テラーノベル
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授賞式後のディナーパーティが始まって三十分ほどで、桜子は着慣れない着物を着ていることに限界を迎えた
―帯が苦しくて座っていられない―
東京駅前のレンタル衣装屋で、訪問着を着つけてくれた着付け師が、日本人ではなく中国人だったことに桜子は驚いたが、時間が無かったので何も言えずに身を任せると、力任せに帯紐を結ばれた、今では浅く呼吸するにも大変だ
おまけに、色んな人がひっきりなしに名刺を差し出して挨拶してきたり、次回作の話を笑顔で探りを入れてくる人、その一人ひとりに「人気作家の顔」で応じ続けるのは思った以上に体力を使った
―ちょっとだけ、外の空気を吸ってこよう―
桜子は人の輪をそっと抜け、ディナーパーティ会場横の中庭に出た、ひんやりと冬の夜風がほてった体に心地よかった
「はあ・・・もう少ししたらおひらきね・・・」
胸いっぱいに息を吸い込むとようやく帯の内側に空気が通った気がした、背後から漏れる笑い声と音楽が壁一枚を隔てて急に遠くなった
足もとの敷石の小道には、丸い石灯籠が点々と灯り、苔むした地面を橙色にやわらかく染めていた、着物を着ているので小股で桜子はゆっくりと歩を進めた
少し歩くと小さいが見事な池があり、黒い水面は鏡のように月を照らしていた
石灯籠の光と遠い東洋館の窓を金色に映している、池を見下ろすと、水面の下で何かがゆらりと動いた
「わぁ・・・錦鯉だわ!」
池の闇の底から赤や白や金の影が、ゆっくりと浮かび上がってくる・・・灯りを受けた鱗が濡れた宝石のようにきらめいた、しばらく桜子はうっとりと優雅に泳ぐ鯉を眺めた
いったいこんな鯉を飼うのに維持費はいくらするんだろう・・・真っ白な体の鯉に燃えるような緋色の模様が入った一匹、金の光をまとった黄金色の一匹・・・大きな錦鯉達が、音もなく桜子の足もとを優雅に泳いでいく
「あんな鯉の餌を食べて、どうしてこんなに美しくなるのかしらね~・・・」
遠くの会場からは、笑い声と音楽がかすかに聞こえてくる・・・やっぱり人付き合いの苦手な桜子は人気作家になっても、人より鯉の方が癒されるのだ、その時後方に人の気配がした
「あのぉ~・・・美木桜子先生・・・ですか?」
名前をふいに呼ばれて振り向くと、黒のフロッグコートを着た背の高い若い男性が立っていた
黒ぶち眼鏡と真っ黒なカールされた長めの髪が目を覆っていて・・・よく表情が読めない、薄暗い庭園には他に人気はない・・・桜子は少しだけ警戒した
すると、その男性が桜子に近づいて来て両手に持った桜子の著書を目の前に突き出した
「ぼっ・・・ぼぼぼっ僕!!美木先生の大ファンなんです!サインしてもらえますか?」
「サイン?ああ・・・ハイ、いいですよ」
不審者ではないと思って安心した桜子は、差し出された本と銀色のポスターカラーペンを受け取った
「え~っと・・・お名前は?」
「はっ・・・(袴田シオン)と申しますっっ!」
―袴田・・・シオン・・・袴田・・・―
そこで桜子はハッとした
「え?あなた!もしかして今回の「フルマックスエンタメ原作大賞」の「佳作」を受賞された、あの袴田シオンさん?」
途端に彼は暗闇でもわかるように、顔を赤くし出した
「ええっ?!美木先生になっ・・・名前を覚えてもらえているなんて・・・信じられない・・・」
彼は口を手で押さえて卒倒しそうになって言った
「もちろんですわ、審査員ですもの、実は私はあなたの作品が大賞にふさわしいのではと推薦したんですよ、本名なんですね!」
カァ~・・・「み・・・美木先生にそんなことを言ってもらえるなんて・・・し・・・死んでもいい・・・」
桜子は顎に人差し指を置いて言った
「でも・・・先ほどの授賞式では本日はご本人は欠席って・・・いらっしゃらなかったですよね?」
「そっ・・・それが・・・僕・・・新幹線の時間を間違えてしまって・・・今到着したんです・・・担当者にも授賞式に遅刻するなんてって怒られてしまって・・・なんとなく会場にも居ずらくて・・・」
シュンとしてシオンが言う
「お住まいはどちらですの?」
「山口県です」
「それは遠いですわね、私の住む大阪からでもここまで大変だと思うのに」
桜子はサインし終わった本をハイッと彼に渡した
「でも本当に光栄です、授賞式には遅刻しましたが、こんな所・・・コホンッいや庭であなたにお目にかかれるなんて、僕!この本が大好きなんです」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
袴田は興奮した様子で早口に次から次へとしゃべった
「いえ!本当に!何度も読み返しているんです!本当に!いったいどんな生き方をしたら、こんな話、思いつくんですか?」
