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『…鬼なんてものはこの村に居ないわ。』
そう言う○○の表情は化石のように乾いており、酷く強張っていた。眉間には僅かにだが胸騒ぎめいた黒い影が漂っていて、影のような暗い色をした感情が目の中に垂れている。
「居るでしょ。嘘つかないで。」
『嘘なんてついてないわ。』
「む、無一郎くん…○○ちゃん…!」
僕と○○の間に流れる不穏な雰囲気を読み取ったのか、一人残された甘露寺さんが心の高ぶりと焦りを抑えきれない乱れた声色で僕たちの間に仲裁として入り込む。
「さっさと本当のことを言えばいいのに。」
『言ったわよ。』
だがその間も僕らの間を交わる視線は鋭く、虚空で空中戦を繰り広げていく。
『…しつこいわね。』
「こっちの台詞だよ」
しばらく経ち、そんな視線を先に途切れさせたのは○○だった。そのまま呆れを含ませた大きなため息を吐いて、強張った表情を少しだけ柔らかくさせる。
『鬼の活動時間は夜なのでしょう?今夜、村の周りを調べることを特別に許可するわ。』
淡々とそう告げる○○の表情はほとんど消え伏せていて読み取れず、僕の目には体温さえ失われてしまったみたいに酷く無気力に映る。
そして、ふぅ。と気持ちを落ち着かせるように○○は目を閉じると、やがてゆっくりと開いていった瞼から波紋のように笑みを広げた。
『…それで納得するかしら?』
痙攣のような薄笑いを浮かべながらそう問いかけ、挑発的な視線で僕を見つめる。氷のようの嘲笑が皮膚を掠めた。
「…いいよ、それで。」
目にかけていた鋭い圧力を抑え込み、問いかけられた言葉に素直に頷く。
ここまではっきりと断言できると言うならばこの村から感じる鬼の気配はなんなのだろう。
ひょっとするとこの村ではないのだろうか。
平然を装った額の内側では、様々な疑問や考えが飛び交っており、時に衝突し合ってはパチパチと白い火花を発していた。解せない問題が鎖のように脳に縛りつけられる。
せっかく謎が解けるチャンスを掴めたというのに、変わらず黒い思考のループから抜け出せない。むしろどんどん奥深くに沈んでいく気さえする。
だがそれも夜になれば終わるはず。今考えても仕方が無いだろう。
そう迷いを帯びた思考に終止符を打ち、夜まで鍛錬でもしておこうかと顔を上げた瞬間。
『じゃあそれまでわたくしのお話し相手になってくれるかしら。』
桜の花びらのように酷く脆く繊細な表情で笑みを作った○○がそう言い、ふらりと立ち上がろうとした僕の動きを封じ込んだ。いつも焦点の合わないぼんやりしたとした話し方をしていた○○からすれば珍しく活気のある声だった。
『誰かとこうやって話すのって久しぶりなの。』
○○は今にも歌い出しそうに弾んだ声でそう言葉を落とし、キラキラと潤ませた青く大きな瞳で僕らの方を見上げてくる。明らかに自分の顔の良さを最高限度まで活用させた表情の仕方だった。
「えっと…」
鬼のことについて聞ければもう彼女に用はない。
ここで呑気に喋っている暇があるのならば鍛錬がしたい。
どうしようかと困って隣に座っていた甘露寺さんの方へ視線を寄越すと、元々赤らんでいた自身の頬にさらに朱を注ぎ、今にも叫び出しそうなほど顔を喜びに染めていた。
嫌な予感が脳裏をかすめる。
「あの…僕は…」
どうにか面倒事に関わる前に逃げ出さねば。と声を出した瞬間、重ねられるように甘露寺さんが身を乗り出し、僕と○○の腕を掴んだ。
「私も○○ちゃんと話したいわ!無一郎くんもそうよね!」
