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こうもり@低浮上
3,533
yozakura🌸
222
翌朝のスタジオは、いつも通り少しだけ冷えていた。
まだ全員揃いきっていない時間。
床に置かれたペットボトル、隅に寄せられた荷物、薄く流れる音源。
鏡に映る自分たちの姿が、やけに現実的に見える。
タイキはいつもより少し早く来ていた。
来てしまった、の方が近いかもしれない。
昨夜、ホテルに戻ってからほとんど眠れなかった。
目を閉じるたびに思い出すのは、ルイの言葉と、ステージの視線と、あの化粧室の空気。
それでも、朝になれば仕事だ。
スタジオに入れば切り替えられる。
そう思っていた。
「おはよ」
後ろからカノンの声がして、タイキは反射で振り返る。
「……おはよ」
「早くね?」
「それ、お前もじゃん」
カノンが笑いながら荷物を置く。
その何気ないやり取りに少しだけ救われる。
普通だ。
ちゃんと、普通にできる。
続いてアダム、ゴイチも入ってきて、スタジオの空気が少しずつ馴染んでいく。
まだ眠そうな声。
ストレッチを始める音。
軽い雑談。
タイキはそれに混ざりながら、でも意識だけはひとつの気配を探していた。
――まだ来てない。
そう気づいた瞬間、自分で自分にうんざりする。
なんで探してるんだよ。
別に、来るのが遅いだけかもしれないのに。
そう思った矢先、スタジオの扉が開いた。
「おはよ」
ルイだった。
それだけで、タイキの呼吸が一瞬止まる。
何もなかったみたいな顔。
いつものトーン。
いつものルイ。
なのに昨日までと同じ“いつも”には、どうしても見えなかった。
「おはよー」
カノンが軽く手を上げる。
「珍しく最後じゃん」
「いや、全然普通」
ルイは肩をすくめて笑って、そのまま荷物を端に置いた。
タイキも、言わなきゃと思った。
「……おはよ」
一拍遅れて出た声は、自分で思ったより普通だった。
ルイは一度だけこっちを見る。
「おはよ、タイキ」
それだけ。
温度のない言い方ではなかった。
でも、近づいてこない。
それ以上もない。
タイキはわずかに眉を動かした。
昨日のルイなら、目が合っただけでも何かを残してきそうだった。
視線とか、口元とか、空気とか。
なのに今は、拍子抜けするくらい普通だ。
いや、違う。
普通を装って、ちゃんと距離を取ってる。
そのことに気づいた瞬間、タイキの胸の奥がざわつく。
⸻
軽いアップが始まる。
いつもの並び。
いつもの流れ。
体を起こして、肩を回して、足を伸ばしていく。
ルイはみんなと同じように動いていた。
カノンが何か言えば笑うし、ゴイチのボケにも普通に返す。
アダムの一言にも、いつも通り薄く笑って受ける。
でもタイキには、ほとんど何も向けてこなかった。
わざとだ、と分かるほど不自然ではない。
けれど、一番よく分かるのはタイキ自身だった。
昨日までなら自然に隣へ来ていた距離。
ストレッチの時に軽く肩が触れるような位置。
音源確認の時に同じ画面をのぞき込む近さ。
それが、今日はひとつもない。
「……」
タイキはストレッチをしながら、ちらりとルイを見る。
ルイは鏡越しに視線に気づいたみたいだった。
でも、そのまま何事もないように目を外した。
それが、妙に刺さる。
昨日あんなことを言っておいて。
本気だって、忘れるなって、自分で言ったくせに。
なんで今日は、そっちが何もなかったみたいな顔してるんだ。
胸の中に小さな苛立ちが灯る。
でもその苛立ちの正体が、寂しさに近いことを認めたくなくて、タイキは口を閉ざした。
⸻
レッスン前の軽い確認が始まる。
フォーメーションの話になって、タイキは反射みたいにルイの方へ歩いた。
立ち位置の話をするとき、二人で詰めた方が早い場面なんていくらでもある。
いつも通りの動き。
誰も気にしないような自然さで、ルイの隣に立つ。
「ここの入りさ、昨日ちょっと被ってたから――」
言いかけたところで、ルイがこっちを見た。
一瞬だけ。
たった一瞬。
でも、その目で十分だった。
来るな。
声には出ていない。
表情もほとんど変わっていない。
なのに、その視線だけで分かった。
タイキの喉が詰まる。
ルイはすぐに視線を外して、少しだけ体の向きを変えた。
それだけで、二人の間に見えない線が引かれたみたいだった。
カノンは気づいていない。
ゴイチも、たぶん今の一瞬の意味までは取っていない。
アダムだけが、鏡越しに一度だけこっちを見た気がした。
