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ライブ後の打ち上げ会場は賑やかで、音も人も多いのに。 化粧室だけ、やけに静かだった。
ドアを開けた瞬間、視線がぶつかる。
「……」
先にいたのは、ルイ。
(……最悪)
逃げようとしたけど、もう遅い。
ルイは何も言わず、ただ鏡越しにタイキを見ていた。
気まずい。 今日のことが、頭から離れない。
手を洗いながら、タイキは視線を合わせないまま言った。
「……あのさ」
声が思ったより低く出た。
「今日の、あれ」
一瞬、ルイの動きが止まる。
「キス」
言ってしまってから、後悔する。
でも、今さら引けない。
「正直、なんでされたのか分かんない」
蛇口の水音がやけに大きい。
心臓の音も、うるさい。
「……からかってんならさ」
そこで一度、言葉を切る。
喉が詰まる。
「忘れるから」
ルイが、ゆっくり振り向く。
「忘れる?」
低くて、静かな声。
「うん」
強がりみたいに聞こえたかもしれない。
「そういうの、冗談なら……忘れた方がいいだろ」
本当は、忘れられる気なんてしない。
でも、そう言わないと自分が持たない。
ルイはしばらく黙っていた。
その沈黙が、やけに重い。
やがて、一歩近づいてくる。
「……タイキさ」
距離が近い。
「からかいでキスするほど、俺暇じゃない」
タイキの指が、洗面台の縁を掴む。
「じゃあ、なんでだよ」
思ってたより、感情が出た。
「説明もなしでさ」
「あんなことして……意味わかんねぇだろ」
ルイは目を逸らさない。
「意味、分かってないのはタイキの方」
「は?」
即座に返したけど、声が揺れる。
「今日のキス」
「忘れたいなら忘れていい」
一瞬、胸が冷える。
「でもさ」
ルイは一歩、距離を詰めた。
「忘れるって言いながら、俺の顔ちゃんと見て言えてない」
……それは図星。
視線を逸らしたまま、唇を噛む。
「それに」
声が少しだけ、柔らぐ。
「本気で忘れる気なら、こんな場所で俺に聞かない」
タイキは言い返せない。
(……やば)
逃げ道が、また塞がれてる。
「なあ、タイキ」
ルイは、今度はからかうように笑わない。
「忘れるかどうか決める前にさ」
「ちゃんと俺の話、聞いて」
心臓が、また早くなる。
(聞いたら、終わる気がする)
それでも、足は動かない。
「……聞くだけ、だからな」
小さく言うと、ルイは少しだけ口角を上げた。
「うん」
「それで十分」
化粧室の外から、笑い声が聞こえる。
ここだけ、時間が止まってるみたいだった。
タイキは思う。
(忘れるって言ったのに)
もう、その選択肢が
どんどん遠くなってることに、気づいてしまっていた。
ルイは一度、視線を鏡に落とした。
それから、ゆっくり息を吐く。
「からかいじゃない理由、な」
タイキの肩が、ほんの少しだけ強張る。
「タイキが思ってるより、単純だよ」
一歩、近づく。
でも触れない。
「今日のステージ」
「俺、途中で一回だけ、お前のこと見た」
「……は?」
思わず声が出る。
「歌の合間」
「客席じゃなくて、タイキの方」
ルイは淡々としてる。
「その時さ」
「お前、俺の方見てた」
タイキの喉が鳴る。
「……見てただけだろ」
「違う」
即答。
「確認してた」
その言葉が、胸に落ちる。
「俺がいるか」
「ちゃんと、見てるか」
タイキは否定できない。
ステージの上で、無意識にやっていたこと。
「それ見た瞬間」
ルイの声が、少しだけ低くなる。
「キスしたくなった」
「……は?」
頭が追いつかない。
「冗談…」
タイキはそう言いかけて、口を閉じる。
ルイの目が、冗談じゃない。
「からかいで、あんな衝動出ない」
「俺、タイキが思ってる以上に、昔ほど余裕ない」
一拍、間が落ちる。
「キスしたのは」
「欲しかったから」
化粧室の空気が、一気に重くなる。
「ステージの上のタイキじゃなくて」
「俺を見てるタイキが」
タイキは、思わず視線を逸らす。
(……それ、ずるい)
「だから、説明しなかった」
ルイは続ける。
「言ったら、逃げると思ったから」
「……っ」
否定できないのが、悔しい。
「でも」
ルイは一歩、距離を戻す。
「からかいなら、忘れていいって言われても平気だった」
その言葉に、胸が締まる。
「今、こうして説明してる時点で」
「忘れられる気、最初からなかった」
タイキの手が、無意識に拳になる。
