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リフェアリー
128
四週目。峠の小屋の、台帳が、消えた。
朝、ひかりが、小屋の戸を開けると、机の上が、空だった。三冊の台帳。写しの六冊のうち、小屋に置いていた二冊。瑠衣の穴のリストの写し。相場の板。為替の板。全部、なかった。壁の十二条だけが、残っていた。
戸は、壊されていなかった。鍵は、ない。峠の小屋に、鍵はない。
「誰が」ひかりが言った。
要は、答えなかった。答えは、わかっていた。塩尻峠の二十人のうちの、誰かだ。証で味噌を買った、二十人のうちの。夜、雪の中を二時間下りて、小屋から台帳を持ち出し、二時間登って、戻った。
権田が、命じたのか。二十人のうちの誰かが、自分で判断したのか。わからない。
どちらでも、同じだった。台帳が、ない。
*
「写しは、四冊ある」要は、大畑と隣村の長に言った。「木曽の蔵に二冊。下流に、二冊。下流は、道が塞がれてる。木曽の二冊が、ある」
「二冊で、照らせるか」
「照らせる。でも、三冊の意味は、一冊減る。それに」
「それに?」
「この四週間の分が、写しにない。写しは、封鎖の前に作った。封鎖の後、四週間、峠の小屋で書いた分は、取られた三冊にしかない」
四週間分。木曽と隣村の、交換。証の発行。回収。組合の蔵の出し入れ。御殿の二十人への五十枚。全部、消えた。
「四週間分、わからなくなる」隣村の長が言った。
「わからなくなる」
「じゃあ、証は」
「証は、人の手の中にある。手の中の証は、消えない。台帳が消えても、証は、物だ。でも、台帳がなければ、何枚が本物かを、確かめられない。偽物が混ざっても、わからない」
大畑は、長い間、黙っていた。
「……お前の仕組みは、台帳で回ってる。台帳がなくなったら、どうなる」
「回らなくなる」要は言った。「台帳が、仕組みの、背骨だ」
「背骨を、取られた」
「取られた」
要は、壁の十二条を見た。一条。『一人を信じるな。三人で見て、三冊に書け』。三冊は、取られた。二条。『三冊を、三つの村に分けよ』。三つの村は、分けられた。
仕組みは、穴を、全部、使われた。瑠衣が書いたとおりに。
*
夜、要は、一人で、小屋にいた。
壁の十二条の前に、座っていた。火は、焚いていなかった。
戸が、開いた。つむぎだった。
「要さん」
「ああ」
「台帳、ないんだって」
「ない」
つむぎは、要の隣に座った。
「要さん。私、思ったんだけど」
「何」
「四週間分の台帳って、何が書いてあったの」
要は、少し考えてから言った。
「交換の記録。誰が米を何キロ運んで、誰が味噌を何キロ運んだか。証の発行。誰に何枚払ったか。組合の蔵。御殿の二十人」
「それ、私、覚えてる」
要は、つむぎを見た。
「四週間、峠の交換に、全部、立ち会った。木曽から来た人の顔。隣村から来た人の顔。何を運んできたか。証を何枚受け取ったか。顔と一緒に、覚えてる」
「……全部?」
「全部。四週間で、交換が八回。延べ、九十三人。発行は、週に五十枚ずつ、三週で百五十枚。四週目は、上限で、ゼロ。御殿の二十人に、五十枚。組合の蔵から、三回、出した。誰に、何枚か、言える」
要は、動けなかった。
「台帳は、紙でしょ」つむぎは言った。「紙は、盗める。でも、私の頭は、盗めない。要さんが、去年、言った。権田さんに盗めないものは、私の目だって」
「言った」
「じゃあ、私の頭から、台帳を、書き直せばいい」
「一人の記憶で? 一人を信じるな、が一条だ」
「一人じゃない」つむぎは言った。「九十三人がいる。交換に来た人は、自分が何を運んで、何枚受け取ったか、覚えてる。四百の壁に、番号がある。私が言って、本人が確かめて、壁の番号と照らす。三つの目になる」
要は、何も言えなかった。
三冊の台帳。紙に書いた三人の目。それが、盗まれた。
残ったのは、紙ではない三つの目だった。つむぎの記憶。本人の記憶。壁の番号。
「……やろう」要は言った。
*
翌日から、峠の小屋に、人が集まった。
木曽と隣村の、全部の家から、一人ずつ。四週間の間に、峠に来た者。証を受け取った者。組合の蔵から出してもらった者。
つむぎが、一人ずつ、顔を見て、言った。
「あなたは、十二月八日、米を二十キロ運んだ。証を、三枚、受け取った」
「……合ってる」
「壁の番号は」
「五百六十一。五百六十二。五百六十三」
ひかりが、新しいノートに書いた。孫が、二冊目に。大畑が、三冊目に。
三冊。三人の、違う字で。
九十三人分、三日かかった。つむぎは、三日間、ほとんど、眠らなかった。要が、止めようとした。つむぎは、止めなかった。
三日目の夜、新しい三冊ができた。
要は、それを、火の前で照らした。三冊とも、同じことが書いてあった。九十三人。延べ、百五十枚の発行。五十枚の御殿への支払い。三回の組合の出し入れ。
盗まれた四週間が、戻っていた。紙ではなく、人の記憶から。
「つむぎ」要は言った。
つむぎは、小屋の隅で、眠っていた。三日ぶりに。
要は、新しい三冊の表紙に、書いた。
『この台帳は、侵入される前提で作られている。盗まれても、人が覚えている』
一行、増えていた。
コメント
1件
えええっ!? 台帳、盗まれた!!😱 でもつむぎちゃんが「紙は盗めても私の頭は盗めない」って言い放ったシーン、マジで痺れた…✨✨ 「評判は盗めない」っていうタイトルも、情報が人の頭の中にある限り決して奪えないってテーマ、完璧に回収してて神すぎる…😭💕 つむぎちゃん、三日間寝ずに記憶から再構築するところ、人間の強さが溢れてて泣ける…!