でも、タイキには十分すぎるほど伝わった。
拒否された。
触れてない。
言葉もない。
なのに、こんなにはっきり拒まれることってあるんだ、と思う。
「……そっか」
タイキはそれだけ言って、一歩引いた。
声が平坦になったのは、たぶん正解だった。
誰にも不自然に聞こえないように。
何でもないみたいに見えるように。
でも内側では、思った以上にダメージが大きかった。
⸻
音が流れて、リハが始まる。
仕事に入れば、身体は勝手に動く。
そこは何も変わらない。
立ち位置も、呼吸も、角度も、全部覚えてる。
なのに今日は、普段なら噛み合うはずのものが少しずつズレる。
ルイが合わせてこないわけじゃない。
むしろ仕事としては完璧に合わせてくる。
フォーメーションも、目線の方向も、タイミングも、何ひとつ崩さない。
ただそれ以上が、ない。
曲と曲の間。
立ち位置を移動する瞬間。
マイクを下ろして息を整えるわずかな隙。
本来ならそこにあるはずの、二人だけの呼吸みたいなものが、今日は全部切られていた。
タイキはそれがたまらなく落ち着かなかった。
(なんだよ、それ……)
踊りながら、何度も思う。
昨夜、本気だって言ったのはそっちだろ。
こっちはまだ整理もできてないのに。
なのに急に距離置くとか、意味分かんねぇよ。
曲終わり、短い休憩が入る。
「暑っ」
カノンが床に座り込んでタオルを首にかける。
「今日、妙にハードじゃない?」
「お前が昨日はしゃぎすぎたんだろ」
ゴイチがペットボトルを投げてよこす。
「それは否定しない」
カノンが笑う。
その空気に乗るように、タイキも自然な顔でルイの方へ寄った。
ほんの数歩。
水を取りに行くついでみたいな距離。
昨日までなら、それくらいは何でもなかった。
「ルイ、それ飲むならこっちの冷えてるやつ――」
言いながら視線を向けた、その瞬間だった。
また、目が合う。
今度はさっきよりはっきりしていた。
冷たいわけじゃない。
怒っているわけでもない。
でも、それ以上こっちへ来るなという静かな線引きだけがあった。
ルイは何も言わず、自分で別のペットボトルを取った。
「平気」
短く、それだけ。
タイキの手が止まる。
たった二文字なのに、距離にすると何メートルもあった。
「……そ」
言って、タイキは差し出しかけた手を下ろした。
胸の奥がじわっと熱くなる。
恥ずかしさなのか、苛立ちなのか、自分でも分からない。
そのやり取りに気づいたのか、カノンが何気なく口を挟む。
「珍し。ルイが自分で取るの」
「いつも誰かに甘えてんのに」
「それ言い方悪くない?」
ルイが笑う。
「俺そんな人使い荒くないでしょ」
「いや、自然に人使う」
アダムが壁にもたれたまま淡々と言う。
「アダムまで?」
ルイが肩を落とす。
いつもの空気。
みんなの前では、ちゃんといつも通りだ。
その“ちゃんと”が、タイキにはきつかった。
⸻
二回目の通しが始まる前。
タイキは鏡の前で前髪をかき上げながら、ちらりとルイを見た。
ルイは少し離れた場所でストレッチをしている。
行こうか、と思った。
いや、違う。
行く理由ならいくらでも作れる。
振りの確認。
立ち位置の相談。
昨日の打ち上げのノリを軽く引っ張るような冗談だってできる。
メンバーの前なら、むしろその方が自然だ。
そう思って、足が半歩だけ動く。
「ルイ、次のAメロさ――」
呼んだ瞬間、ルイが顔を上げた。
その視線に、タイキの言葉が止まる。
まただ。
静かで、強い目。
誰にも分からないくらい僅かな変化なのに、タイキには痛いほど分かる。
今はやめろ。
こっちに来るな。
それ以上は無理だ。
そう言われた気がした。
タイキの喉がきゅっと縮む。
ほんの一秒もなかったはずの目線のやり取りなのに、それだけで足が止まった。
ルイはすぐにいつもの顔に戻る。
「Aメロ?」
自然な声で返してくる。
それが余計にきつい。
「……いや、やっぱ後でいい」
タイキは視線を外して言った。
「了解」
ルイはそれ以上追わなかった。
会話としては、何もおかしくない。
周りから見れば、ごく普通のやり取り。
でもタイキの中では、さっきので全部終わっていた。
もう分かった。
ルイは今、自分から距離を取ってる。
わざと。
はっきりと。
誰にもバレないやり方で。
昨日までなら、少し寄れば受け止めてくれたはずの距離。
それを今日は、自分から閉じている。
そこまで考えて、タイキの胸の奥に急に嫌な想像がよぎる。
もしかして、昨日のことを言ったのを後悔してる?
