓止まるかと思っただろ!」
少し荒々しい口調で怒鳴りながらも、オレは布団をめくって、冬弥の足を優しく引き寄せた。
ぶつけたらしい左足の小指をそっと指先で確かめる。骨がいってなさそうなのを確認して、ようやく胸のバクバクが完全に収まった。
「ほら、見せてみろ。……赤くなってるだけだな。折れてはねぇよ。ったく、寝起きから何やってんだお前は……」
痛そうに顔をしかめる冬弥の手元をティッシュで拭いた昨日のうどんの件を思い出しながら、オレは呆れ顔のまま、その小さな患部を優しくさすってやった。
「…痛い」
「分かってるよ。痛ぇよな。……悪い、ちょっと我慢しろよ」
顔をしかめて痛がる冬弥を見て、オレはさっきまでの荒っぽい口調を少しだけ和らげた。
さする手を止めずに、じんわりと温めるように大きな手のひらで冬弥の足を包み込む。
(大人になっても、こういうとこホントに危なっかしいんだからな……)
いつもは完璧なくせに、オレの前でだけこういう間抜けた姿を見せるあいつが、どうしようもないくらい愛おしい。
会社の嫌な先輩のことも、夕方のあの薄暗い帰り道の恐怖も、冬弥のドジに付き合っているうちに、頭の隅っこへ追いやられていく。
「これに懲りたら、ベッドから出る時はもっと足元ちゃんと見ろよ。……ほら、少しはマシになったか?」
オレは顔を上げて、すぐ近くにある冬弥の顔を覗き込み、安心させるように優しく笑いかけた。
「…少しは」
「……『少しは』ってなんだよ。まだそんなに痛むのか?」
オレは顔をしかめる冬弥の表情を覗き込みながら、足の小指をさする手の力をさらに緩めて、優しく包み込むように撫でた。
(本気で痛がってやがるな……。マジで折れてねぇよな?)
もう一度、腫れや変色がないか慎重に確認する。
ただ赤くなっているだけなのは確かだし、骨がどうにかなっている様子はない。
いつもの冷静な姿からは想像もつかないくらい、小さくなって痛みに耐えている冬弥の姿を見ていたら、可笑しさと同時に、なんだか無性に甘やかしてやりたいような気持ちが湧き上がってくる。
「ほら、冷やすもん持ってきてやるから、そこでじっとしてろ。……変に動いて、またどっかぶつけんじゃねぇぞ」
オレはそう言い残してベッドから立ち上がると、台所の冷凍庫へ向かうために、朝の光が差し込むリビングへと歩き出した。
「いや…歩けるから多分大丈夫だ」
「おい、待てって! 動くなって言ったろ!」
慌てて立ち上がろうとする冬弥の肩を、オレは少し強めにベッドへ押し戻した。
こういう時、妙に頑固っていうか、遠慮して自分でどうにかしようとするのがこいつの悪い癖だ。
(小指ぶつけた直後にまともに歩けるわけねぇだろ、馬鹿……)
顔をしかめながらも無理しようとする冬弥の姿を見て、オレは呆れ混じりのため息を吐き出す。
でも、そうやって意地を張る姿さえ、オレにとっては愛おしくてたまらない。
会社のクソみたいな人間関係も、今日一人で迎えなきゃいけない夕方の暗闇も、こいつを心配して、世話を焼いている間だけは完全に頭から消えてくれる。
「いいからオレに甘えとけ。大人しく座ってろよ」
オレは冬弥の頭をポンと軽く叩くと、今度こそ保冷剤を取りに台所へと向かった。
「…どうして小指ばっかり」
「……あぁ? 『どうして』って、そりゃお前が周りをちゃんと見てねぇからだろ」
台所から保冷剤を持って戻ってきたオレは、ベッドの上で真剣に悩んでいる冬弥を見て、思わず吹き出した。
(なんでそんな哲学的な顔して小指の心配してんだよ、お前は……)
小指ばかりぶつける理由なんて、不器用で足元を見てないからに決まってる。
そんな大真面目に落ち込むあいつが可笑しくて、愛おしくて、さっきから胸の奥がずっと温かい。
