テラーノベル
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あや
「――はぁ」
部屋を出て、扉を閉めた所で思わず深いため息が洩れた。患者さんの前で取り乱すなんて本当にどうかしている。
(直樹の件、否定し忘れたし……色々と誤解してるよね。……それにしても……「恋する乙女の顔」って何? そ、そんなわけ……。大体、昨日のアレだってうっかり流されてしてしまっただけで……別に、ナオミさんが好きとかそういうわけじゃ……。いや、嫌いじゃないけど、でも……。本当に、凄かったんだよなぁ……。キスも、嫌じゃなかったし。寧ろ気持ち良すぎて腰抜けちゃいそうだったし……)
「穂乃果?」
「……っ!」
自分で必死に言い訳を探して思考の沼にはまりそうになっていた脳内会議を、遮るような聞き覚えのある声にハッと我に返る。
まさかこんなところで出くわすとは思っておらず、穂乃果は無意識のうちに襟元を正して深呼吸を一つ。
「おはようございます。真鍋先生。……気安く名前を呼ばないで貰えますか?」
「んだよ。まだ昨日の事根に持ってんのか?」
「え?」
昨日の事、と言われ、一瞬何のことだかわからずに間の抜けた声が洩れた。昨夜のナオミとのあまりに濃密な時間のせいで、直樹の浮気現場の記憶など、穂乃果の頭から完全に消し飛んでいたのだ。
そんな穂乃果の反応をどう勘違いしたのか、焦燥感と怒りで顔を歪めた直樹が、唾を飛ばさんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
「斎藤さんとは本当に何にもないからな! つか、あの気の強そうな女誰だよ! たく、何処で知り合ったのか知らないけど、あの女とつるんでからおかしくなったのはお前の方だろ! アイツがお前に入れ知恵したんだろっ! あんな奴と友達になるなんてらしくないぞ!」
その剣幕に内心怯みそうになるが、ナオミの腕の中で見た、あの燃えるような琥珀色の瞳を思い出すと、不思議と恐怖は薄れていく。
「……ナオミさんを悪く言わないで!」
自分でも驚くくらいに冷めた声が出た。穂乃果は一歩も引かず、凛とした声で言い放つ。その澄んだ眼差しに、直樹は一瞬たじろいだ。
「ナオミさんは関係ないわ。私が直樹に愛想が尽きたの。ただそれだけよ。だから、もういい加減に偽りの婚約者を演じるのはやめてもらえる? 正直言って、目障りで迷惑だから」
「な――っ、お前っ……!」
毅然と言い放たれ、直樹が口をパクパクとさせる。
(過去の自分は、こんな男のどこがいいと思って尽くしていたんだろう……?)
今となっては疑問すら湧いてくる。ナオミという本物の「雄」の熱を知ってしまった今の穂乃果にとって、目の前で喚く男はあまりにも矮小で、ひどく色褪せて見えた。
「ストップストップ~!」
突然、場にそぐわない明るく軽い声が割って入ってきた。振り返ると、そこに立っていたのは案の定、里奈だった。いつもの胡散臭い笑顔を貼り付けている。
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