「じゃあ……俺は、どうすりゃいいんだよ」
声が、少しだけ震える。
ルイは、少し困ったように笑った。
「どうもしなくていい」
「……は?」
「逃げてもいいし」
「忘れようとしてもいい」
一歩、近づく。
「でもさ」
声が、静かに刺さる。
「俺がからかいじゃないって知った上で、な」
タイキは、何も言えない。
(聞かなきゃよかった)
そう思ったのに。
胸の奥で、違う声がする。
(……聞けてよかった、のか…)
化粧室の外から、誰かの名前を呼ぶ声。
「行こ」
ルイは、先にドアに手をかけた。
振り返らずに、最後に一言。
「忘れるなら、ちゃんと忘れろ」
「でも、俺はもう、からかわない」
ドアが閉まる。
一人残されたタイキは、鏡を見た。
耳が、赤い。
(……最悪)
打ち上げの喧騒に戻っても、タイキの頭は上の空だった。
笑ってるメンバーの声も、グラスの音も、
全部、膜を一枚隔てたみたいに遠い。
(……確認してた)
ルイの言葉が、しつこく残っている。
部屋に戻って、シャワーを浴びて、
ベッドに腰を下ろしても、消えない。
天井を見つめたまま、目を閉じる。
――ステージ。
照明が眩しくて、客席はほとんど見えない。
音が身体を突き抜けて、考える余裕なんてなかったはずなのに。
なのに。
「……」
思い出してしまう。
曲の合間。
息を整える一瞬。
無意識に、視線を横に流した。
あの時、何を見てた?
客席じゃない。
振り付けの位置確認でもない。
――ルイ。
照明の向こう、同じステージの上。
ちゃんと、そこにいるか。
目が合ったかどうかなんて、覚えてない。
でも、“いた”って分かった瞬間の感覚だけが残ってる。
(……あ)
胸の奥が、きゅっと縮む。
確認してた。
本当に。
自分でも意識しないくらい自然に、
ルイがそこにいることを。
(そんなつもり、なかったのに)
タイキは、顔を覆う。
ステージの上では、強気で、堂々としてて。
誰にどう見られるかなんて、普段は気にしてない。
でも。
ルイの前だと違う。
ルイが見てるかどうかで、
安心したり、落ち着いたりしてた。
(……まずい)
声に出さなくても、はっきり分かる。
キスされた理由が、
少しずつ、形になってくるのが怖い。
ルイは言った。
――俺を見てるタイキが欲しかった。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
(そんな顔、してたのかよ……)
自覚がなかったのが、一番きつい。
からかわれてた方が、
冗談だと思えた方が、楽だった。
でも、ルイは冗談じゃなかった。
確認してた視線。
無意識の選択。
そして、キス。
全部が一本につながってしまう。
「……まじか」
小さく呟いて、ベッドに倒れ込む。
(これ、もう戻れないやつだ)
逃げようとしてたのは、
ルイじゃなくて、自分だった。
ちゃんと見てるって、
そういう意味だったんだ、と今なら分かる。
目を閉じても、
ステージの照明と、
ルイがいた位置が、はっきり浮かぶ。
(あんな視線、もう向けたくない)
そう思うのに。
(……次、ライブあったら)
無意識に、また探してしまう気がして。
胸の奥で、何かが静かに崩れる。
(ほんとに、まずい)
(……嫌じゃない、自分が)
その事実に気づいてしまった瞬間、
タイキは一人、布団の中で息を止めた。
翌日、スタジオ
スタジオは、いつも通りの空気だった。
鏡張りの壁。
音響チェックの声。
メンバー同士の軽い笑い。
タイキは、自然な動きでルイの隣に行こうとする。
いつもの位置。 いつもの距離。
「ルイ、さっきの振り――」
言いかけたところで、気づく。
……近づけない。
ルイは一歩も動いていないのに、
その“線”だけがはっきり引かれている。
視線。
真正面からじゃない。
睨むでもない。
ただ、静かに制する目。
――来るな。
言葉にしない拒否。
タイキは一瞬、固まる。
(……え)
勘違いかと思って、もう半歩詰める。
その瞬間、ルイが目を上げた。
ほんの一瞬。
でも、確実に。
(あ)
身体が止まる。
その目は冷たいわけじゃない。
むしろ、いつもより落ち着いていて――
だからこそ、逃げ場がなかった。
「……」
何も言われてないのに、
これ以上行ったらまずい、と分かる。
「……?」
近くにいたメンバーが、不思議そうに首を傾げる。
タイキは慌てて、いつもの調子を作る。
「なんでもない」