会社の理不尽な先輩のことも、夕方の帰り道の暗闇への恐怖も、冬弥のこの天然な姿を見ているだけで、全部どうでもいい小さなことに思えてくる。
「ほら、冷やすぞ。ちょっと冷てぇけど我慢しろよ」
オレはベッドの端に腰掛け、冬弥の足を引き寄せると、タオルに包んだ保冷剤をそっと小指に当ててやった。
「ん…ありがとう」
「……おう、気にするな。これくらい、いつでもやってやるよ」
保冷剤を冬弥の小指に当てたまま、オレは少し照れくさそうに視線を外した。
タオル越しに伝わってくるあいつの体温が、朝の冷えた空気をじんわりと溶かしていくみたいだ。
(本当に、お前はオレが隣にいないと何やらかすか分かんねぇな……)
いつもは冷静で仕事もできるくせに、オレの前でだけ見せるこういう不器用な姿が、たまらなく愛おしい。
夕方、一人で帰らなきゃいけないあの薄暗い夜道の恐怖が、また少しだけ胸の奥をチクリと刺すけれど、今は目の前のこいつを大事にしてやりたい気持ちの方がずっと勝っていた。
「……よし、もう痛みは引いてきたか? そろそろ朝飯のトースト、焼きに行っていいかよ」
オレは保冷剤を冬弥の手に持たせて、今度こそ立ち上がるために、あいつの真っ直ぐな瞳を覗き込んだ。
「彰人が焼いてるところみる、」
「あぁ? オレが焼いてるところなんて、見て何が面白いんだよ」
そう言いながらも、オレはベッドから立ち上がり、後ろをついてこようとする冬弥の歩調に合わせて、ゆっくりと台所へ向かった。
(小指ぶつけたくせに、本当にじっとしてられねぇ奴だな……)
リビングに差し込む朝の光が、冬弥の寝癖のついた髪を白く照らしている。
トースターに食パンを二枚並べて入れ、タイマーのつまみを回すと、カチカチと静かな音が台所に響き始めた。
オレンジ色のヒーターがじわじわと温まっていくのを、冬弥は隣でじっと見つめている。
ただトーストを焼くだけのなんてことない光景なのに、あいつが隣にいるだけで、世界がすごく穏やかに、優しくなった気がした。
「ほら、すぐ焼けるから。コーヒーでも淹れるか?」
オレはマグカップを二つ棚から取り出しながら、少し口元を緩めて冬弥の顔を覗き込んだ。
「ああ、頼む」
「はいよ、ブラックでいいな」
コーヒーの粉をドリッパーにセットしながら、オレはマグカップを二つ並べた。
カチリとテレビのリモコンを押す音が聞こえ、明るいリビングに賑やかなBGMとナレーションの声が流れ始める。
朝早くからやっている、バラエティとニュースが合体したような、面白い番組。
『――さあ、続いてのコラムはこちら! 日常のミステリー、なぜか足の小指ばかりを家具の角にぶつけてしまう問題です!』
『あー、あれ痛いですよね!』
『実はこれ、脳が認識している自分の身体の幅と、実際の小指の位置に「ズレ」が生じているからなんです。脳が小指をちょっとだけ無視しちゃってるんですねぇ』
「……ふっ、ははっ!おい冬弥、見ろよこれ!まんまお前のことじゃねぇか」
テレビから流れてくるタイムリーすぎる解説に、オレは堪えきれずに大爆笑してしまった。
お前がさっき大真面目に悩んでた答えが、まさかこんなすぐテレビでやってるなんてな。
(脳が小指を無視って……どんだけ間抜けた理由だよ)
ケラケラと笑いながらコーヒーにお湯を注ぐと、香ばしい香りが湯気と一緒に広がっていく。
会社での理不尽な先輩への苛立ちも、夕方に一人で帰る暗闇への恐怖も、冬弥と過ごすこの可笑しくて温かい朝の時間の中に、完全に溶けて消えていった。
「ほら、テレビの言う通り、お前は脳みそに小指の存在を忘れられてんだよ。……マヌケだな、お前」
笑いすぎて少し涙目のまま、オレはコーヒーの入ったマグカップを、隣で呆然としている相棒の前に差し出した。
「…それならどうして、存在感のない足の小指なんて生やしたんだ?」