本気だって言ったくせに、今日になって怖くなった?
その考えにたどり着いた瞬間、嫌な熱が腹の底に落ちた。
違うかもしれない。
でもルイは説明しない。
こっちを見ても、何も言わない。
ただ距離だけ置いていく。
それが、たまらなくしんどい。
⸻
通しの最後、音が止まる。
みんな息を切らしながら床に座ったり、鏡の前に集まったりしている。
カノンが「水、水」と騒いでいて、ゴイチが呆れながらボトルを渡す。
アダムは静かにタオルで首筋を拭いていた。
タイキは少し離れた位置で、しゃがみ込んで靴紐を触るふりをした。
ほどけてなんかいないのに。
視界の端で、ルイが笑っているのが見える。
みんなに混ざって、普通に。
なんなんだよ、と心の中で吐き出す。
こっちは昨日からずっと振り回されてる。
本気だって言われて。
忘れるなって言われて。
視線ひとつで心臓掴まれて。
なのに今日のルイは、自分だけを遠ざける。
それが悔しい。
悔しいし、痛い。
痛いのに、追いかけたくなる自分がもっと厄介だった。
その時、不意に視界に影が落ちた。
顔を上げると、アダムが立っていた。
「……なに」
タイキがぶっきらぼうに言う。
アダムは一瞬だけルイの方を見て、それからタイキを見た。
「今日、珍しく空気重い」
淡々とした言い方。
「別に」
即答した声が少し強すぎて、自分でも失敗したと思った。
アダムはそれ以上突っ込まない。
ただ、短く言う。
「そう」
それだけで去っていく。
余計なことを言わないのが、逆にこたえた。
気づかれてる。
全部じゃなくても、少なくとも何かは。
タイキは奥歯を噛んだ。
⸻
練習終わり。
荷物をまとめて、各々帰る準備を始める。
いつもならこの流れのどこかで、ルイが軽く肩をぶつけてきたり、タイキが先に何か言ったりする。
小さなやり取り。
積み重なった、当たり前。
でも今日はない。
最後まで、ルイは距離を保ったままだった。
「じゃ、おつかれ」
ゴイチが先に声をかける。
「明日もよろしく」
「おつかれー」
カノンも続く。
アダムは軽く手を上げるだけだった。
ルイも、みんなと同じように「おつかれ」と言った。
タイキにも、ちゃんと向けられた。
でもそれだけ。
一瞬、目が合う。
昨日みたいな熱はない。
今朝みたいな拒絶も、もうない。
ただ、何かを堪えるような静けさだけがあった。
その静けさに、タイキは逆に息が詰まる。
ルイの方が先に目を外して、扉へ向かう。
引き止める理由なんてない。
みんなの前だ。
ここで何か言えるわけもない。
なのに、口が勝手に開いた。
「……ルイ」
呼んでしまった声は、自分で思ったより低かった。
ルイが足を止める。
振り返る。
カノンとゴイチがまだ近くにいる。
アダムは少し離れた場所で荷物を持っていた。
誰の前でも、変なことは言えない。
だからタイキは、一瞬だけ言葉を失った。
ルイは待たない。
ただ静かに、タイキを見た。
その目がまた、昨日とは違う意味で苦しい。
助けてもくれない。
拒絶もしない。
でも踏み込ませてもくれない。
結局タイキは、当たり障りのない言葉しか出せなかった。
「……明日の入り、何時だっけ」
ルイはほんの一瞬だけ目を伏せる。
それから何でもない声で答えた。
「十時」
「……そっか」
「うん」
短い会話。
それだけ。
ルイはそのまま「じゃあね」と小さく言って、今度こそ出ていった。
扉が閉まる。
その音が、思ったより重く響いた。
タイキはしばらく立ったまま動けなかった。
胸の中には、言えなかった言葉だけが残っている。
なんで避けるんだよ、とか。
昨日のこと、なかったことにすんなよ、とか。
本気って言ったのはそっちだろ、とか。
でも本当は、たぶんもっと単純だった。
そんな目で拒否されると、追いかけたくなる。
それを自覚した瞬間、タイキは小さく息を呑む。
だめだ、と思う。
思うのに、もう遅い気もした。
離れていくルイの背中を思い出す。
自分から引いたくせに、どこかで傷ついてるみたいな静かな横顔も。
あの距離は、たぶんルイが自分を守るためのものだ。
昨日、本気だと言ってしまったから。
これ以上タイキに踏み込まれて、曖昧にされるのが怖いのかもしれない。
そこまで考えてしまって、タイキは苦く眉を寄せた。
「……ずるいだろ、そんなの」
ぽつりと落ちた声は、誰にも届かない。