興奮の混じった明るい声でそう言い、ぱっと顔を紅葉のようも赤くさせながら握った手をブンブン振り回す甘露寺さんの耳には、きっと僕の声は聞こえていない。
「いや別に僕は…」
『名前を聞くのを忘れていたわね。お名前は?』
僕はいいです。と否定の言葉を唇に添える一瞬の間を○○に横取りされた。
演技も無理やり感も一切ないごく自然で整った、幼さの残った微笑みを浮かべた○○が甘露寺さんと同じようにやや興奮気味に僕の声を遮り、話の輪を広げていく。
「甘露寺蜜璃です!」
「…時透無一郎です」
どうやらもう手遅れのようだ。
呆れと面倒くささが憂鬱さを連れて胸の中にどかんと居座って来る。目の前で繰り広げられる甘露寺さんと○○のはしゃいだ声に隠れて、僕はこっそりと細いため息を吐いた。
『蜜璃さんと無一郎くんね。』
甘露寺さんや僕と話すのが余程嬉しいのか、今まで見せてきた変に大人ぶった新月のような淡くもの静かな笑みなんかではなく、年相応のあどけなさの残った喜色を頬に浮かべる○○の新しい姿にこんな表情も出来るのだな。と、不思議な安堵感を覚えた。
たった今の表情や言動だけを見れば普通の町娘に見える。
なのに、何故普段はあんなに冷たい印象を受けるのだろう・
─…一体この○○という少女は何者なのだろうか。
「あの…ずっと気になっていたんだけど、○○ちゃんはこの村のなんなの…?」
おずおずと手をあげ、緊張したように頬を紅潮させながら甘露寺さんはそう言葉を零した。
今まさに思い悩んでいることを問われ、思わず甘露寺さんの方へ視線を移す。
「さっきの男性の態度もそうだし…まだ10つ過ぎほどよね?」
まさに的の中央を射たような質問だった。
その瞬間、幼さの残っていた○○の笑顔が僅かに崩れ、顔の造作が即座に作った愛想笑いでバラバラになる。微かに残った感情の色のすき間には一瞬、不意打ちに合ったような驚愕の色が映ったような気がした。そんな○○の笑顔にそれまで感じていた安堵感が一瞬にして消え、言葉に出来ないほどの複雑な苛立ちが冷たい雪のように心の中に積り、平熱だった気持ちが段々と冷めていく。
『…ふふ、そんなにすごい立場じゃないわよ。』
『ただ強いて言えば家系のことかしら。』
今にも崩れてしまいそうなほど脆い顔をして笑う○○の赤い舌が言葉を跳ねさす。
「家系…?」
甘露寺さんが困惑の含まれた声を洩らし、僕は首を傾げる。
『えぇ、わたくしの家系は一定の年齢になると一族の娘の中から1人選ばれてこの村を司る神様に嫁ぐの。』
糸で括った様に小さな唇がスラスラと詰まることなく聞き馴染みのない言葉を吐いていく。
「…神様?」
今度は僕の口から困惑の声が洩れた。隣で甘露寺さんが首を傾げる。
『そうよ。“結婚”と言えば上手く伝わるかしら?』
“結婚”
その言葉にドクンと心臓が嫌に大きく跳ねた。自身の心の中を未知の感情が這いずり回る。正座した膝の上に置いた手に意味もなく力が入った。吐き気に似た不快感が喉に居座る。
今日会った初対面の少女がどこの誰と結ばれようがどうでもいい。
そう思って居るはずなのに。
「け、けけけ、け結婚!?え、うそ…○○ちゃん結婚するの!?」
『えぇ。まだ1が月先ですけどね。』
「すごいわすごいわ!おめでとう!」
キャッキャッと明るい声を飛び交わせ、目元と唇に濃い笑み湛えさせた甘露寺さんが○○の細い体を抱きしめる。○○の青い瞳が嬉しそうに細められた。
『ありがとう。嬉しいわ。』
「きゃーっ!可愛いわ○○ちゃん!」
ありがとうと告げた○○の笑顔は、静かな湖にさざなみが広がっていくように小さく、好いた相手と結ばれることを喜ぶ顔には到底思えなかった。