クス・・・「インタビューですか?」
桜子がおかしくなって笑うとまた袴田は真っ赤になった
「すっ!すいません!すいません」
いかにも田舎の純朴そうな青年が焦っている姿を桜子はじっと見ていた
いくつぐらいなんだろう・・・絶対私よりかなり年下のはずだ、スラリとして、少し瘦せすぎているように感じるが、本を差し出した手はゴツゴツしていて大きかった、こんなに表情をコロコロ慌ただしく変える青年が・・・あんな純文学を書くなんて想像つかなかったが、それでもファンだと言われて桜子はとても気分がよくなった
「―ですからその・・・お世辞じゃなくて・・・本当に天才っているんだって僕は思いましたって・・・すいません、もう黙ります!」
彼はいかにもしゃべりすぎたと思っているようで、急に恥ずかしそうに下を向いた
「ありがとう、袴田さんも大賞を取れなくて残念でしたね、ハッキリ言って大賞を取った方より袴田さんの作品の方が優れていると私は思いましたよ、さぞ悔しいでしょうね、お気持ちわかります」
すると途端に彼は寂しそうな顔をした
「この会場へ来てから、みんなに「大賞をとれなくて残念だったね」と言われます・・・」
彼は考えながら話している様な感じだった
「実はこの公募の締め切り前に僕、インフルエンザにかかって、仕事も一週間休んでひどい目にあったんです、ずっと寝たきりで・・・本当に公募締め切りに間に合ったのが奇跡の様でした」
「まぁ・・・それは大変でしたね、間に合ってよかった」
働きながら、夜通し彼がパソコンに向かって書いているのがなんとなく想像できた
「いやぁ~・・・僕がもっと余裕を持って計画性を立てて執筆したら済んだ話ですよ、でも・・・」
「でも?」
「さっき・・・賞を取った人達の表彰式を会場の後ろから見て・・・こう思いました」
彼は続ける
「コンテストに応募しようと決めた日から・・・数か月、また数年かかって構想を練り、キャラクターを作り上げ・・・彼らの世界、そして審査員を引き付けるみごとな作品に仕上げる事が、社会人にとってどれほど大変か・・・この僕でさえマジで死にそうだったけど、あの人達もそうだったはず・・・きっと・・・僕の想像もつかないほど大変な苦労をしたんだって・・・」
その声は悔しさというより、不思議なほど静かな敬意に満ちていた、桜子は思わず頷いていた
クス・・・「わかるわ・・・読むのは10分、書くのは半日って・・・誰かが言ってた」
袴田は顔を上げた
「それに何よりも僕は僕との約束を守った、最後まで諦めず、僕の人生で大切なことを成し遂げた・・・それで充分じゃないかって・・・」
少しの間を置いて、彼は小さな声で付け加えた
ハハ・・・「そう思ったら、受賞なんかどうでもよくなったんです」
やぼったい前髪の下から現れた彼の笑顔は、少年のように素直で・・・驚くほど晴れやかだった
他人の評価でも、順位でもなく、自分で自分に課した課題をやりきった者だけが浮かべられる自信をみなぎらせていた、無理をしている様子はどこにもなく、桜子は暫く言葉を失って彼を見つめていた
そこからトイレに行きたくなったので立ち話を終わらせてディナー会場へ戻った、懇親会はまだ賑わいの只中にあり、桜子は顔なじみの編集者と挨拶を交わしてしばらく人の輪の中で世間話をした
そして帰り際に会場をぐるりと見回しても佳作賞の彼の姿はどこにもなかった、きっとどこかの関係者につかまっているのだろう
ふと頭の片隅に彼の言葉が、ずっと同じ場所で小さく回っていた
―受賞なんかどうでもよくなったんです―
.。 .:・.。. .。.:・
誰だって、あれほど苦労して書いた小説は正当に評価してもらいたいものだし、桜子自身がそうだった、評価されたくて認められたくて、夜通しパソコンにかじりついてきたのだ、それなのに受賞しなかったことをどうでもいいなんて
「変わった子・・・・」
それからしばらくは袴田シオンの、あの晴れやかな笑顔と言葉が、何日経っても桜子の頭から離れようとしなかった
ruruha
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コメント
2件
袴田さん素朴でまっすぐな人だね😌盗作で甘い汁を吸ってしまった桜子も心の底では葛藤があるだろうね
あ〜、このエピソードすごく良かったです。着物の窮屈さから逃れて中庭に出た桜子が、錦鯉に見とれてるところに袴田シオンが現れる流れ、まるで映画のワンシーンみたいでした。彼の「受賞なんかどうでもよくなった」ってセリフ、すごく響きましたね。評価より自分との約束を守ることに価値を見出すなんて、なかなか言えることじゃない。あの晴れやかな笑顔が、やぼったい前髪の下から現れる描写にグッときました。星キラリさん、巧いなあ。次が気になります。