追いかけたいのに。
追いかける理由は、まだ言葉にならない。
でも今日一日で、ひとつだけ分かってしまった。
ルイに距離を置かれると、自分は思った以上に困る。
それはただの親友相手に抱く感情じゃない。
そんなこと、気づきたくなかったのに。
スタジオの鏡に映る自分は、ひどく分かりやすい顔をしていた。
スタジオを出たあとの夜風は、思ったより冷たかった。
昼間あれだけ動いたはずなのに、体の熱はもう残っていない。
なのに胸のあたりだけが、ずっと妙にざわついている。
タイキはバッグの紐を肩にかけ直して、少し早足で駅までの道を歩いた。
頭の中では、今日のスタジオの空気が何度も繰り返されている。
ルイの視線。
言葉にしない拒絶。
近づこうとした時だけ引かれる距離。
思い出すたび、胸の奥がちくちくした。
「……なんなんだよ、ほんと」
小さく漏らした声は、車の音に紛れて消える。
あんなに本気みたいなことを言っておいて。
自分ばっかり揺らしておいて。
今日になったら急に距離を取るなんて、勝手すぎる。
そう思うのに。
最後に目が合ったときのルイの静かな顔まで思い出してしまって、単純に腹を立てきれない自分が余計に面倒だった。
信号待ちで立ち止まる。
ぼんやり光る赤を見上げた時、ポケットの中でスマホが震えた。
びくっと肩が揺れる。
こんなタイミングで連絡してくる相手なんて、限られてる気がして。
嫌な予感と、少しだけ期待してる自分の両方にうんざりしながら画面を見る。
表示された名前に、呼吸が止まった。
ルイ
心臓がどくんと大きく鳴る。
数秒、画面を見つめたまま動けなかった。
開きたくない。
でも開かない方がもっと気になる。
指先が少しだけ迷って、それからタップした。
届いていたのは、短いメッセージだった。
『今日、ごめん』
それだけで、胸の奥が揺れる。
謝るんだ、と思った。
あんなふうに距離を取っておいて、何も言わずに終わらせるつもりじゃなかったんだと分かっただけで、張っていたものが少し緩む。
けれど、その続きがすぐに目に入って、タイキはその場で固まった。
『あの感じ、タイキにとっては嫌だったよな』
『避けたいわけじゃなかった』
『昨日あんなこと言ったあとで、普通に近くにいたら、俺の方が無理だった』
「……っ」
息を呑む。
信号が青に変わったことにも気づけないまま、タイキは立ち尽くした。
ルイの言葉が、頭の中でゆっくり意味を持ち始める。
避けたいわけじゃなかった。
俺の方が無理だった。
その一文が、昼間の全部を違う色に変えていく。
拒絶じゃなかった。
嫌になったわけでも、後悔したわけでもなかった。
ただ、ルイも余裕がなかっただけ。
それが分かった瞬間、昼間ずっと胸に引っかかっていた棘みたいなものが、少しずつ形を変えていく。
痛かったのに。
苦しかったのに。
それが今は、じんわり熱い。
またメッセージが震える。
『うまくやれなくてごめん』
『でも、タイキが嫌いになったとか、そういうのじゃ絶対ないから』
タイキは思わず立ち止まったまま、画面を強く握りしめた。
だめだろ、そんな言い方。
昼間あんな顔で拒んでおいて。
それなのに今さら、こんなふうにまっすぐ優しい言葉を送ってくるなんて。
ずるい。
視界の端を人が通り過ぎていく。
後ろから来た人に軽く避けられて、タイキははっとして歩道の端へ寄った。
でも心臓は、さっきよりずっとうるさい。
画面を見下ろす。
短い文章のはずなのに、どこを読んでもルイの声で聞こえる。
昼間の静かな視線とも、化粧室での低い声とも違う、やわらかい温度。
『無視されたみたいでしんどかったら、ごめん』
『タイキが普通に話しかけてくれたの、ちゃんと嬉しかった』
『それなのにあんな反応しかできなくて、ほんとごめん』
タイキはその場で目を閉じた。
嬉しかった。
その一言が、変なくらい胸の奥に残る。
昼間、自分が何度もルイの方へ行こうとしたこと。
何気ないふりをして、いつも通りでいようとしたこと。
あれをちゃんと見ていたんだと思ったら、息が詰まる。
しかもそれを、嬉しいなんて言う。
「……なんだよ、それ……」
誰に向けるでもなく呟く。
声はかすれていた。
画面を閉じることができない。
読み返すたびに、胸の奥が熱くなっていく。
昼間のルイは、近づくなって目をしていた。