「振り、あとで聞くわ」
軽く笑って、別のメンバーの方へ行く。
(……なんだよ、それ)
胸の奥が、ざわつく。
ルイは何もなかったように、
振りの確認を続けている。
声も態度も、完璧に“いつも通り”
違うのは、タイキとの距離だけ。
休憩に入っても、変わらない。
タイキが話しかけようとすると、
ルイは自然に位置をずらす。
わざとらしくない。
でも、確実に避けてる。
(……避けられてる)
そう気づいた瞬間、
胸の奥が、きゅっと締まる。
昨日、化粧室で言われた言葉が蘇る。
――忘れるなら、ちゃんと忘れろ。
――俺はもう、からかわない。
(……そういうことかよ)
メンバーの前で、問い詰めるわけにもいかない。
理由を聞くこともできない。
ただ、距離だけが突きつけられる。
リハ終わり。
片付けの最中、また視線が合う。
今度は、逃げない。
でも、来ないでくれ、と言っている。
ルイの目が、そう言ってる。
(……守ってるんだ)
ふと、そう思う。
自分を。
そして、たぶん――タイキも。
だから、近づかない。
これ以上踏み込んだら、戻れなくなるから。
その理解が、逆に苦しい。
「……っ」
無意識に、拳を握る。
絡みに行けない。
拒否されてるわけじゃないのに、
距離を許されない。
それが、こんなに効くなんて。
ルイは最後まで、触れなかった。
視線以外で、何も示さなかった。
それでも、タイキには分かってしまった。
(……昨日までと、同じじゃいられない)
スタジオを出る直前、
ルイが一瞬だけ振り返る。
目が合う。
ほんの一拍。
そこにあったのは、
余裕でも、からかいでもなくて。
――耐えてる目。
タイキの胸が、強く鳴った。
(……なんで、そんな顔するんだよ)
追いかけたくなる。
でも、今は追えない。
ルイが距離を置いた理由が、
痛いほど分かってしまったから。
スタジオのドアが閉まる。
残ったのは、
拒まれた距離と、 その奥にある感情だけ。
帰り道。
夜の空気が、やけに冷たい。
イヤホンをしてるのに、音楽が頭に入ってこない。
スタジオでのことが、何度も再生される。
視線だけの拒否。
触れない距離。
耐えてるみたいな、あの目。
(……意味わかんねぇ)
ポケットの中で、スマホが震えた。
反射的に取り出して、画面を見る。
――ルイ
一瞬、息が止まる。
立ち止まって、画面をタップする。
今日、距離置いてごめん
びっくりさせたよな
短い文章。
でも、胸の奥にすっと入ってくる。
メンバーの前で変な空気にしたくなかった
あと、俺が自分でブレーキ踏みたかった
(……ブレーキ)
指が、ぎゅっとスマホを握る。
タイキが悪いとか、そういうのじゃない
ちゃんと分かってる
ちゃんと、ってなんだよ。
分かってるなら、なんであんな距離取ったんだよ。
そう思うのに、
次の一文で、全部持っていかれる。
今日も練習、真面目でさ
俺、普通に嬉しかった
……ずるい。
顔が、熱くなる。
だから、変に気にしなくていい
俺の問題だから
優しい。
あまりにも。
スタジオで見せた、あの冷たい距離が嘘みたいに。
歩き出そうとして、また止まる。
(……なんで、こんなの)
謝られただけ。
気遣われただけ。
それなのに、胸が苦しい。
無理させたくない
タイキがちゃんと笑ってる方がいい
画面を見つめたまま、動けなくなる。
(……それ)
その言葉が、一番きつい。
拒否された時より、
距離を置かれた時より。
今の方が、ずっと。
(……俺)
気づいてしまう。
絡めない距離が、苦しかった理由。
視線で止められて、胸が締まった理由。
今、こんなメッセージ一つで、息が乱れる理由。
全部。
(……俺、これ…ルイのこと…)
心臓が、うるさい。
はっきり言葉にしてしまうと
一気に逃げ道が消えてしまう。
からかいじゃない。
衝動でもない。
優しくされて、
守られて、
拒まれて、
それでも気にかけられて。
それが、こんなに刺さるなんて。
画面を閉じて、深く息を吸う。
(……まずい)
でも、もう。
(……遅い)
ルイからのメッセージは、
何も約束してない。
何も迫ってもいない。
ただ、優しいだけ。
それが一番、逃げられなかった。
タイキはスマホを胸に押し当てて、
夜道を見つめる。
(……次、会ったら)
どうしたらいいかなんて、分からない。
でも一つだけ、確かなことがある。
もう、
「忘れる」なんて選択肢は、
最初からなかった。