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「……」
フェアシュヴィンデ領にある大聖堂で、アルージエは祈りを捧げていた。
シャンフレックも付き添いで来ている。
彼はひたすらに瞑目して跪く。
一応、シャンフレックもヘアルスト王国の国教であるフロル教を信奉しているが……あくまで形だけだ。政治的な利用をしているだけだった。
「……よし」
「終わったの?」
「ああ。祈りは欠かせない。別に教会やカテドラルで祈る必要はないが、そういう習慣がついているんだ」
祈ったからと言って神の声が聞けるわけではないし、そもそもフロル教徒の操る奇跡が神に由来するものとは限らない。
しかし事実として、祈りが奇跡を引き起こす現象が生じていた。
だからアルージエは習慣として行っているだけ。
「まもなくルカロから迎えが来る。……きみともお別れだな」
今日、アルージエの迎えが到着する予定だった。
この聖堂を待ち合わせの場所として。
正直に言えば、シャンフレックも寂しかった。
いつも一人だった日々が色づいたような気がしていたのだ。
以前から婚約者のユリスはほとんど来なかったし、来たとしても仕事の押しつけか、金の無心が用件だった。
アルージエと過ごした日々は忘れがたいものになる。
「そうね。でも……あなたは私をルカロに招きたいと言ったのでしょう? 状況が許せば、ルカロに留学に行ってまた会えるかもしれないわ」
「ああ。だが、きみは……きっと僕と共にいたくないだろう」
「どうしてそう思うの?」
意外な言葉が飛び出た。
アルージエと一緒にいることは楽しい。
だが、彼はシャンフレックが自分を否定的に捉えていると思い込んでいた。
「もしかして、婚約を破棄したから? 私があなたを嫌いだと思ってるの?」
「……違うのか?」
思わずシャンフレックは笑ってしまいそうになる。
たしかに婚約は断ったが、それは自分が公爵令嬢だから。
自分が何のしがらみもない立場だったら……すぐに首肯していただろう。
「私の選択は、私のものだけではない。誰を婚約者とするかによって、公爵領に住む人々の明暗も分かれてしまうわ。たしかにアルージエは世界最高の権力者だけれど……だからこそ、フェアシュヴィンデ家と結びつけば国家間のパワーバランスが崩れてしまう」
「……なるほど。ヘアルスト王国がシャンフレックを手放すことをよしとしないのか。フェアシュヴィンデ家ほどの大勢力に離反されれば、王家の立場が危ういからな」
公爵という位は、王家に匹敵する勢力を抑えておくためのもの。
少しでも王家が弱みを見せれば、反乱する恐れがある。
最悪、公爵家と王家の戦争になってしまう。
別に教皇領と王国の関係性が悪いわけではない。
だが、フェアシュヴィンデ家と関係性の悪い諸侯もいるのだ。
彼らはフェアシュヴィンデ家が教皇領と結びつくことを、何としても防ごうと画策するだろう。
「つまり、政治的事情を何とかすればいいんだな?」
「そう簡単にどうにかできればいいけどね」
「ふっ……そうだな」
アルージエは不敵に笑い、窓の外を見た。
真っ白な馬車が彼方より迫っている。
「あれはルカロの馬車?」
「そうだ。どうやら迎えが来たようだな」
何とも仰々しく、高潔さを感じさせる一団だ。
教皇の紋章が描かれた大きな馬車と、無数の白馬にまたがった騎士。
俗に神殿騎士と呼ばれる者たちだろう。
領民たちは何事かとその光景を眺めていた。
「僕は行くよ。最後に、きみが僕を嫌いではないとわかって安心した」
「……また、会いたいわ」
決してアルージエが嫌いではない。
むしろ逆だった。
アルージエがシャンフレックに好意を寄せているように、シャンフレックもまた。
「必ずまた会おう。そのときは……」
シャンフレックの手が握られる。
白いアルージエの手が、彼女の手に触れていた。
シャンフレックも離したくないと、彼の手を握り返す。
ふと手のひらに固いものが触れた。
「このペンダントを渡しておこう。どうか僕のことを忘れないでほしい」
赤い宝石が埋め込まれたペンダント。
金色の鎖がきらりと光る。
シャンフレックはペンダントを握り締めた。
「忘れないわ。絶対に……」
次第に近づく車輪の音。
やがて聖堂の前に馬車が止まった時、アルージエは静かにシャンフレックの手を離した。