なのに今のルイは、傷つけたことを気にして、ちゃんと言葉を選んで、タイキがしんどくなかったか確認してくる。
そのギャップが、だめだった。
強引で。
自分勝手で。
勝手にキスして。
本気だって言って。
それなのに、こういうところだけ妙に優しい。
ちゃんと傷つけたかもしれないって分かって、謝ってくる。
タイキの気持ちを勝手に決めつけずに、でも逃げないで言葉をくれる。
そんなの、気づくに決まってる。
「……好きみたいじゃん、そんなの……」
声に出した瞬間、自分で固まった。
今、なんて言った。
タイキはゆっくり顔を上げる。
駅前の光がにじんで見える。
違う。
違うはずだ。
まだそこまではっきりしてない。
昨日からずっと振り回されてるだけかもしれない。
相棒にあんなことされたら、誰だって意識する。
そういう話かもしれない。
なのに。
さっきのメッセージを読んだ時。
胸の奥で一番先に浮かんだのは、安心だった。
嫌われてないとか。
後悔してないとか。
避けたかったわけじゃないとか。
それを知って、こんなにほっとする理由なんて、ひとつしかない。
タイキはまた画面を見る。
最後の一通が、今届いた。
『返信いらない』
『ただ、ちゃんと伝えたかっただけ』
『帰り、気をつけて』
それを読んだ瞬間、タイキの喉がきゅっと締まる。
返信いらない、なんて。
追い込まないようにしてるのが分かる。
ちゃんと伝えるだけ伝えて、あとはタイキに預けるつもりなんだと分かる。
その距離の取り方まで優しくて、どうしようもなかった。
昼間、自分を守るために引いたルイ。
でもそのまま終わらせず、夜になってちゃんと謝るルイ。
本気のくせに、押しつけるだけじゃないルイ。
全部つながった瞬間、タイキはもう言い逃れができなくなる。
好きかもしれない、じゃなかった。
もうたぶん、かなり好きだ。
だからあんな視線で拒まれてしんどかった。
だからメッセージひとつでこんなに救われた。
だから、優しくされるだけで苦しい。
「……うわ……最悪……」
そう呟いて、片手で顔を覆う。
全然最悪じゃないくせに、そうとしか言えなかった。
だって認めたくない。
認めたら、もう今までのままではいられない。
相棒として隣にいるだけじゃ足りなくなる。
ルイが言っていた“本気”の意味も、全部受け止めることになる。
怖い。
でも、嫌じゃない。
その“嫌じゃない”が一番危ない。
ホームへ向かう階段を上りながら、タイキは何度もスマホを握り直した。
返信いらないと言われている。
だからこのまま何も返さなくてもいい。
でも返したい。
何か言わないと、今日のこの熱を抱えたまま眠れない気がした。
けれど、何を返せばいいのか分からない。
大丈夫。
気にすんな。
こっちこそごめん。
そんな無難な言葉で済ませられる気もしない。
本当は聞きたいことが山ほどある。
なんでそんなに優しいんだよ、とか。
昼間あんな顔したくせに、とか。
こっちがどれだけ振り回されてるか知ってるのか、とか。
でも、そのどれも一番言いたいことではない。
一番言いたいのは、きっと別だ。
そんなふうにされると、もっと好きになる。
そこまで思考がいってしまって、タイキは慌てて首を振った。
「……無理、無理……」
小声で自分に言い聞かせる。
ホームの端、風が吹き抜ける場所で立ち止まる。
電車が来るまでの短い時間。
周りには人がいるのに、自分だけ変に世界から切り離されたみたいだった。
画面を開く。
メッセージ入力欄が白く光る。
打っては消して、また打って。
結局、残ったのはたった一行だった。
『こっちこそ、昼変な空気にしてごめん』
そこで指が止まる。
まだ足りない。
でも、これ以上書いたら何かが漏れそうで怖い。
数秒見つめてから、タイキはもう一文だけ足した。
『ちゃんと伝えてくれてありがと』
それだけ。
それだけなのに、送信ボタンを押す指先が少し震えた。
メッセージが送られる。
画面の上で小さく整列した文字を見て、タイキは大きく息を吐いた。
すぐに返信は来ない。
それが逆にありがたかった。
今ここでまた何か来たら、本当に耐えられない。
電車がホームに滑り込んでくる。
風が強くなって、前髪が揺れた。
乗り込んで、ドア横に立つ。
窓に映った自分の顔は、ひどく分かりやすかった。
少し疲れていて。
少し赤くて。