「……はぁ? なんでって……そんなのオレに聞かれても知るかよ」
冬弥があまりにも大真面目な顔で、進化の歴史に疑問を投げかけるようなことを言うもんだから、オレは呆れて肩をすくめた。
(存在感がないって……そこまで小指のこと嫌うなよ)
チーン、とトースターから小気味いい音が響き、こんがりと焼けたトーストの香ばしい匂いが台所に広がる。
オレは皿を取り出してトーストを移しながら、隣でまだテレビをじっと睨んでいる冬弥の横顔を盗み見た。
会社での理不尽な先輩の顔も、夕方に一人で歩かなきゃいけないあの薄暗い夜道の恐怖も、冬弥のこの突飛で平和な疑問を聞いているうちに、本当にどうでもよくなってくる。
「そんなくだらねぇこと考えてねぇで、ほら、トースト焼けたぞ。さっさと食わねぇと冷めちまう」
皿をテーブルに並べながら、オレは冬弥の前に椅子を引いてやった。
朝の眩しい光に包まれたこの部屋で、こいつとこうして下らない話をしながら朝飯を食う。
この時間がオレにある限り、明日の暗闇だって、きっと怖くなんてない。
「ああ、ありがとう。いただきます」
「おう、冷めねぇうちに食えよ。……いただきます」
オレも椅子に腰掛け、サクサクに焼けたトーストを一口かじった。
口いっぱいに広がる香ばしさと、隣から漂うコーヒーの香りが、体を目覚めさせていく。
(……やっぱ、こいつと食う朝飯が一番落ち着くわ)
テレビからはまだ小指の特集の賑やかな声が聞こえている。
会社へ行けば、またあの理不尽な先輩に会うかもしれない。
夕方になれば、冬弥のいない、あのゾッとするほど恐ろしい暗闇の帰り道が待っている。
それでも、今こうして眩しい朝の光の中で、冬弥が隣で大人しくトーストを口に運んでいる姿を見ているだけで、不思議と「なんとかなるか」って思えてくるんだ。
「なぁ、冬弥。今日の夜、お前が帰ってくるまで、オレ、ちゃんと部屋の電気全部つけて待ってるからよ」
コーヒーを一口すすり、オレは少しだけ声を和らげて言った。
一人で帰る夕方は怖いけれど、この温かい場所に帰ってくれば、またこいつに会える。
その事実だけが、今日のオレを支える一番の力だった。
「…そうしてくれ。俺も心配だから」
「心配すんなって。お前が夕方のうちに帰れって言ってくれたんだから、ちゃんとそうするわ」
トーストの最後の一片を口に放り込み、オレは冬弥を安心させるように、少しぶっきらぼうに笑ってみせた。
(あいつ、自分の仕事が遅くなるっていうのに、最後までオレのことばっか……)
冬弥のその真っ直ぐな優しさが、胸の奥にじんわりと広がっていく。
一人で歩く薄暗い夕方の道は、想像するだけで今も背筋が凍るほど怖い。あのおじさんの声が、路地裏の冷たいコンクリートの感触が、暗闇の中からオレを引っ張り込もうとするかもしれない。
だけど、この明るい家に帰ってくれば、電気を全部つけて待っていれば、また冬弥がここに戻ってきてくれる。
そう思えるだけで、喉の奥に張り付いていた恐怖が、少しずつ解けていくのが分かった。
「……だから、お前は自分の仕事に集中してこい。小指、またどっかにぶつけんじゃねぇぞ」
コーヒーを飲み干して立ち上がり、オレは空になった皿をシンクへと運んだ。
窓の外には、雲一つない真っ青な朝の空が広がっている。
今日を乗り越えて、またこの温かい場所でこいつと笑い合うために、オレは出勤の準備を始めるべく、リビングを後にした。
「ッい”……っ、!!」
「おいっ、冬弥!? またかよ!?」
シンクに皿を置いた瞬間、背後から聞こえたあの悲鳴に、オレは弾かれたように振り返った。
案の定、冬弥が今度は反対側の足を押さえて、ベッドの時と同じように顔を真っ青にして悶絶している。
(お前、今度は右足かよ! どんだけ学習能力ねぇんだよ……!)