でもどこか、もう隠しきれていない。
タイキはスマホを胸元で握る。
昼間のしんどさは、まだ消えてない。
昨日のキスだって、簡単に整理できるわけじゃない。
これからどうするかなんて、全然分からない。
それでも、ひとつだけはっきりしてしまった。
ルイに拒まれると苦しい。
ルイに優しくされると、もっと苦しい。
そしてそのどっちも、自分にとって特別だからだ。
電車の窓に流れていく街の灯りを見ながら、タイキはそっと目を伏せた。
もう、ただの相棒に向ける気持ちじゃない。
認めたくなかったはずなのに。
認めた瞬間の方が、胸の奥は静かだった。
「……ほんと、ずるい……」
小さく零した声は、誰にも聞こえない。
でもその言葉の奥には、もう前みたいな戸惑いだけじゃなくて。
ちゃんと熱を持った、どうしようもない想いが混じっていた。
※ルイ視点
部屋に戻って、ドアが閉まった瞬間だった。
ようやく一人になれたはずなのに、ルイは靴も脱がないまま、その場で小さく息を吐いた。
スタジオを出てからずっと、胸の奥に引っかかっていたものが取れない。
今日のタイキの顔が、何度も浮かぶ。
自分の方から距離を置いた。
目が合った時、来るなって分かるように線も引いた。
あれでよかったはずだった。
昨日、あんなことを言ったあとで。
本気だなんて、もう隠しようのないことまで伝えてしまったあとで。
いつも通りの距離でタイキに触れたら、たぶん自分が持たなかった。
だから引いた。
ちゃんと仕事をするため。
タイキをこれ以上振り回さないため。
自分が余計な顔をしないため。
全部、言い訳じゃない。
本当に必要だった距離だ。
でも。
ルイは壁に背中を預けて、ゆっくり目を閉じた。
必要だったことと、正しかったことは、たぶん少し違う。
今日のタイキは、何度もこっちに来ようとしていた。
フォーメーションの確認の時も。
休憩中も。
ごく自然な顔をして、いつも通り絡もうとしてきた。
たぶん、メンバーの前だからというのもあった。
でもそれだけじゃないことくらい、ルイには分かっていた。
あれはたぶん、タイキなりの歩み寄りだった。
昨日のことをなかったことにせずに。
分からないなりに、でも今まで通りの顔で近づこうとしてくれていた。
それを、自分は止めた。
声を荒げたわけでもない。
冷たくしたつもりもない。
けれど視線だけで拒んだ。
タイキは気づいていた。
気づいた上で、ちゃんと引いた。
その一瞬の顔が、頭から離れない。
「……最悪」
ぽつりと呟いた声が、静かな部屋に落ちる。
ベッドの端に腰を下ろして、スマホを取り出す。
画面は暗い。
でもタイキの名前を思い浮かべた瞬間、指先が熱を持つ。
送るか。
送らないか。
その二択の前で、ルイはしばらく動けなかった。
送ったところで、許されるとは限らない。
むしろ言葉にした方が、余計に意識させるかもしれない。
昼間あんな態度を取っておいて、今さら何を言うんだとも思う。
でも、送らないままの方がもっと駄目だということも分かっていた。
今日のタイキは、最後までちゃんと“いつも通り”でいようとしてくれた。
なのに自分だけが勝手に怖くなって、勝手に線を引いた。
あれをそのままにしたら、タイキはきっと自分の中で悪い方に意味をつける。
嫌われたとか。
後悔されたとか。
もうなしにしたくなったとか。
そんなふうに受け取られたら、嫌だった。
いや。
嫌なんてもんじゃない。
耐えられない。
ルイはスマホを握りしめたまま、深く息を吐く。
自分を守りたかった。
それは本当だ。
昨日、化粧室であんなふうに本気を晒して。
それでもまだタイキの答えは見えなくて。
期待した分だけ、曖昧な態度ひとつで簡単に傷つく自分がいるのも分かっていた。
今日少しでも近くに来られたら。
あの無防備な顔で話しかけられたら。
普通に笑われたら。
たぶん自分は、また欲が出た。
“このままじゃ足りない”って。
“もっと欲しい”って。
そういう顔をしてしまう気がした。
だから逃げた。
でもそれで、タイキを傷つけたなら意味がない。
ルイは画面を開いた。
トーク画面の一番上。
タイキの名前を見ただけで、心臓が重く打つ。
何を書けばいい。
「ごめん」
それは必要だ。
でも、ただ謝るだけじゃ足りない。
それだけだと、何に対しての謝罪か曖昧になる。
タイキは優しいから、「別に」と返して終わらせるかもしれない。
それではだめだ。
ちゃんと伝えないといけない。
避けたかったわけじゃない。
嫌になったわけじゃない。
むしろ逆で、近くにいたら自分の方が無理だったこと。
そこまで打って、ルイの指が止まる。
『俺の方が無理だった』
画面の上に並んだその文字が、思った以上に生々しかった。
弱い。
だいぶ弱い。
こんなの送って、タイキにどう思われる。
重いと思われるかもしれない。
面倒だと思われるかもしれない。
“そこまで本気なんだ”と引かれる可能性だってある。
親指が、送信ボタンの上で止まる。
やめるか。
もっと軽くするか。
いや、でも軽くしたら本当に伝わらない。
ルイは眉間を押さえた。
今日、スタジオで何度も思った。
本気だと伝えたくせに、自分の肝心なところはまだ守っている。
傷つくのが怖くて、タイキに察してもらおうとしている。
それは、ずるい。
本気なら、本気らしく言葉にしろ。
そう自分に言い聞かせて、ルイはまた画面を見る。
『今日、ごめん』
『あの感じ、タイキにとっては嫌だったよな』
『避けたいわけじゃなかった』
『昨日あんなこと言ったあとで、普通に近くにいたら、俺の方が無理だった』
読み返す。
情けない。
でも、嘘はない。
さらに指を動かす。
『うまくやれなくてごめん』
『でも、タイキが嫌いになったとか、そういうのじゃ絶対ないから』
そこまで打った時、ルイは小さく息を止めた。
“絶対ない”。
強い言葉だと思った。
でもこの部分だけは、曖昧にしたくなかった。
昼間、タイキが何度もこちらを見ていた。
話しかけてきた。
自然な顔で隣に来ようとしていた。
あれ全部、自分に向けてくれていたものだ。
それを視線ひとつで止めた以上、せめて誤解だけは残したくない。
さらに一文。
『無視されたみたいでしんどかったら、ごめん』
『タイキが普通に話しかけてくれたの、ちゃんと嬉しかった』
『それなのにあんな反応しかできなくて、ほんとごめん』
そこまで打って、ルイはとうとう動けなくなった。
言いすぎたかもしれない、と思った。
“嬉しかった”なんて。
そんなの、タイキからしたら余計に困るかもしれない。
昼間避けられて、夜になってこんなふうに言われたら、振り回されてると感じてもおかしくない。
消すか、と一瞬思う。
けれど、その言葉を消したところで、伝わるものまで薄くなる気がした。
嬉しかったのは本当だ。
タイキが何でもない顔で近づいてきたこと。
メンバーの前で、変わらずに接してくれたこと。
あれに救われていたのも本当だ。
だったら、残すしかない。
ルイは目を伏せて、最後の文を打つ。
『返信いらない』
『ただ、ちゃんと伝えたかっただけ』
『帰り、気をつけて』
打ち終えてから、また長い沈黙。
送信ボタンは、すぐそこにある。
押せば終わる。
いや、終わらない。
むしろここから何かが始まるのかもしれない。
それが怖い。
押した瞬間、タイキは読む。
読むということは、自分のこの弱さも、必死さも、全部届くということだ。
“普通に近くにいたら無理だった”
そんなの、ほとんど告白の続きじゃないか。
昨日すでに本気だと言った。
でも今日のこれは、もっと生っぽい。
本気を言った男の、その後の無様さそのものだ。
「……やば」
小さく笑う。
笑えるような余裕なんて、少しもない。
送るな。
やめとけ。
明日、普通に謝ればいい。
そういう理性が最後に一度だけ頭をよぎった。
でも、すぐにタイキの顔が浮かぶ。
ルイが近づいた時、何も言わずに引いた顔。
休憩中、「平気」の一言で止まった手。
最後に呼び止めてくれたのに、結局当たり障りのない言葉しか言えなかった、あの小さな声。
あれを思い出した瞬間、もう指は止まらなかった。
送信。
小さな表示音。
たったそれだけなのに、心臓が強く打つ。
送った。
送ってしまった。
次の瞬間、真っ先に来たのは後悔だった。
なに送ってんだ、と思う。
重い。
重すぎる。
“返信いらない”までつけてるのも、気を遣ってるようで逆にずるい。
あれじゃタイキが余計に返しづらいかもしれない。
取り消したい。
いや、今さら取り消した方がもっと最悪だ。
ルイは片手で顔を覆った。
「……終わった……」
誰もいない部屋で呟く。
今ごろ読んでるかもしれない。
まだ見てないかもしれない。