手前にあった皿を慌てて避けて、オレは床にへたり込んだ冬弥の元へ駆け寄った。
会社の理不尽な先輩への苛立ちも、夕方に一人で帰らなきゃいけないあの薄暗い夜道の恐怖も、こいつのこの信じられないドジの連続のせいで、もう完全にどこかへ吹き飛んじまった。
本気で痛がっている冬弥には悪いけど、呆れを通り越して、もう笑うのすら堪えきれねぇ。
「っ……あー、クソ、笑わせんなって! ほら、今度はどっちだよ、見せてみろ!」
少し荒々しい口調で言いながらも、オレは冬弥の右足を優しく引き寄せて、毛布の時と同じように大きな手のひらで包み込んでやった。
テレビの音が虚しく響く台所で、オレは不器用すぎる相棒の頭を、愛おしさを込めて思いきりくしゃくしゃに撫で回した。
「う…、…痛い……。」
「ほら、だからじっとしてろって言っただろ。…すぐ痛いの引くからな」
オレは床に座り込んだまま、冬弥の右の小指を大きな手のひらでそっと包み込み、体温を分けるように優しくさすった。
(両方の小指ぶつけるとか、マジで脳みそに無視されてんじゃねぇかよ……)
本気で涙目になって痛みに耐えている冬弥の横顔が、可笑しくて、愛おしくて、さっきから胸の奥がずっと温かい。
会社での理不尽な先輩への苛立ちも、夕方に一人で歩かなきゃいけないあの薄暗い夜道の恐怖も、こいつのこの不器用な姿を見ていたら、本当にどうでもよく思えてくる。
「今度はこっちも冷やしてやるからな。……ったく、今日はお互い前途多難だな」
オレはもう一度立ち上がると、冷凍庫から新しく保冷剤を取り出して、痛がる相棒の元へと急いだ。
「…俺ばっかり、」
「それはお前が、さっきのテレビをこれっぽっちも聞いてねぇからだろ」
オレは新しい保冷剤をタオルに包みながら、床で本気で落ち込んでいる冬弥の前にしゃがみ込んだ。
(両方の小指を綺麗に一日でぶつける奴なんて、お前くらいしか知らねぇわ……)
さっきテレビが言ってた『脳が小指を無視してる』って話をそのまんま体現してるあいつが、可笑しくて、愛おしくて、もう胸がいっぱいだ。
夕方のあの不気味な暗闇の帰り道も、会社のクソみたいな先輩のことも、冬弥がこうして朝から全部オレの頭から引っぺがしてくれた。
「ほら、じっとしてろ。冷てぇぞ。……ったく、お前がそんな調子じゃ、オレが夕方一人で帰る心配より、お前が会社で五体満足で過ごせるかの方がよっぽど心配だわ」
冷たい保冷剤を右の小指にそっと当ててやりながら、オレは呆れた顔のまま、愛しい相棒の顔を覗き込んで優しく笑った。
「…あ、時間がまずい」
「……うわ、マジか! おい、早く準備しろ!」
壁の時計に目をやった瞬間、オレは保冷剤を握ったまま飛び起きた。
冬弥の小指の世話に追われている間に、針は出勤ギリギリの時間を指している。
(クソ、こいつのドジに付き合ってたら完全に忘れてた……!)
急いで冬弥の分のコートを引っ掴み、自分のバッグを肩にかける。
会社の理不尽な先輩への憂鬱も、夕方一人で帰らなきゃいけないあの薄暗い夜道の恐怖も、今は完全に時間への焦りに塗りつぶされていた。
「ほら、痛むならオレが肩貸してやるから! 駅まで急ぐぞ!」
玄関へ向かって少し引きずり気味に歩き出す冬弥の腕を、オレは優しく、だけどしっかりと引っ張って、朝の光が待つ外の世界へと力強く踏み出した。
next…♡45
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