見た瞬間、困った顔をするかもしれない。
既読がついて、何も返ってこない可能性だってある。
その想像ひとつひとつに、胃の奥がじわじわ痛む。
送信ボタンを押したたった数秒後なのに、もう自分から全部引き出して確認したくなる。
どう思った。
引いたか。
嫌だったか。
それとも少しは、届いたか。
でも、もうできることはない。
ルイはスマホをベッドの上に放った。
見ていたら余計に駄目になる。
既読がつくかどうかを気にして、何度も画面をつける自分が目に見えていた。
だから少し離れる。
冷蔵庫を開けて水を取る。
キャップを回す。
ひと口飲む。
喉を通る冷たさとは裏腹に、身体の中は全然冷えない。
しばらくして、結局またスマホを見た。
最低だと思う。
でも見てしまう。
まだ既読はついていない。
それを見て、少しだけ息をつけた。
まだ読まれていないなら、少なくとも今この瞬間に表情を曇らせてはいない。
その安心が、情けないほど大きい。
ベッドに腰を下ろし、今度はゆっくり天井を見上げる。
送ったこと自体は、たぶん間違っていない。
いや、そう思いたいだけかもしれない。
でも少なくとも、今日の態度をそのまま放置するよりはよかった。
タイキがどう受け取るかは分からない。
それでも、自分がどういうつもりだったかだけは渡せた。
避けたかったわけじゃない。
嫌いになったわけじゃない。
嬉しかった。
傷つけたくなかった。
それをちゃんと文字にした。
その事実が、じわじわと胸の奥に沈んでいく。
後悔はまだある。
かなりある。
送信直後の「やばい」は全然消えない。
もっと上手い言い方があったんじゃないかとか、少し柔らかくできたんじゃないかとか、考え出したらきりがない。
でもその後悔の下に、確かに安堵もあった。
言えた。
誤解のまま終わらせなかった。
逃げたままじゃなく、追いかけるように言葉を渡せた。
それだけで、今日一日の息苦しさが少しだけほどける。
「……あとは、タイキ次第か」
小さく零した声は、思ったより静かだった。
自分にできるのは、ここまでだ。
昨日も今日も、自分の気持ちはもう十分すぎるほど伝えてしまった。
ここから先はタイキの速度を待つしかない。
本当は今すぐ返事がほしい。
何かひとつでもいいから、安心できる言葉がほしい。
でも、それを求めたら全部台無しになる気がした。
だから待つ。
怖いけど。
待つしかない。
その時、スマホが小さく震えた。
ルイの肩が跳ねる。
嘘みたいに一瞬で心臓が速くなる。
画面を見るのが怖い。
でも見ない方がもっと無理だった。
手を伸ばす。
画面がつく。
タイキから。
その名前を見ただけで、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
開く前に一度だけ息を止める。
そして、タップする。
『こっちこそ、昼変な空気にしてごめん』
『ちゃんと伝えてくれてありがと』
たったそれだけ。
短い。
でも十分だった。
ルイはその文字を見たまま、しばらく動けなかった。
視界の奥がじわっと熱くなる。
許された、とまでは思わない。
答えをもらえたわけでもない。
でも、拒絶されていない。
それだけで、さっきまで胸の中を占めていた重さが少し軽くなる。
「……よかった」
声にした途端、ようやく身体から力が抜けた。
送信ボタンを押した後悔は、まだある。
きっと明日の朝になったらまた思い出して、勝手に恥ずかしくなる。
でも今は、それよりも安堵の方が大きかった。
ちゃんと届いた。
少なくとも、切れてはいない。
今日自分が壊しかけたものを、タイキはまだ手放していない。
その事実が、何より救いだった。
ルイはスマホを握ったまま、ゆっくり後ろに倒れ込む。
天井がぼやける。
笑いたいような、泣きたいような、変な気分だった。
「……まじで、好きだな」
誰に聞かせるでもなく、静かに呟く。
返ってきたたった二行で、こんなに救われる。
こんなに息がしやすくなる。
それがもう答えだった。
コメント
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はじめまして。コメント失礼します😌読んでいてとても胸が苦しくなるのに先がどんどん気になる作品です😭🩷何回も読み返したくなります📖次のストーリーも心待ちにしています🥰